Rー50人生100年時代の私のライフデザイン。定年後の定年のない人生。終身フリーランス。

Rー50、50歳未満入場禁止。年金に頼らず楽しく仕事を続けていくためには、しっかりしたライフデザインが必要です。

R-50 ライフデザイン:人生終盤のつまずき、熟年離婚 -「きっかけは役職定年」 

2024年08月31日 21時51分28秒 | ライフデザイン
ネットで見かけた熟年離婚の記事。

きっかけは役職定年だそうだ。

私は役職定年なるものを経験していないので分からないが、要は役職ではなくなり、給料も下がる制度らしい。

「収入がないならもう面倒はみないわ」と奥様から離婚を切り出されるらしい。

役職定年が分かっているなら、早々にもっと良い仕事を見つければよいと思うのだが。

それを行う準備も整っておらず、もともとそういうライフプランもないのだろう。

みんな役職定年なんだから僕も、といったメンタリティ。

では、その記事を。

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大手メーカーに勤めていた55歳の夫に、50歳の妻が離婚を切り出した。数年前のことだ。きっかけは「役職定年」だった。

55歳や60歳など、ある年齢に達すると管理職の肩書が一律に外され、給料も下がる「役職定年制度」は今も多くの企業が採用する。

妻から相談を受けた堀井亜生弁護士によると、この夫も役職定年の対象となり、年収はほぼ半減。社内の一線から退いたことでモチベーションが下がり、情緒不安定になったという。

老後資金を計算し、「貯金がぜんぜん足りない」と妻に激怒。これまでの家計管理を妻から細かく聞き出し、「何をやっていたんだ」「俺はこれまですごく稼いだのに」などと暴言を吐いたり、暴力をふるったりするようになった。

妻は夫から渡される生活費をやりくりしてつつましく暮らしていたが、子どもたちの学費や住宅ローン返済、夫の両親の病気などもあり、貯蓄は思ったほどできなかったという。

夫は高収入ではあったものの、頻繁に仕事の付き合いと言って飲み会やゴルフにでかけ、浪費が多かった。

子どもたちが独立することになり、2人だけの生活は耐えられないと、妻は家を出た。

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R-50 ライフデザイン:人生終盤のつまずき、熟年離婚

2024年08月24日 18時15分03秒 | ライフデザイン
20代からライフデザインを行い、日々の努力を惜しまず、それなりの社会的な地位を得ても、人生の終盤でつまずくことがある。

その一つが、奥さんから切り出される熟年離婚。

私の職場に熟年離婚した女性がいます。

元のご主人は大手企業の事業部長。しかし、そのモラハラに耐えられず息子の大学卒業と同時に離婚。

ご主人はその後も出世を続けたが幸せか?奥さんの方は、自由を満喫。息子夫婦や孫と会っておばあちゃん役を楽しんでいる。

奥さんにその兆候がないか、そっと様子をうかがってみよう。

以下、8月13日の朝日新聞の記事

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「熟年離婚」の割合が過去最高に 長寿社会、役職定年も背景に

「役職定年」後の離婚が増えているという

 2022年に離婚した夫婦のうち、同居期間が20年以上だった「熟年離婚」の割合が23.5%に上り、統計のある1947年以降で過去最高になった。離婚件数自体は減少傾向にある一方で、熟年離婚の件数は高止まりしている。高齢化により「夫婦の老後」が長くなったことで、人生を再設計するケースが増えていることが背景にあると専門家はみている。

 厚生労働省の22年の人口動態統計によると、離婚の全体件数は17万9099組(同居期間不詳の1万2894組を含む)で減少傾向にあり、ピークの02年(28万9836組)に比べると約4割減っている。

 一方で、同居期間20年以上の夫婦の離婚は3万8991組で、この20年以上、4万組前後で高止まりしている。同居期間不詳を除いた全体件数に占める「同居20年以上」の割合は23.5%で、前年から0.8ポイント上昇した。

 22年の同居期間の内訳は、20年以上~25年未満が1万6404組、25~30年が1万829組、30~35年が5192組、35年以上が6566組だった。最も多いのは同居期間5年未満の離婚で5万2606組(全体の3割超)だったが、その数や割合は年々減ってきている。人口減などで婚姻数自体が減っていることが影響しているとみられる。

