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古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

ヌードダンサー「アマノウズメ」と「サルタヒコ」

2017-08-13 22:53:43 | 歴史
ちょっと寄り道です。
「古事記」日本神話に登場するアメノウズメ(天宇受賣命)
日本神話の天の岩戸に登場します。

天照大神が機屋で神に奉げる衣を織っていたとき、建速須佐之男命が機屋の屋根に穴を開けて、皮を剥いだ馬を落とし入れた。
驚いた1人の天の服織女は梭(ひ)が陰部に刺さって死んでしまった。
ここで天照大神は見畏みて、天岩戸に引き篭った。
そこで、八百万の神々が天の安河の川原に集まり、対応を相談した。思金神の案により、さまざまな儀式をおこなった
天宇受賣命が岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。
すると、高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った。
これを聞いた天照大神は訝しんで天岩戸の扉を少し開け、
「自分が岩戸に篭って闇になっているのに、なぜ、天宇受賣命は楽しそうに舞い、八百万の神は笑っているのか」と問うた。

アメノウズメが「貴方様より貴い神が表れたので、喜んでいるのです」というと、天児屋命と太玉命が天照大神に鏡を差し出した。
鏡に写る自分の姿をその貴い神だと思った天照大神が、その姿をもっとよくみようと岩戸をさらに開けると、
隠れていたアメノタヂカラオがその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。

まあ、こんなお話です。古代のアイドルと云った所でしょうか。
しかし、天皇家の歴史を語る「古事記」「日本書紀」に、この様なストーリーを挿入するべきでしょうか。
現代のアイドルでも、裸になる事はご法度です。現在の言葉を使えば、ヌードダンサーです。
江戸時代を除いても、吉原など遊楽はあっても、女性が人前で裸踊りをする事はありませんでした。
鎌倉、戦国時代は、それどころではありません。
平和な平安時代、紫式部、清少納言らの男女のやり取りはあるものの秘め事として扱われています。
時代は、更に遡り、古墳時代、弥生時代です。
まだ、九州、中国地方に多くの国々があった時代です。
儒教、道教は伝わっていたでしょうが、諸国が独特の文化を造った時代です。(仏教はまだ伝わっていません)
この話は、南国九州であり、山国の奈良や京都ではありません。
アメノウズメの服装も着物を一枚に腰ひもです。平安時代の十二一重とは違います(山奥の盆地ですので厚着が当たり前)

このアメノウズメは、ニニギの天孫降臨の際に道案内をしたサルタヒコ(猿田彦)とも交渉しています。
その時も裸を披露しています。そして後にサルタヒコと結婚します。
よほどの美女であったようです。一方、猿田彦は鼻が大きく大柄で美男子ではない様です。
双方とも高齢ですので、晩婚で結ばれたことになります。

明らかに平安貴族の風習とは異なります。
時代の違いだけでなく、近畿の山奥の文化と南国九州の湾岸の国の違いです。
魏志倭人伝には、入れ墨モンモンの民族風習も紹介されています。つまり裸に近いわけです。
卑弥呼の館にも千人の女性(巫女)が集められます。
優秀な女性(つまり美女)は、それぞれの国の王のあこがれであったのです。
卑弥呼が女王になれたのは、多くの美女を集めたからかもしれません。
当時の美女の象徴がアメノウズメです。
1、伏せた桶の上で踊れる小柄で身軽な女性
2、入れ墨はしていない(入れ墨は部族の印です。どの国にも属していない事が必要です)
3、未婚である(幼女で処女である)
4、健康的である事(当時の食糧事業から考えると少し太めで、豊かな胸ではないでしょうか)
5、一般の女性とは一目で違いがわかる(多分、色白で日焼けしていない、肌がきれい、けがなどの跡がない)
6、生活感がない、苦労の後がない、世間知らず(意外と質素でおバカ系であった)
卑弥呼は高齢ですので対象外です。
卑弥呼の死後、女王となる幼女 台与が、当時の美女の象徴だったのでしょう。
今も昔も同じで、日本男児は美女に弱いようです。

古代の日本人には、思想家がいません。人間のあるがままの姿を尊重していたのでしょうか。
対して大陸では、武力と知力(儒教など教え)で多くの思想が広がります。
個人的で申し訳ないですが
キリスト教の聖書やブッダの教え、儒教や道教など思想的な経典より、日本神話の方が人間的で好きです。
意外と現代日本のアニメにも影響があるんかもしれません。

後に平安時代の美女に小野小町がいますが、実は彼女を正面から描いた絵はないそうです。
西洋の美女クレオパトラ(プトレマイオス朝の王女)はその高貴な出生にありますが
小野小町と楊貴妃は、教養の高さが評価されたようです。


天照大神は、実は男性だった?

