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古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

魏志倭人伝と卑弥呼と親魏倭王の金印

2016-10-21 23:35:20 | 歴史
中国の国々は、国の成り立ちなど記載した「史記」を作成しています。
魏・蜀・呉の三国時代の黄河州域(中国北東部)の国が魏です。
魏の魏書に、倭人伝と云う部分があり、通常「魏志倭人伝」と呼ばれており
卑弥呼が登場します。その内容は
1、倭国までの道のりとそれぞれの国について
2、卑弥呼の朝貢と金印など
3、倭国の風俗、生活状況など
が記載されています。まだ当時の日本には文字がありませんので、古代の日本を知る上の貴重な手がかりなのです。

倭国までの道のりが

邪馬台国まで 1万2千里
帯方群(出発地)
狗邪韓国(水行7000里)
対馬国(渡海1000里)対馬
一大国(渡海1000里)壱岐
末廬国(海渡1000里)松浦
伊都国(陸行 500里)糸島
奴国 (東南 100里)博多
不弥国(東行 100里)宗像
ここまで、1万700里、邪馬台国まで残り1300里ですね。
博多湾から鳥栖、久留米と盆地を歩いて南へ有明海位ではないでしょうか。

ところが邪馬台国まで 水行10日、陸行1ヵ月 と急に表示が変わります。
松浦半島=>糸島市まで500里の約2.5倍が残りの1300里で邪馬台国のはずですが
何と1ヵ月以上かかると云う矛盾が発生します。
方向を南とすると沖縄を超えてしまいますが、陸行で一月もかかる土地はありませんよね。
これが邪馬台国が幻になる理由です。

しかし、邪馬台国の女王 卑弥呼は間違いなくいました。
それは、金印を送ったと記載してあるからです。
238年 女王 卑弥呼が魏の皇帝・曹叡に貢物を贈る。お礼に「親魏倭王」の金印と三角縁神獣鏡などを送ります。
歴代の中国の国々は友好国に金印を送る風習がありました。
実際に、後漢の光武帝が「漢委奴国王印」金印を送っておいて実際に見つかっておます(国宝です)。
しかし残念ながら、親魏倭王の金印も三角縁神獣鏡もまだ発見されていません。

更に話が続きがあります。
卑弥呼は、南の国 狗奴国の男王 卑弥弓呼(ヒミヒコ)と不仲で戦闘状態でした。
247年 卑弥呼は魏の国に援助を求めます。
魏からは【黄幢(こうどう)】と呼ばれる黄色い旗が贈られてきますが
残念ながら、卑弥呼は同年に亡くなります。
卑弥呼の墓が作られます。大きさは100歩くらいで00人が殉職したそうです。
その後、男王が立つが国おさまらず。
卑弥呼の宋女 台与(トヨ)が女王となる。
と記載されています。

ここまで読むと、邪馬台国も卑弥呼も絶対にあったと思います。疑問は
1、邪馬台国は何処になったのか、卑弥呼(ヒミコ)は誰
2、狗奴国の男王 卑弥弓呼(ヒミヒコ)とは、狗奴国とは
3、台与は誰、邪馬台国はどうなったの?
その答えは、過去投稿に記載していますが、一度、自分なりに考察してみて下さい。


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