 熟年離婚の比率が高まっている背景について、専門家は長寿社会の影響を指摘する。

 NPO法人・日本家族問題相談連盟理事長で離婚カウンセラーの岡野あつこさんは「1950年ごろの男性の平均寿命は約58歳。定年後、夫はそれほど長く生きる存在ではなかったが、今や男性の平均寿命は81歳と、戦後、平均寿命は大きく延びた。このため、子どもが独立すると定年後に夫婦で過ごす時間が長くなり、性格の不一致などから一緒にいることに耐えられず、新しい人生を歩みたいと夫婦関係をリセットしようとするケースが目立つ」と話す。

 家計をめぐる環境の変化がきっかけになることも。これまでに2千件を超える離婚訴訟や夫婦トラブルを扱ってきた堀井亜生弁護士は「以前は夫の定年退職がきっかけで離婚するケースが多かったが、最近はその前段階での離婚相談が増えている」と話す。

 一定の年齢で管理職から外される「役職定年」などで年収が大きく減ることで夫婦間に亀裂が生じ、離婚に至るケースも目立って増えているという。(編集委員・森下香枝)

<「俺は大丈夫だ」>

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R-50 ライフデザイン:「博満、やめるってよ」(3)- 彷徨う魂

2024年08月18日 09時46分00秒 | 博満やめるってよ
大学講師と葬儀屋のバイトの二束のわらじのスターがスタートした。

博満のような仕事の仕方をする人は少ない。

会社で役職、特に役員になったような人は、今までと同様に威張れる、ゴマをすられる立場にいたいのだ。

実際、親会社で役職に就いていた人は、扱いが難しく、子会社や関連会社でも鼻つまみになるケースが多い。

ただ、親会社から頼まれたから、関連会社から頼まれたから、断れないから、受け入れただけなのだ。

なのに、本人は役に立っていると心から思っている。

博満は一度だけ日本企業(大手商社の子会社)に席を置いたことがあった。

そこでの会話。

「博満さん、どこの大学?」「僕はね、日比谷高校から東大の法学部。本社では・・・・・」

聴いてねーよ。今は子会社の顧問でしょう!

それが分かっている博満、さっさと今までいた業界を卒業し、別のことを始めた。

博満は新しい物好きともいえる。

その一つが葬儀屋のバイト。

仕事内容は、葬儀場の夜勤。

夜、6時に到着し、翌朝の8時まで勤務。

12時以降は寝て良いとのことで、折りたたみ式のベッドで寝て、7時には起きる。TVを見ても構わない。

具体的な仕事は、

・夜間にかかってくる顧客からの電話を受け、一時対応し、営業に通知
・夜間に訪れる弔問客への対応。ご遺体を冷蔵庫から出し、お線香などを準備。
・ご遺族が泊まり込んだ場合の質問対応。例えば、「コンビニは?」

である。

つまり、ご遺体とともに葬儀場に泊まり込むのが仕事だ。

ご遺体は冷蔵庫に保管。最大6体まで収容可能。冷蔵庫の温度は5度(チルド状態)に設定。

泊まり込む事務室の隣に冷蔵庫が設置されており、なんとなく夜中に現生に未練のある霊魂が彷徨いでてくるような気がして、しばらくは落ち着かなかった。

が、好奇心旺盛の博満、ここでも大きな学びを得た。詳細は来週。

<葬儀に関する知識を活用する場は少ないが、知っていると親族が亡くなったときに役立つ>

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R-50 ライフデザイン:「博満、やめるってよ」(2)- 1日、3500円