2017-08-13 17:08:15 | 歴史
日本神話の神様たちをもう一度(おさらい)
で、天照大神が女性だったのか、男性だったのか疑問が解消できなくなりました。
男性と思われる最大の理由
・家系図が全て男性で繋がっている。女性は天照大神だけです

ネットで検索すると 天照大神の男性説は結構あります。
そもそも、天皇家の正当性を書き上げる目的があるはずの「古事記」「日本書紀」
わずかに、「日本書紀」で、素戔嗚が「姉の天照大神に会いに行く」と記載されているようです。
何故、女性 天照大神を頂点にしたのでしょうか。

神世七代の世代で、神様も徐々に人間に近くなります。
イザナミ・イザナギの代で男女、夫婦、兄妹 になっています。
※夫婦でもあり、兄妹でもあります。近親相姦です。まだ神様が少ないので仕方ないですね。

山の神、海の神など地上の神様を産みます。
イザナギが出産で陰部をやけどして亡くなります。 人間らしい
そこまでは、順調でしたが、イザナミが無くなった後の家系図がものすごいです。
イザナギがイザナミに会いに黄泉の国へ行って、生きて戻ってこれる。 神業です。
1人になったイザナギは、更に神様を産み続けます。
天高原に残った神様は、最後に産んだ、天照大神、素戔嗚、月読 の3人
母親はいません、イザナギの目や鼻から生まれます。

天岩戸で、裸踊りをして、天照大神を誘き出すのは 人間らしい
素戔嗚との誓約で、剣や勾玉を噛み砕いて8人の男女を産む。 神業です。
※この誓約の儀式を、兄弟げんかではなく、結婚儀式と考えてみます。
 両親であるイザナミ・イザナギと同じです。
 違う所は、天照が素戔嗚を嫌っていた事でしょう。
 そんな二人の生活がうまくいくはずもなく
 天照は拗ねて岩戸に隠れたり、素戔嗚はいたずらが過ぎて、高天原を追放される。
 現在流のたとえ話にすると、妻が子供を引き取り、家に残る。夫が家を出る形の離婚劇です。
 急に人間味がでたというか、人に近くなった気がします。
 ※人間の本質は古代も現代も同じなのですね。
 女性は本当は強い、女性は家や家族を守るもの、男は外で仕事しろ なのかもしれません。

素戔嗚のその後
 八岐大蛇を退治する際、櫛名田比売(しなだひめ:大山津見神の娘)に一目ぼれ
 素戔嗚には、もう一人妻がいて、次に妻にしたのが
 神大市比売(かむおおいちひめ)でやまり大山津見神の娘、
 神大市比売と櫛名田比売の姉妹と結婚しています。
多重婚は有でも、姉妹です。何とも生々しい多重婚です。
古代は、人の交流も少なく、同じ国の中での高貴な人間同士の結婚が多いはずです。
近親者同士の結婚は普通だったでしょう。

 素戔嗚は地上で立派な仕事を成し遂げますか、女性にモテないとちょっと不順な動機が含まれています。
 これも男の性を表現したのでしょうか。そうであれば、歴史書ではなく、人文学書に値します。

加えて、誓約で産まれた長男に、地上を平定するように命令しますが、荒れ狂う地上をみて、おびえてしまいます。
何とも弱虫で臆病者です。天照も諦めて、その子供のニニギに天孫降臨を命令するという話です。

この部分を全て削除してイザナギの子供をニニギに書き直し、天孫降臨を命令した方が
天皇家に家系図はよほどスッキリしますし、見栄えも良くなります。

天照大神は女性で間違いありません。
イザナミ・イザナギの子供に男女の兄妹が必須です。
※三貴神には、女性が必要で兄妹で夫婦になる予定でした。
 素戔嗚が追放された後に、月読 と 天照の二人で子孫を増やす物語でも良いです。
夫婦そろって高天原で円満に過ごし、私たちを人間も見守っていただいている。にすれば全てがハッピーエンドです。

所が長男が乱暴で追放されると云う流れになり、高天原に残ったのが女性の天照大神のみになりました。
物語のエンディングは、天照は伊勢神宮で、素戔嗚は出雲で別居生活で締めくくられています。

「古事記」の一巻{日本神話)は、歴史書と云うよりノンフィクションの連載小説です。

一番の理由は、中国の史記と、九州、山陰地方に伝わる伝説にあります。
明らかに、近畿の大和朝廷より長い歴史がある事が解っていました。
大陸との交流も再開しています。
徐福の記事、漢委奴国王、魏志倭人伝に紹介される邪馬台国の卑弥呼など、無視するわけにはいきません。
しかし、先祖が中国から渡来した徐福であるとも邪馬台国が魏の国へ貢物を贈り親魏倭王の金印を貰うなど書くことも出来ません。
全てが弥生時代にあります。
九州で栄えた国があり、その権力は何度も移り変わったはずです。家系図も実は幾度か途切れているのです。
これら全てを引き継いだのが、ヤマト朝廷です。
ヤマト朝廷=邪馬台(ヤマト)国だからです。

