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古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

卑弥呼の生い立ち

2016-11-26 17:37:42 | 歴史
投稿が長くなりそうなので、幾つかに分けて卑弥呼の生涯を考えてみます。

再度、魏志倭人伝からです。
 その国は、もとまた男子をもって王としていた。
 7~80年まえ倭国は乱れ、あい攻伐して年を歴る。
 すなわち、ともに一女子をたてて王となす。名づけて卑弥呼
倭国大乱は100年から180年頃とされています。
仮に、180年に40歳で卑弥呼が女王となったのであれば、140年頃に生まれた事になります。
卑弥呼とて人間ですから、父親、母親がいて、幼い時は家族に育てられます。
 その(地の)(風)俗、国の大人はみな四・五婦、下戸(庶民)もあるいは二三(人の)婦(をもつの)である。
 婦人は、淫でない。妬忌(やきもち)もしない。
とありませうので、
一夫多妻の結婚形態で、同母の子供同士の結婚は許されていなく、異母の子供同士の結婚があり
かなり近親相姦の状態で、他国の人同士の結婚はなかったようです。

 その(風)俗に、挙事行来云為するところがあれば、すなわち骨をやいてトする。そして吉凶をうらなう。
とある様に、それぞれに国に占いを家業とする一家があったようです。
卑弥呼は、この占いを家業とする一族に生まれます。

この争いにより、100余国あった国々が魏志倭人伝に紹介される30国にまとまります。
国同士が争い、片方が滅びるという事は、国王一族が殺されて、王に仕えていた重臣の家来が殺される。
残った住民と土地が新しい王の物となります。
国王のの元で占いを家業をする一族も滅ぼされたはずです。
つまり、卑弥呼は魏志倭人伝に紹介されている30の国の占いを家業とする一族の子供です。
卑弥呼は、この大乱で他国の国王や同じ占いを家業とする人たちが殺されていくのを見ながら成長します。
そして、周囲の女性たちは、同じ一族の男性、或いは王家の男性と結婚して、子供を産みます。
卑弥呼は、誰とも結婚せず独身を貫きます。
当然、結婚もせず、子供も産まずですから、一族からは厄介者だったでしょう。
ひょっとしたら、近親相姦で生まれた子供ですので、何等かの奇形(ほかの女性とは異なる)であったかもしれません。
例えば、かなりの巨人であったり、白人であったりなどです。

この事が、後に「倭国大乱に終止符を打つ事につながります。
卑弥呼は、どの国の男性とも結婚していない成人の女性です。
 すなわち、ともに一女子をたてて王となす。
どの国とも関係を持たない占いで物事を決めてくれる、唯一の女性です。
男系家督の時代ですので、一国の男性が連合国の代表者となる事は無理だったでしょう。
その為には、一国が強大武力をもつ、或いは周囲の国々すべて滅ぼしてしまう必要があります。
どの国か不明ですが、誰かが倭国大乱から平和な連合国づくりの提案があったはずです。
その国こそが卑弥呼が生まれた国でしょう。
やはり、隣り合う強国 伊都国、奴国、不弥国(現在の福岡市周辺の国々)と考えるのが普通だと思います。
この国の王は、中国の祈祷や祭事について卑弥呼に勉強させます。
従来にあった 骨をやいてトする とは全く違う儀式を行うのです。


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