2024年08月10日 22時55分30秒 | 博満やめるってよ
大学講師の仕事は、週二回90分授業を受け持つ。

講師業は博満の好きな仕事の一つで、サラリーマン時代も専門学校の講師を引き受け、3年続けた。

幸い、競合会社の手伝いなどビジネスに影響を与える仕事は許されないが、
本人の能力開発や社会貢献に役立つ仕事に就くことは認められていた。

博満のような役員は、退職後、あるいは退職前に、別会社の社外取締役に就く人もいるわけだが、博満は現場が好きなのだ。

専門学校の講師の時給は1万円。

授業の準備に授業時間の10倍かかるとはいえ、悪くない。

テキスト作成費やテストの作問・添削費は別にもらえるのだ。

一方、大学講師の仕事は時給3500円。

これも他の仕事と比べてると悪くなさそうだが、授業の準備の時間を考えると、ほぼボランティア。

ただ、教える楽しさはある。

博満は中小企業診断士の資格を持っており、製造業の営業をテーマにほそぼそと活動をしてきた。

その縁で、大学講師の仕事ももらえたわけだが、もう少し違う分野を研究してみようと博満は考えた。

レストランやコーヒーショップ、居酒屋などの飲食業や八百屋、魚屋などの個店経営などは書籍もあり勉強していた。

全く知らない世界に飛び込んでみたい。

風俗産業。

ちょっと無理。やくざがらみになったら大変だし、はまったらさらに人生を誤るかも。

では、キャバクラ、ホストクラブ、ショットバーなどの、いわゆる水商売はどうか。

普段からモテモテの博満。

ホステスとまずい関係になり晩年の人生設計を誤ってはと考えた。

では、葬儀屋はどうか。

華やかさには欠けるが、高齢化社会の進展にともない、きっと儲かっているはず。

葬儀屋の仕事について人生を誤ったという話は聞いたことがない。

地味な業界だ。

という訳で、早速、葬儀屋の募集広告に応募し、見事合格。

夜勤の仕事を始めることになった。ちなみに、一晩、1万円。

役員までやった博満の仕事じゃないぞ、と言われそうだが、好奇心が勝る博満、お構いなし。

大学講師と葬儀屋のバイトの二束のわらじのスタートだ。

<最近の散歩コース、青山霊園>


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R-50 ライフデザイン:「博満、やめるってよ」(1)- 自由の身に!

2024年08月05日 09時53分15秒 | 博満やめるってよ
博満がサラりーマンから足を洗ったのは60歳のときだった。

定年退職ではなく、希望退職に乗ったもの。

米国メーカーの新規事業開発担当役員だった博満、10年ほど日本の子会社に席を置いていたが、
組織的には米国の新規事業部に属していた。

いわゆる「レポートライン」は米国の役員、日本法人は宿を借りているようなもの。

それが一年ほど前から、レポートラインが日本法人の社長に代わり、
わがままな博満、途端に息苦しく感じるようになった。

細かい報告が求められるようになり、社長と近しい営業マンが博満の組織に送り込まれてきた。

国内外を自由に飛び回り新規事業を伸ばす、実際にそうしてきたと自負する博満。

しかし、残念ながら、管理されるのは嫌いで我儘な性格の博満には向かない組織に変わってしまった。

そこに降ってわいたリストラの話。6か月分の割増退職金がでるとのこと。

役員にもこの制度が適用されるのか、人事に確認すると、OKとのこと。

で、先のことも考えずに退職を決心。

晴れて自由の身に!

ライフデザインどおりではないぞ。

しかし、それまでに4回ほど転職していたので、博満は心配もせずマイペース。

なんとかなる。まずは旅行の計画だ。

という訳で、米国ロサンゼルスと中国への旅行を実施。気分転換だ。

そうこうするうちに、退職の話を聞きつけた知人から、大学講師の話があり、教授と面談。

これは今までいた業界のネットワークではなく、中小企業診断士のネットワークからの紹介。

いろいろな人的ネットワークを構築しておいてよかったの~。

大学の講師は、やりたいことの一つだったので、博満は乗ることにした。

<退職直後のロサンゼルス旅行>
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R-50 ライフデザイン:「XXX、やめるってよ」(0)- ネーミンング