以下は私の勝手な妄想です。
徐福船団の渡来
・イザナミとイザナギが日本の国土を作る(国生み)
奴国王
・イザナミの死後、イザナギも無くなった。三貴神を産むイザナギが奴国王
倭国大乱
・倭国大乱の後は、邪馬台国(卑弥呼=天照大神)と出雲国(投馬国の官 弥弥=素戔嗚)の二つが主な国となった。
・黄泉の国は、卑弥呼の鏡を使った祈祷から生まれ、古墳時代に引き継がれた。
邪馬台国と卑弥呼
・邪馬台国が高天原であり、女王卑弥呼が天照大神
・出雲国の男王が素戔嗚で、実は血縁関係はない
卑弥呼の死後
・誓約で産まれた三女神、宗像一族の神、或いは女王、3人姉妹か3代なのかは不明、宗像氏も権力があった。
・誓約で産まれた五男神は、卑弥呼の死後の男王、奴国王、狗奴国王、伊都国王、豊国の台与など当時の権力のある国の王
8人とも天照とも素戔嗚とも血縁関係ではない。長男が卑弥呼の死後の男王(卑弥呼の弟)ではないか
古墳時代(西都原古墳群)の国
・大陸の史記には登場しないが、大きな船を持ち航海できる国があった。ニニギがその国(肥国)の王
 卑弥呼の元には、1000人の巫女が使えていました。周囲の諸国から集められた女性です。
 卑弥呼の死後、西都原の国などへ引き取られた女性も多くいたでしょう。
 ある意味、卑弥呼の後継者がニニギでもある。
神武東征が事実なのか
・年齢的、期間を考えても事実とは思えない。長い期間を通じて邪馬台国の文化が近畿へ伝わった と考えるべき。
 ヤマト朝廷=邪馬台国(ヤマト国)である。卑弥呼の祈祷や邪馬台国の争いをしない国造りの文化を伝えた文化の伝承である。
 その証として、ヤマト(邪馬台)と国を呼んだ。
 古事記に登場する欠史八代はやはり存在しない。正しい家系図は更に後の世代です。
こんなところではないでしょうか。

実際は
・弥生時代、古墳時代に神道の元が出来ていた。
・九州、出雲が文化的に進んでいて、ヤマト朝廷は配慮せざるを得なかった。
・飛鳥時代には、日本神話の原型が出来ていた。
・蘇我氏・聖徳太子が仏教を受け入れたため、神仏分離の目的もあった。
・先に聖徳太子が「天皇記」を書き上げており、その内容を知る人が多くいた。

日本の歴史を伝える歴史書としては   ✖
天皇家の正当性を伝える系図としても  ✖
神道の経典となるような聖書としても  ✖
な書物になっています。
そのおかげで、イスラム教やヒンズー教の様に、国民の生活に宗教が強く影響することはない国民になりました。
但し、戦前、戦中は、この天皇制度と神道が国民の教育に取り入れられましたが・・・



日本神話の神様と神社

2017-08-12 17:08:06 | 歴史
せっかく、日本神話の神様たちを紹介しましたので
その神様と神社の関係を調べてみました。

天照大神 云わずと知れた 伊勢神宮です。
しかし、天照大神は幾度も引っ越しをしていただいており、伊勢神宮に鎮座していただいたのは平安時代です。

素戔嗚命 出雲大社 天照大神の直系が神宮で、分家に当たる素戔嗚命は大社に当たります。

宗像三女神(天照大神と素戔嗚命の誓約で産まれた三人の女神)
宗像大社
沖津宮 - 多紀理毘売命(たきりびめ)、田心姫(たごりひめ)
中津宮 - 多岐都比売命(たぎつひめ)、湍津姫(たぎつひめ)
辺津宮 - 市寸島比売命(いちきしまひめ)、市杵嶋姫(いちきしまひめ)
誓約では、素戔嗚が産んだことになっていますので、大社です。

同じく誓約で天照大神が産んだ五人の皇子の長男
天忍穂耳命(アメノオシホミミ) 英彦山神宮(福岡県田川郡 北岳・中岳・南岳(主峰の南岳:標高1,199メートル)の3峰)
日本三大修験の霊場と呼ばれるほどの過酷な場所
主祭神
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと) - 北岳。
配神
伊耶那岐命(いざなぎのみこと) - 南岳。
伊耶那美命(いざなみのみこと) - 中岳。
何と、おじいさん、おばあさんに当たるイザナミ、イザナギも一緒です。
やなり神宮です。

