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中村吉右衛門・自分史5:嫌だった女形

2017年07月15日 05時27分00秒 | 歌舞伎

中村吉右衛門の珍しい女形の写真が掲載されています。ファン、必見です。

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(語る 人生の贈りもの)中村吉右衛門:5 学芸会でも嫌々女の子の役
朝日新聞 2017年7月14日05時00分


「戻駕色相肩」に出た11歳のころ。「子ども時代はひょろひょろとして声も細く、女形が多かったのです」=本人提供

 ■歌舞伎俳優・中村吉右衛門

 《時代物にも世話物にもたけた立ち役の第一人者、吉右衛門。だが、小さい頃は女形が多く、好きではなかった》

 小学6年生の学芸会で「タイタニック」のお芝居をすることになり、先生から「女形やっているんだから、お前がやれ」と女の子の役をやるよう言われました。

 嫌で嫌でね。おふくろは妹のスカートを仕立て直して用意してくれましたが、本番では自分も相手役もセリフをよく覚えていなくて、2人でだまーっていました。見物の子たちがわあわあ騒ぎ出して散々でしたね。

 歌舞伎でも13歳のころ、「隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ) 法界坊」で「野分姫(のわけひめ)」の役をやりました。揚げ幕から花道を通り、杖をついて舞台へ登場しますが、内股でそろそろ、しゃなりしゃなりと行くところを、男の歩き方で出てしまった。

 忘れられないのは11歳で「戻駕色相肩(もどりかごいろにあいかた)」の禿(かむろ)たよりをつとめた時のこと。かごの中から「あい、あーい」と返事をして登場します。何日かは良い声が出ていたのですが、途中から「あいあい」と太い声になっちゃったんです。声変わりで。お客様に「うわー」と大笑いされました。

 《落ち着いた柔和な声、劇場内に響く名調子。吉右衛門は自在なセリフ術で知られるが、努力の下支えがあった》

 声変わりの期間が長く、声が出にくくなった。声帯を痛めたのか、声の出し方がよくないのか……と悩みました。声の良さとセリフ回しのうまさが初代吉右衛門の特長。セリフ回しは譜面に書けるような音階の豊かさがあり、音楽的でした。良い声を出せなくちゃ跡継ぎとして致命的なのです。

 ところが二十歳過ぎても良い声が出ない。実母に勧められて、清元節の清元志寿(しず)太夫お師匠さんに習うようになりました。お師匠さんは「変な声だからといってごまかそうとすると、のどを壊します。変な声が出た時はそのままやりなさい」と教えて下さった。おかげさまで少し、声が出るようになったんです。

 (聞き手 山根由起子)

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子役から大人の役になるのは、どの歌舞伎役者も苦労しているようですが、名優・吉右衛門も例外ではなかったようで、しみじみとしてしまいます。

逆にいえば、この時期の苦労があったからこそ、いまのすばらしいセリフ回しがあるのでしょう。頭が下がります。


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