常日頃、文庫派と言ってはいるが、こいつだけは文庫化まで待っちゃいられない。
フロレンティーノ・アリーサは51年9ヶ月と4日、女を待ち続けた。この小説の発表が1985年ということだから、我らだって20年以上待ち続けたのだ。なぁんて言っても自分がこの未訳の名作の存在を知ったのは2年ほど前なんだけどね。
あれだけラテンアメリカ文学のブームがあったのに、この作品が訳されずに20年以上も時が流れたのは何故なのでしょうか。
密度の濃い500ページのハードカバーは3,000円と私の購入する書籍ではかなり高額であったけど、躊躇せずレジへ。3000円以上の価値はあり、楽しめました。
「百年の孤独」同様、長期に渡る物語に数々の重要なのかどうでも良いのか不明のエピソードが語られるのだけれど、「百年の孤独」とはちょっと雰囲気が違う恋愛小説で虚構と現実の境目というか限界に挑んだという。それでも登場人物たちのラテン・アメリカ特有の痴れ物ぶりは健在で嬉しくなる。
人生は短いけれども長い。いろんな事があるし、コロンビアでは内乱が続くし、恐ろしい疫病だって流行する。(しかし、この時代背景についての記述はアッサリしたものでしたが)
フロレンティーノ・アリーサは51年もフェルミーナ・ダーサを待ち続けるのだが、その間、純情に待つわけでなく、沢山の女性遍歴を重ねていく。
それでも若かりし頃、手紙のやりとりをする恋愛場面は落語「崇徳院」を思わせる程の純愛。この時代の場面とフェルミーナ・ダーサの夫フベナル・ウルビーノ医師が亡くなった直後フロレンティーノ・アリーサが再度交際を申し込み、やがて、死を迎える年齢になった2人が「新誠実号」という船上で恋愛ともつかぬ不思議な関係になるラスト。盛り上がり場面でもあり、自分の持っているマルケスのイメージと異なる部分。
叙情的な長文のラブ・レターを書き、ビジネス文書まで叙情的すぎてラブレターのようになるだとか、振られた後、フェルミーナ・ダーサが2時間写っていたという理由のみでその鏡を買い取ったりするフロレンティーノ・アリーサはもちろんだが、むしろここでは、フベナル・ウルビーノとフェルミーナ・ダーサの長い夫婦生活の末の何ともいえない夫婦関係の構築が印象的。縦の物を横にもしない「完璧な夫」
エピソードとしてはバスルームの石鹸に関するものと男性の水洗トイレ、妻の誕生日プレゼントで家事一切を引き受けるが・・・等々(もちろん他にも魅力的な物がいっぱいです)
エピソードが魅力的なので「百年の孤独」の時も就寝前ランダムにページをめくり10数ページ読むという事をして聖書のように枕元に置いておいたりしたものだ。「コレラの時代の愛」も同様エピソードの羅列があるが、こちらは時を隔てて再読、三読と通読したくなる作品かな。
少し前、テレビで(よく憶えていないけど)老人ホームに入ってみたら、そこに初恋の女性がいて、再び、若かりし頃を思い出し、現在も素敵なガールフレンドになっているという話がありました。司会の明石家さんまも「ヘェー、そんな事があるんだぁ」としきりに関心していましたっけ。
現実というのはどの程度たわめ、ゆがめる事ができるのか。本当らしく見える限界とは。51年9ヶ月と4日、自分を捨てて他の男と結婚し、孫までいる年齢になっている相手を只管待ち続ける。現実ではありえない虚構の世界をある種のリアリズムを持って作品にしたマルケスはやっぱりすごいや。面白かった。年末年始の読書には最適でした。
新潮社からマルケス作品が続々とリリースされるようだ。未読の大作「族長の秋」にもチャレンジしてみたくなった。
フロレンティーノ・アリーサは51年9ヶ月と4日、女を待ち続けた。この小説の発表が1985年ということだから、我らだって20年以上待ち続けたのだ。なぁんて言っても自分がこの未訳の名作の存在を知ったのは2年ほど前なんだけどね。
あれだけラテンアメリカ文学のブームがあったのに、この作品が訳されずに20年以上も時が流れたのは何故なのでしょうか。
密度の濃い500ページのハードカバーは3,000円と私の購入する書籍ではかなり高額であったけど、躊躇せずレジへ。3000円以上の価値はあり、楽しめました。
「百年の孤独」同様、長期に渡る物語に数々の重要なのかどうでも良いのか不明のエピソードが語られるのだけれど、「百年の孤独」とはちょっと雰囲気が違う恋愛小説で虚構と現実の境目というか限界に挑んだという。それでも登場人物たちのラテン・アメリカ特有の痴れ物ぶりは健在で嬉しくなる。
人生は短いけれども長い。いろんな事があるし、コロンビアでは内乱が続くし、恐ろしい疫病だって流行する。(しかし、この時代背景についての記述はアッサリしたものでしたが)
フロレンティーノ・アリーサは51年もフェルミーナ・ダーサを待ち続けるのだが、その間、純情に待つわけでなく、沢山の女性遍歴を重ねていく。
それでも若かりし頃、手紙のやりとりをする恋愛場面は落語「崇徳院」を思わせる程の純愛。この時代の場面とフェルミーナ・ダーサの夫フベナル・ウルビーノ医師が亡くなった直後フロレンティーノ・アリーサが再度交際を申し込み、やがて、死を迎える年齢になった2人が「新誠実号」という船上で恋愛ともつかぬ不思議な関係になるラスト。盛り上がり場面でもあり、自分の持っているマルケスのイメージと異なる部分。
叙情的な長文のラブ・レターを書き、ビジネス文書まで叙情的すぎてラブレターのようになるだとか、振られた後、フェルミーナ・ダーサが2時間写っていたという理由のみでその鏡を買い取ったりするフロレンティーノ・アリーサはもちろんだが、むしろここでは、フベナル・ウルビーノとフェルミーナ・ダーサの長い夫婦生活の末の何ともいえない夫婦関係の構築が印象的。縦の物を横にもしない「完璧な夫」
エピソードとしてはバスルームの石鹸に関するものと男性の水洗トイレ、妻の誕生日プレゼントで家事一切を引き受けるが・・・等々(もちろん他にも魅力的な物がいっぱいです)
エピソードが魅力的なので「百年の孤独」の時も就寝前ランダムにページをめくり10数ページ読むという事をして聖書のように枕元に置いておいたりしたものだ。「コレラの時代の愛」も同様エピソードの羅列があるが、こちらは時を隔てて再読、三読と通読したくなる作品かな。
少し前、テレビで(よく憶えていないけど)老人ホームに入ってみたら、そこに初恋の女性がいて、再び、若かりし頃を思い出し、現在も素敵なガールフレンドになっているという話がありました。司会の明石家さんまも「ヘェー、そんな事があるんだぁ」としきりに関心していましたっけ。
現実というのはどの程度たわめ、ゆがめる事ができるのか。本当らしく見える限界とは。51年9ヶ月と4日、自分を捨てて他の男と結婚し、孫までいる年齢になっている相手を只管待ち続ける。現実ではありえない虚構の世界をある種のリアリズムを持って作品にしたマルケスはやっぱりすごいや。面白かった。年末年始の読書には最適でした。
新潮社からマルケス作品が続々とリリースされるようだ。未読の大作「族長の秋」にもチャレンジしてみたくなった。
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