2024年07月29日 23時12分40秒 | 70歳の転職
この2週間自分の転職体験を書いてきたが、自分のことでもなんか名前があった方が書きやすいな。

私小説的なブログ。

前回は「裕次郎、やめるってよ」の裕次郎は、60歳以上の人ならだれでも思い浮かべる石原裕次郎から借用。

私と同じ1953年生まれの有名人は、

役者・バラエティ:関根勤、松平健、萩原流行、国広富之、三田村邦彦、石丸謙二郎、平田満、おりも政夫、
歌手:山下達郎、甲斐よしひろ、稲垣潤一、桑名正博、円広志、
スポーツ:落合博満、ジーコ、中嶋悟、北の湖敏満、宋茂・猛、藤波辰爾

などなど。女性には研ナオコ、竹下景子などいるが・・・・

裕次郎と張り合えて私のキャラに近い名前、ないな。

語呂的には謙二郎。

女性に成りすますにはライフデザインいやライフスタイルが違いすぎる。

裕次郎の相手役だったRuriko Asaokaは使えないな。

生き方が好きなのは落合。『嫌われた監督-落合博満は中日をどう変えたのか』(鈴木忠平著、文藝春秋)も読んだ。

ライフデザインがテーマなので落合にするか。

では来週から「博満、やめるってよ」を連載開始。

<博満、多摩川を歩く>

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R-50 ライフデザイン:自分の転職の話(2)- 70歳での転職

2024年07月14日 20時56分09秒 | 70歳の転職
裕次郎の話が続いたが、「人のことばかり言って、お前はどうなのよ」と思った人もいたはず。

という訳で、以下は私(当時70歳)の転職活動の話。

「俺やってんだよ」」

2023年6月4日の記事(一部加筆修)********************************************************************************************************

新しい職場で働き始めて間もなく、元請の会社が次の5年間の契約を失注

その契約を取った会社に移るか、元請の会社に残って別の職場に行くかの選択が必要になった。

私は迷わず後者。すぐに元請の会社の社長に伝えた(8人メンバーがいて6人は新しい会社に移った)

その理由は、

・半年ほど今の仕事をやってみたが、仕事の範囲が想定よりも狭く退屈。週五日3人体制で勤務。3日働けば十分こなせる仕事量と内容。
 (書き物としてのScope of Work(職務範囲)は充実しているが、実際の仕事の範囲は狭かった)
 (その年で贅沢だね、と言われるが、退屈は嫌い。学ぶことも少ない仕事は脳の活性化に役立たない)

・元請の問題点を把握しており、これからも仕事をいただける可能性が高い
 (ソリューション営業なら当たり前に考えることですね)

・元請に自分で営業して取ったの仕事なので未練がある

という訳で、元請残留が決まり、次の職場に来月から行くことになった。
(新しい職場に行く前に2週間ほどに旅行)

契約金額が下がったのは残念。

また、新しい職場の指導的立場の人が入院したとか。どうなるんだろう!?

いろいろな問題がある元請・職場だから、この歳でも重宝がられて呼ばれるんだ。

<ビルの数だけFM/BM(Facility Management/Building Management)の仕事はある。だが、差別化には戦略が必要>
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R-50 ライフデザイン:自分の転職の話(1)- 70歳での転職

2024年07月06日 17時59分06秒 | 70歳の転職
裕次郎の話が続いたが、「人のことばかり言って、お前はどうなのよ」と思った人もいたはず。

という訳で、以下は私(当時70歳)の転職活動の話。

「俺やってんだよ」」

2023年5月27日の記事********************************************************************************************************

