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Rー50人生100年時代の私のライフデザイン。定年後の定年のない人生。終身フリーランス。

Rー50、50歳未満入場禁止。年金に頼らずに楽しく仕事を続けていくためのライフデザインとビル管理業界の話。

R-50のライフデザイン:私が最初に立てた「ライフプラン」

2020年09月21日 00時00分34秒 | ライフデザイン
さて、67歳になった現在、ビル管理業界に席をおいており、前回までビル管理業界について新参者として見たこと、感じたことをブログに書いてきました。ビル管理業界に入ったのはわずか8年前です。それまでは、ハードディスク業界、半導体業界でエンジニア、マーケティング、営業および経営を担ってきました。たまたまそうなったのではなく、自分なりにスキルアップを図り、自分で進路を選択して今に至ったのです。そのベースになったのは、1978年に立てた「ライフプラン」です。

サラリーマン2年目の1978年、最初のライフプランを作成しました。『経営学教科書~学生から企業人への人間革命』(坂本藤良著、1965年)に触発されて作成しました。グラフ用紙の縦に西暦と自分の年齢を記入。その横に仕事、自己啓発および私生活の三分野に分けて目標やイベントを記入しました。



仕事ではなりたい役職、自己啓発には英語検定や取りたい資格、私生活では(まだ、結婚はしていませんでしたが)結婚やマンション購入、子供の養育などを記入しました。25歳から50歳までの25年間の計画でした。

同じ項目を使って年次計画を立案。覚えるべき業務や習得すべき技術領域、海外赴任に必要な自動車免許の取得、英会話学校への通学、電気主任技術者の資格取得のための電気工学の学習、マンション購入の頭金を貯めるための計画を列挙。

「ライフプラン」という言葉を使ったのは、恐らく上記の『経営学教科書』に使われていたからだと思います。「ライフプラン」は、直訳すれば「人生の計画」。一般的には人生の中で想定されるイベントを考え、お金が必要になるタイミングやその金額を把握して貯蓄(資金)計画を立てることをいいます。

私の場合は、お金にまつわる計画よりも、自分の価値観に基づいた働き方の実現を目指した計画なので「ライフデザイン」の方が適切かと思います。

この「ライフデザイン」を1978年に作成し、それを毎年、年末に見直し改定し、翌年の年次計画を立案するという「習慣」を42年間続けてきました。最初の「ライフデザイン」は、願望の羅列でしたが、習慣として続け、改良・改善を図ることにより、計画の精度もあがり、努力の甲斐のある、有意義な人生を送ることができていると思います。

人生100年時代、「ライフデザイン」の作成は50歳を過ぎてからでも遅すぎることはありません。次回は、私の最新の「ライフデザイン」を紹介します。「プランなどなしに気楽に生きるべきだ」「年金生活で十分」などと言った意見が聞こえそうですが、それほど気楽に残りの人生を送れるとは思っていません。その辺りも話しながら進めていきます。

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ビル管理:人生100年時代のライフプラン

2020年01月13日 01時17分47秒 | ライフデザイン
正月明けの一週間は結構、仕事の密度の濃い5日間になった。

支援先に外資系企業が多いため、クリスマスの前あたりから顧客の反応がスローになり、年末は少し楽になった。
しかし、逆に年始、海外の企業は2日から始まっているので、私のメールボックスのメールも溜まっているし、海外にはエンジン全開の人もいる。
こちらも年始の挨拶もそこそこにほぼエンジン全開。

この三連休はありがたい。旧正月、早く来てくれ(アジア地域の会社が休みになるところが多いので)。

さて、「一年の計は元旦にあり」、物事を始めるには最初にきちっとした計画を立てる必要があるとの意味。私は、ライフプランの見直しを行った。
I社に入社する前に読んだ新入社員向けの本(タイトルや著名は忘れた)に、ライフプランの重要性が書かれていた。そこで定年までの35年間の計画を立てた。
入社前の計画だったので、具体性は乏しかったが、会社での地位、年収、第3種電気主任技術者と中小企業診断士の資格取得が入っていた。

第3種電気主任技術者の資格は、工業高校の電気科に在籍していたことの証として取りたかった資格であった。
中小企業診断士も高校時代の友人の先輩が資格を取り、大学の講師等で活躍していると聞き、「では、自分も」と加えたものであった。

I社に定年までいる予定の計画であったが、そこでの生活は14年で終わり、ライフプランの内容も、キャリアプランに近いものになった。
第3種主任技術者の資格はI社時代に取得し、中小企業診断士の資格は、I社退職後、5年目に取得した。

そして、2010年にK社退職をもって、最初のライフプランをクローズし、新しいライフプランを立て直した。
そこには、自分の仕事のプランだけではなく、妻との旅行のプランや子供たちの結婚や孫が生まれる勝手な予想も入れた計画になった。
いつぽっくり行くか分からないので、計画は10年、詳細計画は5年だ。引退は含まれていない。死ぬまで働くからだ。

どうやったら収入を継続できるかを常に考える。リスクアセスも行い、今の柱となっている仕事が無くなった場合の代替案(プランB)を細かく検討する。
それでも人間の考えられる範囲は限られており、想定外のことも起きる。その時は、リスクを最小にして、プランBに迷わず移る。

第3種主任技術者の資格は、ビル管理業界に入るきっかけとなった。
中小企業診断士本来の仕事は、ほとんどしていないが、I社やK社などの「看板がなくても活かせる人脈」の構築におおいに役立ったし、今でもそのネットワークは強い。

ことが起きてからではなく、リスクをマネージして、ことが起きる前に動こう!機敏に!ネズミのように。ちょろちょろと。

頭が薄くなったミッキーマウス!
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