ニニギの命(彦火瓊瓊命)
霧島神宮(鹿児島県霧島市)天孫降臨にふさわしいのか結構山の中

彦火火出見尊(ホオリ)、火遠理命(ほおりのみこと)、山幸彦(やまさちひこ)
鹿児島神宮(鹿児島県霧島市)
主祭神天津日高彦穂々出見尊(山幸彦)
豊玉比売命 - 天津日高彦穂々出見尊の后神
奥さんと一緒ですね。
海神神社(長崎県対馬市)
主祭神
豊玉姫命
配祀神
彦火火出見命 にもおられます。

鵜戸神宮(宮崎県日南市)
主祭神
日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと、ウガヤフキアエズ)の他
祭神
大日孁貴(おおひるめのむち)(天照大御神)
天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)
彦火瓊々杵尊(ひこほのににぎのみこと)
彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)
神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)(神武天皇)
結構な有名な神様がずらり。
岩の間にある洞窟と、その先に見える日向灘、何とも自然の神秘を感じます。
近くに西都原古墳群があり舟形古墳で有名です。
古くから大きな船で公開していた海族だったのでしょうか。
鵜戸神宮は、航海の安全を祈願する神社でもあります。

玉依姫命 玉前神社(たまさきじんじゃ)千葉県長生郡一宮町
九州を離れて千葉県に神社の格付けです。(結構厳しいですね)

神日本磐余彦尊 カムヤマトイワレヒコノミコト(後の神武天皇)
宮崎神宮
やはり神宮です。別に奈良県橿原市の橿原神宮も初代天皇 神武天皇が祀られていて
神武天皇陵もあります。

しかし、天照大神以後の神様の神社は九州にあるようです。
天照大神、イザナギ、イザナミが住む高天原は、
九州北部の福岡・大分(日田)辺りか
有明海側の佐賀、熊本辺り
北九州市など関門海峡に近い地域ではないでしょうか。

日本神話の神様たちをもう一度(おさらい)

2017-08-12 15:19:58 | 歴史
お盆の休みで時間があるので、日本神話の神様について整理しておきます。
こちらのサイトを参考にさせて頂きます。

以下補足の説明です。
イザナミとイザナギは夫婦です。
男女の営みが古事記に記載されていて、イザナミが女性(妻)、イザナギが男性(夫)で間違いないです。
二人は力を合わせて国生み(日本の国土と島々)を産みます。その後
神生みで、多数の神様を産みます。
ここで産まれた神は家宅を表す神および風の神・木の神・野の神といった自然にまつわる神々です。
生活に身近な土や石など建物に感謝したのでしょう。最初の神様は生活の中にある神様です。
次に、山の神、海の神、風の神など、自然の中の神様です。
生活の糧である山の幸、海の幸に加えて、当時の人では、コントロールが出来ない自然現象が神様になります。
名前には 〇〇神 と最後に 神 が付きます。男性女性の区別はありませんが、その行動から男性だと思います。
後に
  山の神 大山津見神 と
  海の神 綿津見大神 の子孫が登場します。
最後に、火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)  火の神生んだ時にイザナミは陰部をやけどして亡くなります。
神様でも、病気で亡くなるようです。

残されたイザナギは、一人で神様を産みます。
最後に産まれたのが、天照、月読、素戔嗚の三貴神です。
天照は、天照大神と神の名前が付き、月読、素戔嗚は命の名前が付きます。
命ですの、男性に間違いないでしょう。
天照大神は女性とされていますが、系図の中では唯一の女性となります。
実は、「古事記」の中でも天照大神の性別には触れていない様です。(男性の可能性もあります)
・素戔嗚が地上に降りる前に天照大神に会いにいく時に「姉に会いたいと・・」とあるので女性?
・その時に、天照大神は、弓矢や刀を身につけ武装して待ち受ける(男性っぽい)
・誓約の儀式で、素戔嗚は刀を出して、天照大神は勾玉を出して、神様を産みます。(勾玉を身につけているから女性かも)
・素戔嗚は、3人の女神、天照大神は5人の男神(皇子)を産みます。(意外と男どうして、多数の女性を妊娠させてのでは)
・天の岩戸の神話では、アメノウズメ(女性の神様)が裸踊りをして場を盛り上げます(天照大神は、はやり男)
他の神様や家系図を見ても全て男系ですので、天照大神のみ女性であるのが不思議です。


そんな天照大神が素戔嗚との誓約で産んだ5人の男神(皇子)
天忍穂耳命
天穂日命
天津彦根命
活津彦根命
熊野櫲樟日命
多分、長男:天忍穂耳命(アメノオシホミミ)で、妻が天火明命(アメノホアカリ、その子供が
邇邇藝命(ににぎのみこと):天照大神の孫にあたり、高千穂の地へ天孫降臨します。

地上に降りたニニギが結婚した相手(妻)は、木花佐久夜姫(コノハナサクヤヒメ)
何と、イザナミ、イザナギの神生みで生まれた山の神 大山津見神の子孫です。
大山津見神 と 天照大神は、腹違いの兄弟
ニニギとコノハナサクヤヒメがふた従妹位になるのでしょうか。
大山津見神も地上にいて子供を産んでいます。
物語も宮崎、日向辺りになるので、宮崎が山の神 大山津見神の国だったのでしょうか。

この時代になると、女性には 姫 の名前を入れるので、男女の区別が付きます。
この二人の間に産まれたのが
長男:火照命(ほでりのみこと)後の海幸彦
次男:火須勢理命(ほすせりのみこと)、
三男:火遠理命(ほおりのみこと)後の山幸彦 の3人の男子
名前に 火 が付きます。南国宮崎の生まれ?阿蘇山の影響?