昨年の夏に就活してみた。

2021年の末で6年お世話になったJ社のビル管理の仕事を辞め、妹夫婦とともに子宮がんになった母の介護に専念。

自分もしばらく休みたいという気持ちもあった。なんせ、業務受託契約で6年間、代休以外の休暇はなし。

更にその前のS社も同様な契約で、かつ、完全にブラックな企業であったこともあり3年間休暇ゼロ、代休もゼロ。

母が3月に亡くなり、葬儀や納骨、遺品整理、役所の手続きが終わった6月末に旅行に行った。

その後、ビル管理業界を中心にネットで再就職先を検索。もちろん利用したサイトは複数。

自宅近くの物件を中心に大学や介護施設の設備管理10件応募。面談にこぎつけたのは、うち3件。

結局、全部不採用であった。不採用の理由は、年齢(これは推測)の他、横文字会社での転職が多いこと。転職がキャリア構築の一環と説明したかったが、その機会もなし。

という訳で、自分で営業開始。知り合いの会社と協力して、I社に的を搾った。知り合いの会社に声をかけたのは、個人では会ってもらえる確率が減るから。

外資系のビル管理会社であるI社はブッラック企業時代に薄く付き合っており、常に人材不足であることは分かっていた。

初回に社長と面談。やはり英語ができるファシリティ・エンジニアがいないとのことで、二回目の会議で入社がほぼ決定。

現場のマネージャーたちともTemasで面談し、11月1日から入社となった。

やはりニーズを探さないとね。営業の基本だ。

のんびりと仕事とはいかないが、新しい職場で新しいことを学び、脳に刺激を与えられるのが一番のメリット。

脳の活性化が一番の健康法だ。

こんな健康の話をすることが、70歳の証拠。

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R-50 ライフデザイン:「裕次郎、やめるってよ」(9)- 裕次郎との再会

2024年06月29日 21時49分11秒 | 裕次郎やめるってよ
「裕次郎。久しぶりだね」

若干、肌艶の良くなった伊良部体形の裕次郎がぎこちない笑いを浮かべて近づいてきた。

(伊良部については「裕次郎、やめるってよ」(3)をご参照)

そう、約一か月ぶりに飲むことになったのだ。

場所は北千住。裕次郎と気の合った経理の女性も参加。

地元の居酒屋に入り、ビールでスタート。

話が弾むような弾まないような。裕次郎の反応が少し鈍くなっている。

冗談に対する切り返しの切れが鈍っている。どうした関西人!

新しい職場に適応できなかったことがショックだったのか。

それとも無職状態で生活のハリがなくなったのか。

経理の女性も同じ印象だったとのこと。

裕次郎が強いストレスを感じ、体調を壊すことになったのは何故か。

本人は「社長からのきつすぎる要求」が原因と分析していたが、なぜきついと感じたのか。体を壊すほど。

私なりに分析すると・・・・・(何言ってるの部下のくせに、と裕次郎にではなくその他大勢にいわれそうだが)

1.能力不足・経験不足。
通信技術に強く、電気の知識もあったが、データセンタの総務的な仕事をしており、設備に関する耳学問的知識はあったが、設備の運用・管理に関する経験が不足していたようだ。また、5年くらいの海外赴任の経験もあったが、英語が得意とはいいがたかった。新しい職場は、基本が英語だったのだ。
2.テンポの違い。
最後の仕事は基本在宅でたまに職場で総務的な仕事を務めていたそうだ。40代には大きなプロジェクトで名を挙げたこともあったそうだが、会社として60歳を過ぎた人には閑職とまではいわないが、負荷の少ない仕事を与えていたのではないか。それが日本企業の典型的な人事施策?一方、新しい職場は外資系で、年齢に関わりなくそのポジションに必要な能力を求められ、着任した日からアウトプットも期待される。
3.手探りで進む。
裕次郎のいた会社はお役所体質の残る半官半民の近い会社で決まりごとが多く、仕事の仕組みが完成された会社だ。一方、新しい職場は、仕組みを作っては壊し、あるいは、常に変化し手探りで進む職場。裕次郎は同じ会社に40年以上勤めていた。「こんなの会社じゃない」と戸惑ったのではないか?

そう考えると、高齢者の再就職の教訓として次のようなことが浮かんでくる。

職場選びは慎重かつ適切に
  もう一度バリバリ仕事をするか、小遣い稼ぎと考えて単純な業務に就くか

関連会社か、まったく新しい職場か。あるいは自営か。
  変化を楽しめるか、苦痛になるか。


私は学びを通じて脳を活性化させ健康を維持が方針なので新しい職場、新しい仕事を選択。

いずれにしても家で一人はよくない。

「美しい人生を~・・・・・」職場の近くにこの方の事務所があった。


裕次郎またな!!

