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中村吉右衛門・自分史14(最終回):無の境地をめざして

2017年07月30日 05時46分44秒 | 歌舞伎

さらなる高みをめざす吉右衛門、頭が下がります。

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(語る 人生の贈りもの)中村吉右衛門:14 形より心、いつか「無」の境地に
朝日新聞 2017年7月28日05時00分

「役者は、役の性根や精神を舞台を通してお客様に伝え、理解して頂くことが大切だと思うんです」=伊ケ崎忍撮影

 ■歌舞伎俳優・中村吉右衛門

 スケッチが好きで、地方の巡業先や外国にはスケッチブックを持って行き、舞台の合間に外の景色を描いていました。思い出が焼き付きます。

 小学生のころからジャズにも親しんでいました。以前は絵を描いたり、音楽を聴いたり、ギターを弾いたり、いろいろ趣味がありましたが、今は本を読むぐらいですかね。

 《歌舞伎への意欲はますます盛んだ。2011年に歌舞伎立ち役で人間国宝に認定。70歳を超えても15年には「競(だてくらべ)伊勢物語」の紀有常(きのありつね)を初役でつとめるなど挑戦が続く》

 80、90歳まで歌舞伎ができたらいいなあと思います。「人間国宝」と、宝みたいな言い方ですが、先人から教わってきたことを次の代に伝え、育てなさいということですね。

 播磨屋の芸は、一門の皆さんがぼくの気持ちをどうくんでくれるかにかかっています。形や段取り、舞台の出や引っ込みは教えられるんですが、初代吉右衛門のやった精神的なもの、役の心根をお客様に伝えることは教えられてできるものではないんです。

 それが播磨屋の吉右衛門の芸。形より心でやるんだよと言っておりますが、どう受け取ってもらえるでしょうか。

 歌舞伎は衣裳(いしょう)の早変わりや立ち回り、宙乗りなども興味をひきますが、舞台芸術としての素晴らしさを高めていくのが初代のやり方です。

 ぼくも芸品を持って人間味あふれる役作りをしたい。歌舞伎を単なる見せ物にはしたくない。深い、高みのある、お客様を満足させるものにしたい。まだ余地があります。あと何年できるかわかりませんが、そこを目指してやっていきたいですね。

 最近、やっと歌舞伎役者が天職だと思うようになってきました。言葉を変えて言えば、それしかできない。いろいろなことを考えずに舞台をつとめ、天職と思って進めば、「無」の境地になれるかなあと希望は持っています。

 (聞き手 山根由起子=おわり)

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「歌舞伎を単なる見世物にはしたくない」といいきり、伝統歌舞伎の伝承をめざす吉右衛門には、深い共感を覚えます。早変わりや宙乗りなど、それほど面白いものではないとおもうのです。それよりは、深い感動が伝わる人間ドラマに満足を覚えます。

ゆえに、7月の市川海老蔵の歌舞伎座公演には、まったく関心がありませんでした。父子の宙乗りが話題になる(それしか話題にならない?)ようでは、宙乗りしなくても空を舞っているように見える演技をめざせといっていた実父・十二世市川團十郎が泉下で泣いているとおもうのです。海老蔵には、中途半端な舞台を見せるよりも、伝統歌舞伎の重要演目をもっと勉強してほしいと願います。

その代わりといっては何ですが、大阪に行く用事があったので、松竹座夜の部で片岡仁左衛門主演『盟三五大切』を見物してきました。堕ちゆく人間の儚さ切なさが充満し、これぞ南北といいたくなるピカレスクロマンです。白塗り姿の仁左衛門、年齢を感じさせない退廃美を醸し出し、見ていてゾクゾクし、大満足でしたした。さすが、吉右衛門のライバル人間国宝です。こんな舞台を観たいのです。

さてさて、上の吉右衛門の写真、いいですね。吉右衛門が、まるで実祖父の七世松本幸四郎に見えます。しかも、どっしりとしていながら、高みを臨む視線の行方が気になります。

90歳といわず、100歳までもあのすばらしい演技で感動させてほしいと願わずにはいられません。いつまでも、お元気でいてください。


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