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私の八月十五日展、横浜市で開催

2007年06月24日 10時57分30秒 | 高倉健
高倉健さんのニュースをチェックしていたら、こういう興味深いイベントを探し出しました。

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忘れられぬ終戦の記憶 漫画家ら127人 絵で言葉で
2007年6月24日

 戦争体験のある漫画家ら127人が、終戦の日の記憶を絵と文で表現した「私の八月十五日展~漫画家・作家たちの絵手紙」が23日、横浜市栄区小菅ケ谷の県立地球市民かながわプラザ(あーすぷらざ)で始まった。かながわ国際交流財団が主催し、この日は「漫画家が語る戦争体験」と題し、県内在住の2人の漫画家の講演会も開かれた。

 全国各地を巡回する同展の作品群は、あの戦争の記憶と心象風景をつづる“証言集”といえるもので毎回、高い関心を集めている。県内初開催の今回は十回目となる。

 アンパンマンの生みの親やなせたかしさんは、旧陸軍兵士として中国に出征。食糧を節約せよとの命令で、薄いおかゆを食べ、空腹に耐えたが、終戦を迎えた途端、今度は「没収される前に全部食べろ」との命令で備蓄食糧を無理やり食べさせられることになり、おなかをすかせるために堤防を走っては食べた。

 絵手紙には「僕の戦争経験は正義は逆転すること 傷つかない正義はないこと もし正義ならば最初に空腹の人を救うべきだということを痛感して、それがアンパンマンになる」と、自分の頭をちぎって分け与えるアンパンマンが誕生した原点に、出征体験があることを記している。

 「ゲゲゲの鬼太郎」など妖怪漫画の第一人者水木しげるさんは、激戦地ニューブリテン島ラバウルで所属部隊が全滅し、決死の逃避行を試みた。八月十五日を「私はその時一言、『助かった』という言葉が腹の底から出てきた。これからずっと生きられるんだと思ううれしさもこみ上げてきた」と述懐する。

 故手塚治虫さんが終戦をテーマにした漫画「紙の砦(とりで)」の展示コーナーもあり、手塚さんらしき人物が「これからは、誰にも遠慮せずにマンガをかいてやるぞっ」と叫んでいる。

 俳優の高倉健さんやタレントの黒柳徹子さん、永六輔さん、映画監督の山田洋次さんらの体験談や絵手紙なども展示されている。

 講演会では、「私の八月十五日」の会代表で漫画「丸出だめ夫」の作者森田拳次さん(68)=横浜市金沢区=が、旧満州で過ごした幼年期の出来事や二〇〇一年九月十一日の米同時多発テロ事件に触れながら、「戦争は親子三代百年たっても傷跡が残るし、対岸の火ではなく、あっというまに竜巻のようにやってくる」と話した。

 また、ゴルフ漫画で知られる小山賢太郎さん(67)=鎌倉市=は、終戦五カ月前に出征した父親の帰りを待ち続けたが、その三年後に戦死連絡を受けたといい、「寂しさから逃れる手段が漫画だった」と振り返った。

 戦争体験は、残酷でつらい体験が少なくないが、主催者側は「漫画という手法を切り口にした展示ならば、子供でも入っていきやすいと考え、企画した」と狙いを話し、多数の来場を呼びかけている。

 開催は七月二十九日まで(祝日を除く月曜日は休館)。入場無料。毎週土曜日の午後二時からは同館の展示運営ボランティアが自分の戦争体験を語る企画などもある。問い合わせは同館=(電)045(896)2899=へ。

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健さんの思い出も読んでみたいし、子供を連れて、今度行きましょう。でもちょっと不便。東京でもやってくれればよいのですが。

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