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「五綱」・「教」

2022年09月09日 | 日蓮正宗要義(一)

①日蓮正宗要義 改訂版からの転載

 第一章 日蓮大聖人の教義

 第一節 五綱

五綱とは宗祖日蓮大聖人が教機時国抄等に示された教判であり、教・機・時・国・教法流布の前後の五つをいう。教機時国抄に

 「此の五義を知りて仏法を弘めば日本国の国師とも成るべきか」(新編二七一)

と仰せのように、正しい仏法を弘め民衆を救うためには、その宗旨の決定に当たり、右の五つの方面から厳密にその意義を究め尽くさなければならないのである。

 故にこの五義は宗教を批判選択し、宗旨を決定する原理であり、大綱であるから、五綱教判というのである。またこの五義の詳細については、開目抄・観心本尊抄・撰時抄・報恩抄、その他重要御書の各処に、それぞれ明確に述べられている。

 第一項 教

 教とは天台大師が法華玄義一に

「聖人下に被らしむるの言」(玄上−二九)

 と示している。この聖人とは釈尊であり、その言とは一代仏教を指しているが、もし広義に論ずれば、古今を通じてあらゆる民族の歴史に現われた宗教・哲学・道徳・生活法の一切を含むのであり、これを説いた多くの先覚者・指導者が聖人に当たるのである。

 人類は有史以来から、その時々の環境に順応しつつ、またこれを超克して発展してきた。

 開目抄の

 「三皇已前は父をしらず、人皆禽獣に同ず。五帝已後は父母を弁へて孝をいたす」(新編五二三)

 の文のごとく、各民族あるいは部族の歴史的段階においては、倫理・道徳などが初めにはなかったのを、聖人が出現してこれを教え、次第に万物の霊長としての人間生活が形成されてきたのである。また、したがって固有の世界観・人生観が発達して宗教・哲学を持つようになり、論理観・道徳観の発展とともに善悪の観念が定まり、これによって社会の秩序と統制等が保たれたのである。

 一口に教えといっても、その含むところは実に膨大であり、世界人類文化史上の精神面のすべてを含んでいる。その様相は広くは世界宗教史、あるいは哲学史・倫理史を開かなければならないが、要するに教えの教えたる所以は、まず適切な真理観と価値観を教え、道理を基本とする善悪を教えて、正善の道へ人を趣向せしめるところにある。それが終局的には大きな幸福につながる道だからである。もし真理感が不備であれば、教法の内容・視野ともに偏狭であり、価値観に欠けるときは実益を伴わない意味がある。しかるに何が善で何が悪であるかは、従来の人類文化の足跡に徴するに、その時代により社会によって判断基準が様々である。

 過去に善であったものが現在は悪であり、その逆となることもある。また個と全、団体的基準と社会的基準、社会的基準と国家的基準、国家的基準と人類的基準等で善悪が異なることも見受けられるところである。例えば国家間の戦争では、敵を殺すことが善として賞されるが、人類愛の見地からは人を殺すことが悪とされるようなものである。更に世間法としての善悪と出世間法すなわち宗教としての善悪がある。これらの評価は、その教えとともにまことに様々であって、もし一概に並べて、その言を問うとき、甲論乙駁まことに帰趨を知らないものがあろう。教法といい、善悪というも、その時代に従った基準、すなわちその時代に現れている真理の段階に基準を立てなければならない。

 一般的には、善とは理に順うことをいい、悪とは理に違うことをいう。しからば何が不完全で、何が完全な理であるかという真理の高低、広狭、適否が判定されなければならない。そこにもろもろの真理や、善悪を説く一切の教法自体を判釈する必要があるのである。

 このすべての意義を含みつつ、仏教が最も生命の本質を正しく把握し、説き示す教えであるゆえに、最終的には、広大な仏教の内容を整理決判することが、真の教えを顕わすうえに必要となる。これが印度から中国にかけて興った仏教各家の教相判釈、いわゆる教判である。

 印度では仏滅後七百年の頃より、竜樹・無著・天親等の論師が現れて、大乗教を高揚して、以前の小乗との差異を明確に説いた。中国においては、小乗・大乗の諸経典をそれぞれ比較し、所依とする経典を中心として、他の経典の位置を決定する体系化の作業が、諸家によって立てられた。

 但しこれらは、その基準とし、所依とする経典の意義・内容によって正誤様々であった。中国の南北朝時代には南三北七といい、揚子江の北に七家、南に三家の代表的仏教学派があり、それぞれの教判を立て、自らの教義を鼓吹した。このうち南地の三家は、常住教として涅槃経を第一とすることは共通している。北地の七家は、あるいは涅槃経を立てる者、華厳経を第一とする者、あるいは満字教・一音教等様々であるが、帰するところは華厳と涅槃の二経が、判釈の中央となっていることが目立つのである。

 この跡を受けて、中国の陳・髄の時代に天台宗の開祖智顗(天台大師)が出現し、法華経を中心とする一大仏教体系を打ち立て、仏教の意義を全体的に明らかにしたのである。

 そこで以下、教綱を述べるに当たり、初めに天台の教判について説明し、次に大聖人の独自の教判を拝述する。けだし天台の教判は、一には釈尊一代の仏教の始末を一括して、その意義を明らかにするものであり、二には大聖人の仏法にあっても、その外郭的な基礎として依用されているからである。

 要するにこの教綱の意義は、大聖人が開目抄に

「教の浅深をしらざれば理の浅深弁ふものなし」(新編五六一)

 と仰せられるごとく、真理や善悪の浅深は、一にかかって教えの判定の正邪如何に存する。このうえから教法に関する一切を爼上にして、その高低・正誤・方便と真実等を判ずるのが第一の教綱である。