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R-50 ライフデザイン:「裕次郎、やめるってよ」(8)- 裕次郎からの電話

2024年06月22日 18時10分37秒 | 裕次郎やめるってよ
xxできるだけ「裕次郎、やめるってよ」(1)から読んでほしい。これは中高年の再就職物語。
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「辞める」「辞めない」の言葉が裕次郎の口からときどき出るようになった。

体がきついので在宅勤務にさせてくれと会社に願い出たが「試用期間中」であることもあり断られたそうだ。

裕次郎の場合は、三か月の試用期間中であった。

試用期間の途中で辞めた場合、紹介してくれた会社への紹介料(通常、年収の20~30%)はなくなる。

粘り強く交渉を続け、在宅勤務が認められたのが3月後半だった。

一方、会社は試用期間を6か月まで延長することを要求。裕次郎はこれをのんだ。

しかし、本当はその話が出たら辞めると決断していたらしい。

大手企業にいた裕次郎のプライドが傷つくのだ。

在宅勤務のある日、私の携帯に裕次郎から電話が入った。

「心臓がドキドキして止まらない。ニトロを飲んだ」

ストレスで自律神経がやられたのか。それにニトロを持っているということは心臓に持病を抱えていたということ?

それとなく聞いてみると「前に、心臓の病気になったことがあり、その残り」とのこと。

「奥さんもいないのなら救急車呼んで病院に行った方がいいよ」

「もう少し様子をみる」

そんな会話をした後、一時間後くらいであったろうか、

「やはり救急車を呼んだ。申し訳ない」

二日ほど裕次郎は入院。

退院後、退職することを会社に通知。

入社4か月目のリタイヤであった。

愛されるキャラの裕次郎が、退職に至ったのはなぜか。

60歳台半ばともなれば人間関係や仕事の対処法は分かっているはず。

入院までしなければならなくなったストレスの原因は?


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R-50 ライフデザイン:「裕次郎、やめるってよ」(7)- 裕次郎の心の揺らぎ

2024年06月16日 15時06分58秒 | 裕次郎やめるってよ
できるだけ「裕次郎、やめるってよ」(1)から読んでほしい。これは中高年の再就職物語。
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関西人でノリの良かった裕次郎からだんだん笑顔が消えてきた。

裕次郎が属している会社は、規模が小さく、社長、その下にチームリーダーのキーアカウントマネージャー、そして次が裕次郎。

このため社長から直接、あーしろこーしろと指示が入るらしい。

じゃーお前は?と聞かれそうだが、私は定年後は社員になることは避け、個人で業務受託。

ここでは裕次郎のいる会社と業務受託契約している別の会社と契約を結んでいる。

そう、間にバッファーをかましてある孫請けみたいな立場。でも給料は社員よりも良いかもしれない。

さて、裕次郎、社長から「今日中」というリクエストがどんどん増え、残業が増えてきた模様。

「きのうも11時すぎだったんや」と裕次郎。

「迷惑かけたくないから辞めんけど」

「でもこれを言われたら辞めると決めたんや」となにやら決意表明。

精神的にも肉体的にもきつくなり、思いつめているようだ。

「Pパブで気晴らししましょう」というと「北千住に・・・・」と乗ってきて笑顔に戻るが、
すぐに現実に引き戻されてしまう。

そんな状況がしばらく続いた。

<酔いの飯倉交差点付近、どのビルにもビル管理のエンジニアが>
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R-50 ライフデザイン:「裕次郎、やめるってよ」(6)- 裕次郎の憂鬱

2024年06月02日 11時07分11秒 | 裕次郎やめるってよ
できるだけ「裕次郎、やめるってよ」(1)から読んでほしい。これは中高年の再就職物語。
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議事録の「文責」、注文書の「発出」・・・・・裕次郎の文章にはときどき今まで見たことのない文言が並ぶ。もちろん意味は分かる。

