市民意見広告運動事務局だより

9条の精神に立ちかえり、核のない社会を実現しよう!
5月3日の新聞に意見広告を載せよう! 

メールで寄せられたご意見などその11

2008年05月04日 14時01分01秒 | 意見広告掲載日


私は留学によって、外から日本を眺める機会を与えられた、混血でもない列記とした日本人です。

「武力で平和はつなしくれない」「9条の実現こそ平和への道です」と言われます。

しかし、誰にも何に対しても一切の影響(犠牲)を与えずにある物事を実現するなどは絶対に不可能です。 
もし、それが可能というなら、それ単に妥協しているからです。 日本では、「出る杭は打たれる」といいます。 これを皮肉ったのに、「みんなで...すれば怖くない。」がありますね。
でもこれは、地球標準(日本以外の殆どの国の常識がこれに近い中、日本だけがその標準かずっとかけ離れたところに在る)からすれば、地球上、恥ずべきこと。 恥を知ることに重きを置く日本人がこれを恥と思わないのはそれこそが国家の恥。 また、四十七士(四十七士)も美化しますが、これは英語では “Forty-seven Terrorists” と訳され、現代社会でいうところの
テロリスト集団です。 日本はテロリストを賞賛するのでしょうか? 
日本はアメリカから、「自由」の考えを輸入しました。 しかし、先でいう地球標準では、「自由」は他人に迷惑をかけないというマナーを実行できた上で初めて与えられる権利であるはずです。 しかし日本では、他人にどんな迷惑がかかろうが構わず自分のやりたいようにすることが自由とされています。 これは自由ではなく単なる利己です。 国内の報道の自由もおかしいし、商品化の自由も地球の恥です。たとえ経済効果があろうと、社会に悪影響を及ぼすことが予測できる発明物は商品化を許可すべきではないはずです。 ニーズとは経済効果ではなく、相対的に良い影響を及ぼすものかどうかのはずです。
 
日本はアジアや太平洋の島々をいい気になって統治下にし、勢いばかりで他にどんな迷惑をかけてるかが判断できない(見えない)悪ガキ状態でした。 それにアメリカが一喝(原爆投下)をいれてくれたのです。
原爆投下はいけないことですが、ここまでしないとその悪ガキは頭を打たなかったのです。 日本だって、敵国がその気もなく気の緩んでる休日をねらって真珠湾を攻撃しました。 汚いやり方です。攻撃予告が届くのが遅れたなどは後々の言い訳に過ぎません。 もしかあしたら、そんな遅延も計算に入れていたかも知れません。

理想と現実は違います。 理想を主張するのは「逃げ」に過ぎません。 国際協力のやり方もそうです。 地球標準では、お金がなくても即行動する勇気ある国を評価します。 だから地球標準的には、日本の様な自国民を汚したくない様なそぶりでお金だけを提供する国よりも、お金などなくても即人材を派遣する国を評価します。 日本がこんだけお金を費やしてるにもかかわらず評価されないのは、国民の穢れるのを恐れてお金で解決しようとするのがありありだからです。 世界はちゃんと見てます。

地球上にいる限り、先ず地球標準にあわせ、地球全体の理解を得ることです。 平和はその基本なくして語る資格ないと思います。
 
日本が世界を判断するとき、自国の考え方に基準を置いて、自国の都合のいい解釈で理解しようとする。 しかし、他を理解しようとする場合、先ず他の文化、状況、思想、常識(地球標準)を理解した上で
判断することこそが常識でありフェアーである。

阪神大震災の折、スイスから救助隊が来てくれた時、(地球標準的な考え方として)緊急事態なのだから何よりも先ず現場へ誘導してもらいたかったにも関わらず、(日本の遠慮文化から来る考え方として)日本側は先ず歓迎パーティーに案内した。 これは世界常識的には思いやりでも何でもなく、被害者軽視であり、今何をすべきかのポイントがはずれ、スイスの救助隊の方々は怒りを越してあっけにとられたと聞きます。  日本では、間接的に関わりを持つ人間を軽視して、直接関係する人の機嫌を気にする。 間接的にどんな迷惑がかかってるかを見る能力に乏しい。 機嫌をとることよりも今そこにある危機を回避することが真の思いやりである。 自らを地球標準にシフト修正して初めて、世界を評価する資格が与えられるのである。
                                                                               

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