凡人マスター

音楽、映画、場所、食べ物、言葉、生活用品…私的オススメをご紹介。
気になるものは拾ってあげてくださいね。

磯崎新と福岡オリンピック/丹下健三の遺言 

2006年04月08日 | 建築&アート
福岡市は、今月24日に2016年五輪に立候補正式表明することを明らかにしている。
もちろん市民からは賛否両論の声が。
私の周りでもいろんな意見を耳にする。

『  福岡をアピールするチャンス/街にも人にも活気が出る/
   今のこどもたちの素敵な想い出になる

   経済効果やインフラ整備のためか/税金の無駄遣いだ!
   福祉が先だろう/開催期間中の治安が心配…         』

どっちの意見にも「うん、うん」と頷いてしまう。

私はそれらと違う観点からオリンピックの動向を見ている。
このオリンピック、制作総指揮者が建築家の磯崎新氏なのだ。

詳しい経歴は名前のところをクリックして見てもらいたいのだが、日本の現代建築を牽引してきた人であり、その影響力は海外へも及んでいる。ビルやホールだけじゃなく、1964年の東京、1990年のバルセロナ、そして2006年トリノ冬季オリンピック(アイスホッケー会場)の設計にも携わってきた人だ。

ちょうど昨年の今頃、丹下健三氏がこの世を去った。
日本建築史に偉大なる遺産を残して。
その葬儀で弔辞を読んだのが愛弟子である磯崎氏だった。
氏はその中でこんなことを言っていた。

建築することとは、単に街や建物を設計することではない、
人々が生きているその場のすべて、社会、都市、国家にいたるまでを構想し、
それを眼に見えるように組みたてることだ。
これが、私たちが教えて頂いた<建築>の本義であります。
先生はこの本義を体現されていました。
<建築>の化身だと私が考える由縁であります。

       <中略>

ウィルという言葉には意思とともに、遺言という意味があります。先生が遺された作品の数々がそのままウィルにあてうるでしょう。だがそれだけではない。もうひとつの意味である意志、つまり<建築>を構築しようとする意志、それを忘れてはいけない。


磯崎氏は今75歳。オリンピックが開催される年には85歳になっている。
年齢からみても大きなプロジェクトは恐らく最後になるのではないだろうか。

数々の作品を本で見たり、時には訪ねたりしてきた。
このオリンピックは丹下→磯崎ラインで<建築>の本義を体感できるチャンスなのだ。
しかも地元で普通に生活しながらだ。

『人がいて街がある、街があって人がいる』
スポーツを通しながらそんなシンプルなことが体感できるだろう。
そして、いろんな感情や夢を抱くだろう。

建築は本当にいろんなことを教えてくれる。
そのことに気付いてから私の世界はぐんぐん広がっている。