その三男:火遠理命(ほおりのみこと) が 結婚した相手は これまた
海の神 綿津見大神の子孫、豊玉姫 
大分が豊国なので、宮崎と大分の戦略結婚でしょうか。
海の神が、大分なのは周防灘の海の幸、関門海峡など海流変化などが神秘的だったのでしょうか。

この二人の子供が 日子波限建鵜葺草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)何とも長い名前です。
日子波限建鵜葺草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)の結婚相手は、
海の神 綿津見大神の子孫、玉依姫 
この二人の子供が
神日本磐余彦天皇(かんやまといわれひこのすめらみこと)で、後に神武東征で近畿の奈良橿原へ東征して
初代天皇のなる神武天皇です。

ここまでの物語は、霧島、高千穂、日向、大分辺りが登場場面の様です。
イザナギやアマテラスが過ごした、高天原が近くだったことは間違いありませんが
場所を特定できるような地名の表示が「古事記」にも「日本書紀」にもありません。
天空の上坂が住む世界 高天原 です。
そして、もし天照大神が男性ならすべてが男系の家系図になるのですが。
また、わずか6世代です。当時の寿命や結婚年齢を考えると100年以内の出来事ではないでしょうか。
神武東征には、それなりの船が必要です。
西都原考古博に舟形埴輪が登場しています。
この物語は、弥生時代後期(卑弥呼の時代)から古墳時代の伝説ではないでしょうか。

佐賀県伊万里市「とんてんとん祭り」

2017-08-11 22:47:42 | 歴史
「トン・テン・トン祭り」の流れ
毎年10月に3日間行われます。
南北朝の故事になぞられ、
荒神輿(あらみこし)を楠木方(南朝)
団車(だんじり)を足利方(北朝)に見立てて市内を練りまわります。
必ず、荒神輿(あらみこし)が先で、後を追う様に、団車(だんじり)が担がれて移動します。
交差点など広い場所で、お互いが陣をとり、太鼓の音(とんてんとんの3拍子)に合わせてぶつけ合います。
合戦も官軍の荒神輿が挑発し、朝敵の団車が挑むという、荒神輿が主導するしきたりになっている。
相手方を倒したり、相手方に乗り上げたりした方が勝利だそうです。

最後のクライマックスが、川落としです。
伊万里川の岸壁で、ぶつけ合いそのまま、川の中へ落してしまいます。
早く川から上げて元の陣に戻った方が勝ち。
荒神輿が勝つと豊作、団車が勝てば大漁に恵まれるといい伝えられています。
実際には、布団を重ねて作ってある団車(だんじり)は、川に落ちて水にぬれると重たくなってなかなか上がらないそうです。

歴史の中で、楠木一族と足利尊氏の関係ですが
後醍醐天皇と共に楠木正成も足利尊氏も、鎌倉幕府打倒に貢献します。
しかし、足利尊氏は後醍醐天皇を裏切る。
後醍醐天皇側の新田軍は箱根・竹ノ下の戦いでは敗北し北畠顕家・新田義貞が戦死、
足利尊氏らは京都へ入り、光明天皇を即位させて北朝が出来る。
後醍醐天皇と楠木正成らは奈良に逃げて、南朝が出来る
翌年後醍醐天皇が崩御してしまい軍事的に北朝方が圧倒的に優位に立つ。

楠木正成や北畠顕家の活躍もあり駆逐さ足利尊氏らは九州へ下る。
絶対的に不利な状況の中、多々良浜(福岡)の戦いに勝利
翌年に、持明院統の光厳上皇の院宣を掲げて東征する。
迎え撃つ宮方は新田義貞・楠木正成が湊川の戦いで敗れ楠木正成は自害した。
1392年、南北朝が合体


この祭りは、九州での足利尊氏の大逆転劇 多々良浜の戦い をまねした物ではないでしょうか。
伊万里川河畔に香橘(こうきつ)神社と戸渡嶋(ととしま)神社の二つの神社があり
香橘(こうきつ)神社は、橘氏の祖である橘諸兄命(たちばなもろえのみこと)を祀り、楠木正成はその橘氏の末裔
戸渡嶋(ととしま)神社、建武の頃、足利尊氏が敗戦の後、筑紫に降り松浦の海上で暴風に遭遇した折りの救いの神を祀っていた。
昭和30年に香橘神社、戸渡嶋神社、岩栗(いわくり)神社の三社が合祀されたらしいです。