読者の皆さんには見慣れた言葉かもしれないが、ほぼ外資系ばかりだった私には新鮮でもあった。

確かに誰が書いた議事録か、その所在を明らかにするように「文責 裕次郎」とするのは良いことだ。

さて、裕次郎は相変わらずおしゃべりで、他の部署に所用で行くと30分は帰ってこない。

しかし、一か月を過ぎたあたりから少し愚痴り、ため息を漏らすようになった。

一つは、先週書いたWebトレーニング。終了期限を過ぎてしまい、リーダーに大分、叱責されたらしい。

もう一つは、エンジニア・リード(マネージャと置き換えてもよい)としての仕事の増加。

中途採用の場合、即戦力として期待されているので、(特に外資では)入社したその日からアウトプットが求められる。

もちろに新しい会社なりのルールやシステムなどがあるので学習の期間は必要だが長くは待ってくれない。

むしろ「次の職場ではこうやって自分の思いを実現したい」と燃えて入社する人が多く、その思いを面接で語り、採用する側の理解を得た上で入社してくる。

その思いの実現のために自分の部下を新しい会社に連れてくることもいとわない。

裕次郎の場合、入社一か月がたち、自分で対処しなければならない仕事がどんどん増え、処理しきれなくなった模様だ。

その割には無駄なおしゃべりが多く、会議の進め方もスロー。これもリーダーの気に障ったようだ。

裕次郎がどんな心構えで入社したのかはわからないが、初めての転職、しかも外資。

いままで約40年勤め上げた半官半民に近い通信会社とはカルチャーが大きき異なったのではないか。

裕次郎の憂鬱は続いた。

<混沌>
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R-50 ライフデザイン:「裕次郎、やめるってよ」(5)- 裕次郎の格闘

2024年05月26日 08時21分32秒 | 裕次郎やめるってよ
できるだけ「裕次郎、やめるってよ」(1)から読んでほしい。これは中高年の再就職物語。
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私の上司となった伊良部こと裕次郎の席は私の隣。

裕次郎は話好きで仕事中、私に話しかけてくるのはもちろんのこと、他の部署に所用で行くと30分は帰ってこない。

例えば来客用の会議室を予約するために受付に行くとそこで話しこむ。

その間に来客があってもお構いなし。そもそも会議室はネットで予約できる。

そんなこんなで裕次郎の話好きは日々有名に。

よく話をする年寄り、場合によっては独り言を言う年寄りの背景(原因)として考えられるのは、一人暮らしで話し相手がおらず、人と会うと長話がしたくなるというもの。

しかし、裕次郎は結婚していたはず。

裕次郎いわく、二人は「仮面夫婦」とのこと。奥さんは介護施設で働いており、すれ違いが多く夫婦の会話は極めて少ないのだそうだ。

「会えない時間が愛を育てる」ってことはないらしい。

ほぼ一人暮らし。

その状態で会社に来て話し相手が無限にいるので、うれしくてたまらないのであろう。ついつい長話に。

そんな裕次郎がおしゃべりの合間に格闘していたのが、パソコン(PC)だ。

通信系の会社に勤めていたのでパソコンは十分使いこなしていたはず。

ただ、この職場では関連部署に自分で連絡し、様々なアプリを自分で入れ、使いこなせるようにしなければならない。

私も含め周りの人間もある程度お手伝いするが、基本は不十分な英語マニュアルを見たり、英語で電話して相談したりと骨の折れる作業になる。まあ、新入社員の最初の修行なのだ。

また、マネーロンダリング対策、社内通報制度、ハラスメント対策、フィッシング詐欺対策などなど20種類程度のウエブ教育を一か月以内に修了させる必要があった。

これらはすべて英語で作成されており、確認テストで80点以上とらないと修了できない。

また、期日までに終わらない場合は上司に連絡が行き減点評価となる。

英語の苦手な社員は、翻訳ソフトを駆使して何とかクリアする。

裕次郎もおしゃべりの間にパソコンと格闘していたが、入社一か月後くらいには、おしゃべりの合間に一瞬暗い表情を見せるようになった。

<格闘する裕次郎。映画「風速40メートル」より>
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R-50 ライフデザイン:「裕次郎、やめるってよ」(4)- 裕次郎の身だしなみ

2024年05月18日 22時26分45秒 | 裕次郎やめるってよ
できるだけ「裕次郎、やめるってよ」(1)から読んでほしい。これは中高年の再就職時物語だ。
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私の上司となった伊良部こと裕次郎の席は私の隣。

