魏志倭人伝で常に議論がぶつかるのが
・邪馬台国へは、南へ水行十日、陸行一月 の文書
そのまま、南へ進んだら鹿児島を飛び出して海の中
南を東へ変えても、瀬戸内海から近畿に上陸、1か月もあるけば関東まで行けてしまいます。
ましてや、倭国は周囲5000里とも書いてあるので、矛盾ですし、既に自爆しています。
これは、他説である様に
1、中国(山東省)を船で出発、ソウル、プサンへ渡り、玄界灘を壱岐対馬を経由して
倭国へ到着するまで 10日
2、中国(山東省)を陸路で北へ進む、更に朝鮮半島を陸路でプサンへ
プサンからほかの船に乗せてもらっていくと
倭国へ到着するまで 1ヵ月かかる。
と解釈するとスッキリ
それと、卑弥呼は女王の名前、固有名詞 と思う人が多いと思います。
そうでしょうか、南に位置する敵国 狗奴国の男王は 卑弥弓呼
個人名(固有名詞)としたら、たまたまにしろ似すぎています。
例えば、対馬国や一支国では
大官を卑狗(彦)といい、副(官)を卑奴母離(夷守)というあります。
ヒコ が 大官 で、ヒナモリ は副官 と役職や地位を伝えています。
卑弥呼も卑弥弓呼も個人名ではなく、その役職、地位と考えるべきです。
つまり大国の女王 が ヒミコ 男王が ヒメヒコ と呼ばれていのです。
そう考えて魏志倭人伝を読み直してみると、個人名は一つも出てこないのです。
当時の倭国では、漢字はありません、言葉もまだ未熟だったでしょう。
一人一人に名前を付ける事はなかったと思います。
国名も同じで、大陸が勝手に当て字を付けているいるだけです。
初めて、個人名が出てくるのは、卑弥呼の死後に後を継ぐ女王 台与(トヨ)
では、ないでしょうか。
このころ初めて、王家の人々が名前を名乗る様になった。(AD300年前後)
・邪馬台国へは、南へ水行十日、陸行一月 の文書
そのまま、南へ進んだら鹿児島を飛び出して海の中
南を東へ変えても、瀬戸内海から近畿に上陸、1か月もあるけば関東まで行けてしまいます。
ましてや、倭国は周囲5000里とも書いてあるので、矛盾ですし、既に自爆しています。
これは、他説である様に
1、中国(山東省)を船で出発、ソウル、プサンへ渡り、玄界灘を壱岐対馬を経由して
倭国へ到着するまで 10日
2、中国(山東省)を陸路で北へ進む、更に朝鮮半島を陸路でプサンへ
プサンからほかの船に乗せてもらっていくと
倭国へ到着するまで 1ヵ月かかる。
と解釈するとスッキリ
それと、卑弥呼は女王の名前、固有名詞 と思う人が多いと思います。
そうでしょうか、南に位置する敵国 狗奴国の男王は 卑弥弓呼
個人名(固有名詞)としたら、たまたまにしろ似すぎています。
例えば、対馬国や一支国では
大官を卑狗(彦)といい、副(官)を卑奴母離(夷守)というあります。
ヒコ が 大官 で、ヒナモリ は副官 と役職や地位を伝えています。
卑弥呼も卑弥弓呼も個人名ではなく、その役職、地位と考えるべきです。
つまり大国の女王 が ヒミコ 男王が ヒメヒコ と呼ばれていのです。
そう考えて魏志倭人伝を読み直してみると、個人名は一つも出てこないのです。
当時の倭国では、漢字はありません、言葉もまだ未熟だったでしょう。
一人一人に名前を付ける事はなかったと思います。
国名も同じで、大陸が勝手に当て字を付けているいるだけです。
初めて、個人名が出てくるのは、卑弥呼の死後に後を継ぐ女王 台与(トヨ)
では、ないでしょうか。
このころ初めて、王家の人々が名前を名乗る様になった。(AD300年前後)