戸渡嶋(ととしま)神社は、南北朝時代1300年代に創建されたのでしょうか。
香橘(こうきつ)神社は、何と「古事記」紹介されているようです。
第11代垂仁天皇の代に天皇の命で常世の国から不老長寿の妙薬と称された非時香菓(ときじくのかぐのこのみ、橘)を持ち帰った田道間守命
第11代垂仁天皇ですから、かなり古い話です。
天皇の命で常世の国から不老長寿の妙薬を持ち帰る話は、秦の始皇帝と徐福の話に似ています。
元々、松浦半島には徐福上陸の土地として徐福伝説がありますので、それを引用した可能性が高いとおもいますが
弥生時代初期から続く言い伝え(伝説)が平安時代に神社と云う形になったのでしょう。

田道間守命は、お菓子の神様になっていますが、古代神様の時代にお菓子は無かったでしょうから、この伝説は後に追加されたのでしょう。

平安末期から鎌倉、南北朝時代をざっくりと

2017-08-11 20:58:48 | 歴史
佐賀県伊万里市の「とんてんとん祭り」の由来は南北朝時代の足利軍と楠木軍の戦いにあるようですので、当時の時代背景をざっくりと
平安時代末期
天皇を中心とする貴族の時代から武士の時代へ権力が移ります。
最初に登場したのが、平清盛
1160年(平治の乱)朝廷の最大勢力となった藤原信頼を77代後白河天皇共に戦い、藤原信頼を斬首
藤原信頼の子供が、牛若丸(後の源義経)が鞍馬寺に預けられる。
1180年(治承・寿永の乱)平氏中心に政治に反乱がおこり、兄・頼朝が平氏打倒の兵を挙げ、源義経も加わる。
源氏と平氏の戦いとなるので「源平合戦」と呼ばれる。
一ノ谷の戦い(現在の神戸付近)で勝利、壇ノ浦の戦い(家紋海峡)で平家を滅ぼす。
しかし、平氏との戦いにおける独断専行があったなどとして、兄・頼朝の反感を買い、岩手県平泉町で自害する。
源頼朝は朝廷から半ば独立した政権を開き、鎌倉幕府を作る。日本で武家政治の始まりとなる。
源頼朝の死後は、妻北条政子との父、北条時政が政権運営を行い、北条氏の時代となる。
1333年(建武の新政)後醍醐天皇の討幕運動を起し、楠木正成や後醍醐天皇の皇子で天台座主から還俗した護良親王らが支援
幕府側の御家人である新田義貞や足利尊氏らが幕府から朝廷へ寝返り、鎌倉を攻め、北条高時ら北条氏一族を滅ぼして鎌倉幕府が滅亡。
1336年(南北朝時代)足利尊氏が裏切り光明天皇(北朝側)擁立して京都を支配
後醍醐天皇は、京都を逃れて(南朝側)が吉野行宮に遷った。
後深草天皇系図の光明天皇ら北朝 と 亀山天皇系図の後醍醐天皇ら南朝に二人の天皇が存在する時代になります。
武士では、足利尊氏が北朝、新田義貞・楠木正成らが南朝として戦います。
足利尊氏は、一時は京都を確保するが、楠木正成や北畠顕家らと連絡した宮方勢に京都とその近辺で敗れ
海路西走し、再興を賭けて九州に下った
多々良浜(福岡市東区)に布陣した菊池氏率いる宮方と戦うが、足利軍は約2千騎に過ぎなかった。
当初は宮方の菊池軍が優勢であったが、菊池軍に大量の裏切りが出たため戦況は逆転し、菊池軍は総崩れで敗走した。
乱世により室町幕府の権力は完全に失墜、諸国の大名が争う戦国時代に突入します。

さて、ここまで歴史を頭に入れたうえで、「とんてんとん祭り」の由来に移ります。

今も昔も変わらない物

2017-08-11 18:15:39 | 歴史
昔と云っても弥生時代(約2000年前)と比較してです。
・日本の地形
 北海道は北にあり、九州も四国も今と同じところになりました。(当たり前)
 富士山も同じで、阿蘇山も同じように噴煙を出していたでしょう。
 しかし、平野、河川は人間が手を加えた為、大きくその地形を変えた地域があります。
 古代も今も人が住む地域はあまり変わっていません。
・日本の自然
 冬は寒く、雪が降る。夏は暑く、台風が来る。これも同じですが、近年は暖冬、猛暑の夏が続いています。
 この分野でも人間の力は大きく影響しています。
 昔、干ばつが続く(雨が降らない)とすぐに、田畑が枯れて食料不足になる。台風が来ると洪水が起こり、その後には
 伝染病など流行り病が地域を襲います。
 現在は大きなダムが多数つくられて、干ばつなっても水不足にならずに済みます。洪水や山崩れのニュースは多数ありますが
 昔と比べると、その復旧の度合いははるかに早いです。
 原子力発電所の被害は昔はありませんでしたが。

