「大白法」平成30年8月1日(第986号)
日蓮正宗の基本を学ぼう 119
日蓮大聖人の御生涯 ⑤
宗 旨 建 立
今回は、宗旨建立とそれに伴う「日蓮」の名乗りについて学んでいきましょう。
三月二十八日
建長五(一二五三)年三月二十八日の明け方、蓮長は、清澄山の頂に歩みを運ばれました。
二十二日から思索を重ねること七日、ついに
「上行菩薩の再誕・末法の法華経の行者として、 いかなる大難が競い起ころうとも、
南無妙法蓮華経の大法を弘通しなければならない」との不退転の決意を固められたのです。
そして、太平洋の彼方から太陽が昇り来たると、法界に向かって声高らかに
「南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経」と御題目を唱え出だされました。
これは、天台大師・伝教大師はおろか、インド応誕の釈尊も唱えることのなかった、
蓮長自身の内面の御悟り、内証の題目を初めて開き宣するものでした。
この後、師匠・道善房の持仏堂において、
浄円房など順縁の人々に対して、念仏と禅の破折の御法門を説かれました。
この説法の相には、破邪を面とし、少機のために末法下種の大法を示す意義が拝されます。
この御説法について『清澄寺大衆中』には、
「虚空蔵菩薩の御恩をほうぜんがために、
建長五年三月二十八日、安房国東条郷清澄寺道善の房の持仏堂の南面にして、
浄円房と申す者並びに少々の大衆にこれを申しはじめ」 (御書 九四六㌻)
と、また『善無畏三蔵抄』に、
「此の諸経・諸論・諸宗の失を弁へる事は虚空蔵菩薩の御利生、
本師道善御房の御恩なるべし。亀魚すら恩を報ずる事あり、何に況んや人倫をや。
此の恩を報ぜんが為に清澄山に於て仏法を弘め、道善御房を導き奉らんと欲す」
(御書 四四四㌻)
と仰せられています。
このことから、三月二十八日の内証の題目開宣には、
十二歳の頃から祈念し、後に智慧の宝珠を授けてくださった虚空蔵菩薩と、
出家得度の師である道善房に対する報恩の意義を含まれていることが明らかです。
四月二十八日
次いで一カ月後の四月二十八日早暁、改めて清澄山頂に登られた蓮長は、
旭日に向かって御題目を唱えられ、妙法の宗旨を建立されました。ここに、
広く万機のために題目を開示するという、
一切衆生に対する妙法弘通の宣言がなされたのです。
『曽谷入道殿御返事』には、章安大師の釈を引用された後に、
「妙法蓮華経と申すは文にあらず、義にあらず、一経の心なり」(御書 一一八八㌻)
と仰せられています。この題目は単なる経典の題号ではなく、
法華経の文底に秘し沈められた肝心の法であると説かれているのです。
また『秋元御書』に、
「三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給へり」(御書 一四四八㌻)
と仰せられ、
この題目こそ、諸仏が成道された根本の法であり、
一切の功徳が納まっていることを明かされています。
末法の一切衆生は、この南無妙法蓮華経の題目を受持信行することにより、
必ず成仏を遂げることができるのです。
この時蓮長は、自身の御名を「日蓮」と改められ、
本格的な妙法弘通の初めての説法、初転法輪に臨まれました。
初転法輪については、後年、『聖人御難事』に、
「去ぬる建長五年太歳癸丑四月二十八日に、安房国長狭郡の内、東条の郷、今は郡なり。
天照太神の御くりや、右大将の立て始め給ひし日本第二のみくりや、今は日本第一なり。
此の郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして午の時に此の法門申しはじめ」
(御書 一三九六㌻)
と、述べられています。
清澄寺諸仏坊の持仏堂において、聴衆に対して破邪に即する顕正の説法、
つまり釈尊の教えが力を失った末法の今、念仏等の諸宗はすべて悪法であることを強調され、
時に適った正法である妙法を信受すべきことを勧められたのです。
聴聞衆の動揺
諸宗各派の修学研鑽を終えた日蓮大聖人が、
どのような説法をするかと期待していた人々にとって、
これまでの信仰を否定するその内容は、驚きと怒りを呼び起こすものでした。
念仏の信者であった安房東条郷の地頭・東条左衛門尉影信も、
この説法を聞いて怒りを露わにし、大聖人の身に危害を加えようとしました。
師匠・道善房は、清澄寺の混乱と地頭の権力を恐れるばかりで何もできず、
大聖人は、法兄の浄顕房・義浄房の助けによって清澄寺を退出し、
領地の外へと逃れられたのです。
大聖人は、法華経『観持品第十三』の、
「諸の無智の人の 悪口罵詈等し 及び刀杖を加うる者有らん(多くの無智の人々が
あって、悪口を言い、罵倒し、また刀や杖を用いて危害を加える者が現われる)」
(法華経 三七五㌻)
「数数擯出せられ 塔寺を遠離せん
(たびたび所を追われ、寺院・廟所から遠く追放される)」(法華経 三七八㌻)
等の経文に照らして、様々な大難が競い起こることをご存知でした。
それでも一切衆生を救わんと、妙法蓮華経の大法を弘通する決意を固められ、
万機に対して法華の正義を顕彰なされました。
まさにその日から、経文に予証せられた様相が事実として現われたのです。
「日蓮」の名乗り
大聖人は、宗旨建立に当たって「蓮長」の名を「日蓮」と改められたことについて、
甚深の意義があることを『産湯相承事』(御書 一七〇九㌻)に明かされています。
また、「日」と「蓮」の各々の文字については、『四条金吾女房御書』に、
「明らかなる事日月にすぎんや。浄き事蓮華にまさるべきや。法華経は日月と蓮華となり。
故に妙法蓮華経となづく。日蓮又日月と蓮華との如くなり」
(御書 四六四㌻)
と示されています。
法華経『如来神力品第二十一』に、
「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅し」
(法華経 五一六㌻)
と、また同じく『従地涌出品第十五』に、
「世間の法に染まざること 蓮華の水に在るが如し」(法華経 四二五㌻)
と、末法に出現する法華経の行者の御化導が説かれますが、
この「日月」と「蓮華」から「日蓮」と名乗られたことが拝されます。
この経文の如く、予証された上行菩薩の再誕として末法濁悪の世に出現され、
常に蓮華のように清淨な御振る舞いにより、
妙法をもって一切衆生の闇を除かれるという深意を、御名に明示されたのです。
「日蓮」の御名については、総本山第二十六世日寛上人が、『日蓮の二字の事』に
その御徳を示され、さらに甚深の義を含むことを明かされています。
さらに『寂日房御書』には、
「一切の物にわたりて名の大切なるなり。(中略)日蓮となのる事自解仏乗とも云ひつべし」
(御書 一三九三㌻)
と、その名号は仏の境界であることを示されています。
ですから、「日蓮」との御名は末法の御本仏の名称であると拝することが大切であり、
日蓮正宗では「日蓮大聖人」と尊称申し上げるのです。
「大聖人」との呼称には、
三世を達観される「聖人」と、仏様を顕わす「大人」の意義が込められています。
日蓮宗等では、「聖人」や「大菩薩」といった呼称を用いますが、
これは大聖人を御本仏と拝することができない故の間違った呼称なのです。
私たちの信行にとって、大聖人こそ末法の御本仏であるとの確信に立ち、
自行化他・折伏育成に励むことが肝要です。
次回は、ご両親の入信と鎌倉での弘教について学んでいきましょう。