人懐っこい関西人らしく仕事中よく話しかけてくる。また、私のくだらないオヤジギャグにものってくれる。

昨年、7月にこの職場に来て以来、ピンでやってきたが、ようやくいい相方ができた感じだ。

裕次郎の年齢は私と同じくらいとアカウントマネージャから聞いていたが、実はそれは大きな間違い。

なぜなら私の本当の年齢を知っているものはおらず、周りには十歳ほど少なめに言ってあるからだ。

「そんなことできるの」と言われそうだが、履歴書などは出しておらず、できているのだ。

本人がいうのもなんだが、実際、見た目はウシガエルのような伊良部こと裕次郎より若い。

裕次郎の体形は前回お知らせしたが、事務所内での服装は、グレーのシャツにグレーの毛糸のベスト、それにグレーの太めのズボン。

毎日、同じで服装で、ベストの背中とお腹のあたりは擦り切れて薄くなり中のシャツが見えている。

シャツもグレーだが、同じグレーでも濃さが違うので目立つのだ。

そして、椅子に座ると靴を脱ぐ。

私がこの業界に入るために修行をしたブラック企業は低賃金であったが、こんな服装の人はいなかったよ。

裕次郎は先日までだれもが知っている大手通信会社の社員だったひと。

金がないわけではなく、何らかの理由で身だしなみに気を遣わなくなってしまったのであろう。

普通は、新しい職場に行くとなれば、それなりに気を使うと思うのだが。奥さんは?

ちなみに奥さんとは仮面夫婦だとか。

しばらくしてアカウントマネージャーからそれとなく注意されたそうで、ベストは新しい「グレーのベスト」に変わった。

裕次郎、もっと慶応ボーイらしくしろよ。

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R-50 ライフデザイン:「裕次郎、やめるってよ」(3)- 裕次郎登場

2024年05月12日 10時23分55秒 | 裕次郎やめるってよ
仕事始めは1月4日(木)であったが、私がいたブラック企業とは異なり、この週いっぱい休む人もいて、全員が揃ったのは翌週の9日火曜日であった。

朝礼でマネージャーから、「本日、午後、新しいエンジニアリードの裕次郎がきます」とアナウンスがあった。
(*エンジニアリードとは、エンジニア部門のリーダーあるいはマネージャのこと。犬の散歩に使うリードではない)

もちろん、裕次郎ではなくXXさんと呼んでいたが、石原ではなかった。

このチームは若い人が多いので裕次郎と聞いても特別なイメージを浮かべるものはいないが、私や50歳を超えた渡部(わたべ)にはイメージができあがっていた。

昼食から戻ったけだるい午後2時ごろ裕次郎が颯爽と現れた。

上からいこう。白髪と黒髪が混ざった遠目にはグレイに見える散髪していない長めの髪。

いかにも精力が強そうな横に広い大きめの鼻。

ズボンのベルトの上にどっぷりと乗った腹。体内脂肪率50%越え。

その重みでズボンのベルトは床と水平ではなく、前方に大きき傾いている。

その腹を支える短めの脚は太めのズボンで隠されていた。

う~ん、まるで伊良部。

石原裕次郎のイメージは皆無。むしろ奥田英朗の小説『空中ブランコ』の主人公「伊良部」だ。

「え~、今日からお世話になります伊良部、いや、裕次郎、いや、XXです。このとおり年はいっていますが、新人のつもりで・・・・・」と型通りのご挨拶。

しかも関西なまり。

イメージとかけ離れた外資っぽくない裕次郎が入ってきたと、挨拶を聴く先ほどの渡部(わたべ)が目で言っていた。



『空中ブランコ』とは、Amazonの説明より。
伊良部総合病院地下の神経科には、跳べなくなったサーカスの空中ブランコ乗り、尖端恐怖症のやくざなど、今日も悩める患者たちが訪れる。だが色白でデブの担当医・伊良部一郎には妙な性癖が…。この男、泣く子も黙るトンデモ精神科医か、はたまた病める者は癒やされる名医か!?直木賞受賞、絶好調の大人気シリーズ第2弾。
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