今と昔で大きく変わっているのは人間と云えるでしょう。
・技術や科学の進歩によるもの
 昔で云えば、農耕や建物ですが、近代では水道、電気、ガスの普及に加えて、電話やインターネットの普及がありますよね。
・時の権力者の交代
 平安時代=>鎌倉時代=>江戸時代=>明治以降=>戦後日本 と権力者が何度も変わっています。
 同時に政治が変わりますが、昔で言えば信仰の中心が誰であるかが重要なポイントで会った様です。
・古代を一番の手がかり、神社(神道)とお寺(仏教)があります。
 現在の仏教は、鎌倉新仏教と呼ばれる宗派が大勢です。歴史は鎌倉時代以降と考えて下さい。
 神社制度は、平安時代に確立したと云われています。「古事記」「日本書紀」に紹介される日本神話が基本にありますので
 平安時代以前の風習が読み取れるでしょう。
・各地で行われるお祭り(夏祭り、秋祭り)があります。
 夏祭りと云えばお盆になりますが、仏教の影響ですので、その歴史は浅いです。
 秋祭りは、農業の豊作への祈りと感謝が始まりですので、かなり昔から行われたでしょう。
 田舎の地方では独特のお祭りが多数ありますが、近畿や関東では、盆踊りに花火大会など江戸時代の影響が大きいようです。

あまり知られていませんが、佐賀県伊万里市の「トン・テン・トン祭り」がありますので、紹介いたします。

儒教(おまけ)性善説・性悪説

2017-07-29 19:26:17 | 歴史
おまけという事で、ご存知の方も多いかと思いますが
生まれ持って人は持つ性格は善である 性善説
生まれ持って人は持つ性格は悪である 性悪説

性善説
孔子の死後、その思想を継いだのが孟子が唱えた。
人が生まれつき持つ4つの心「四端」
・人の不幸をほっておけない心
・自分のした悪い行動を恥じる心
・お互いに譲り合える心
・善悪を見分けることができる心
人間は生まれながらに善の存在ではあるが、後天的に学ぶ事で悪に汚染される事もある。

性悪説
孟子と同時期に活躍した思想家 荀子が唱えた。
人の心は生まれつき悪であり、人はその悪に心が傾こうとするのを理性をもって留めなければならない。
悪に傾く修正があるからこそ、正しい教育を受けて、正しい思想や礼儀、人間性を持つことが必要である。

あなたは、どっち派? 性善説と性悪説について調べてみました。
さて、あなたはどちらを信じますか?
難しいですね。

現在流な回答では
人のDNAで、性善説の人もいれば、性悪説の人もいる。
いやいや
産まれたばかりの赤ちゃんは、どちらでもない
親や環境で、性善になったり、性悪になったりする。
いやいや
子供の成長でどうしようもないのが、容姿 や 財力(裕福か貧乏か)
人は生まれながらに不平等だから、性善・性悪は生まれながらに背負っている。

昔の思想家の凄い所
孟子も荀子も「人は皆誰でも善人になってほしい」と願っています。
さて、今の日本、貴方の会社、住んでいる地域 は昔の思想家の希望社会になっていますか?
「はい」の回答が多いことを願っています。

「老荘思想」 と 徐福

2017-07-29 15:24:48 | 歴史
徐福も紀元前3世紀の人物です。
中国北東部(黄河下流)の国 斉国の生まれで、方士(学者)でした。
「老荘思想」や他の思想も学んでいたでしょう。
しかし、斉国も始皇帝に滅ぼされてしまいます。
武力支配の統一を行う始皇帝と方士である徐福が意気投合する事はなかったでしょう。
始皇帝が老いてきて、死の恐怖に悩まされいる事を知った徐福がとった行動が
「東方の三神山に長生不老(不老不死)の霊薬がある」と具申
本来なら全員を軍人にして出兵すると始皇帝は思ったでしょうか、実際は
3,000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え、五穀の種を持って、東方に船出
もう、国を捨てて、新しい土地に自分たちの新しい国を作るつもりである事は間違いありません。

徐福は、最初の航海で九州北部位までたどり着いたはずです。
その国では、まだ農耕をしていない この事を熟知していたので
五穀の種を持って出港したのです。
二度目の航海ですので、かなり効率よく日本へたどり着けました。
その場所は九州北部で間違いないでしょう。
徐福の理想とする国造りを始めます。国は栄えて、子孫 或いは 一段の一部が更に東へ(山陰地方)
南(鹿児島から静岡)へ移住をしたのでしょうか、各地に徐福伝説があります。

徐福が目指した理想郷は、稲作を中心にした文化的国家で間違いありませんが
その基盤は、秦の始皇帝が行った武力での支配ではありません。
仙人思想である道教でもなかった様です(修行思想はありません)
儒教の教え
仁、義、礼、智、信の「五常」ではないでしょうか。
魏志倭人伝に紹介されている倭人の風習なども
上下の関係を重んじて、礼を尊重していると表現されています。
勤勉で誠実な日本人はこの時代が始まり、今も大事にされています。
縄文時代にあった八百万の神様への信仰(自然崇拝)も滅ぼすことはなく組み入れます。
それが、現在の神道の祖となったのです。
天照大神が天上界(天高原)に住んでいて、地上界に森や海など神様、精霊を産むんだと云った形です。
こうなると既に宗教になりますね。
古代日本伸銅(宗教)に思想(哲学)を組み合わせて新しい神道国家を作ったのです。

時代が流れて、奴国の時代、朝鮮半島を経由して交易がはじまりますが、
青銅などの武器が伝わります。本来は狩猟の為の武器が
武力闘争となり人を殺すための武器となった時代が 倭国大乱 の時代です。
卑弥呼の両立は、もう一度、神への信仰を取り戻す文芸復興を期待するものだったのですが
狗奴国との対立が収まらず、最終的には武力闘争となり、卑弥呼時代に終止符を打つことになります。

古代中国の思想 「老荘思想」

2017-07-29 12:36:43 | 歴史
ちょっと中国の古代史です。時代が紀元前5世紀ごろ(秦の始皇帝の時代です)
中国は、沢山の国々に分かれていて、それぞれの思想があった様です。
その中に「老荘思想」の二つの思想があります。
老子を祖とする道教
孔子を祖とする儒教 です。

簡単に説明すると
儒教
仁、義、礼、智、信の「五常」
「仁」とは、人への思いやり。愛。儒教の根本をなす。
「義」とは、損得にとらわれない、人のすべきこと。情に流されやすい仁を抑える。
「礼」とは、仁を行動で表す、具体的な慣習、礼儀作法。
「智」とは、学問に励むこと。是非善悪を判断する能力。
「信」とは、約束を守ること。誠実であること。

道教
道(タオ)
 宇宙と人生の根源的な不滅の真理を指す。
 修行のために錬丹術を用いて、不老不死の霊薬、丹を錬り、仙人となる。
 ※仏教の悟りを開く(解脱、煩悩からの解放)に似ていますね。
  仙人になるのか、仏様(如来)になるのかです。

しかし、始皇帝は武力による大陸統一です。
諸国にばらばらの思想があっていは統一が出来ません。
当然、これらの思想を弾圧し、書を燃やしたそうです。
一方で、国家統一に必要な書物を集めて集大成を試みます。
その始皇帝も老いてくると 死 の恐怖に悩まされるようです。
大陸は支配した物の海を越えて東の国(日本)については無知でした。
太陽が昇ってくる国で、そこには不老不死の仙人がいると云われて信じてしまいます。
そして、徐福に、何千人もの男女と複数の船、五穀の種、武器等を与えて
不老不死の薬を取って帰る様に命令します。
何ともわがままですよね。道教では、修行をして仙人になりなさい と教えているのに
不老不死の薬を飲んで、死なない体になろうと云うのですから。
そのわがままに費やす財力も半端ではありません。
まだ、朝鮮半島の存在も知りませんから、東には永遠に海が続いていて
小さな島に、亀仙人がいて、天空に向けてカメハメ波を毎日発射して、太陽となっているくらいでしょう。
逆に西方向へ支配を伸ばしても、太陽が落ちる所は更に向こう側でした。

道教の太極図の

白い部分が光、昼、大陸で黒い部分が影、夜、海でしょうか。
黒い部分に中央にある白い丸が東の島(日本)だったのかもしれませんね。

同じ時代に、インド北西部では
ブッダ(ゴータマ・シッダールタ)が釈迦族の王子として生まれて、バラモン教支配の元
仏教が生まれます。

西洋では、2000年前になりますが、ユダヤ教の時代に、イエスキリストが生まれて
キリスト教が生まれます。

儒教も道教も宗教ではありません。神様になるような人は存在しません。
思想と云うか、現在では哲学の様なもので、幸福の人生感みたいなものです。
ブッダの仏教も同じで、バラモン教(ヒンズー教)の時代に悟りを開き幸福な人生を送りための教えでした。
中国へ伝わる時代には、ブッダは、釈迦如来となり宗教となっています。
イエスキリストは生まれたあ時から神の子とされています。
まだ、地球や宇宙について知らない(科学がない)時代で
遠くの国々との交流も出来ない時代です。
そして、権力を維持する為の宗教が支配していた時代
遅れて、預言者たるムハンマドの教えをまとめたコーランが出来、イスラム教が生まれたのは7世紀の事です。