Rー50人生100年時代の私のライフデザイン。定年後の定年のない人生。終身フリーランス。

Rー50、50歳未満入場禁止。年金に頼らず楽しく仕事を続けていくためには、しっかりしたライフデザインが必要です。

R-50 ライフデザイン:「博満、やめるってよ」(7)- ダメダメ人間の業界

2024年10月06日 22時32分27秒 | 博満やめるってよ
社長の変態的なパワハラは、さておき、このビル管理業界では怒らないと、いや、しかりつけないとどうしようもない業界人がいるのも事実、
とこの業界で暮らすうちに博満は感じてきた。

例えば、博満が管理していた都内の外資系一流ホテルの21歳の技術員。

さらに経験を積ませようと、別の日系一流ホテルへの異動を社長が計画。

本人の意思を確認し、送別会を行い、みんなに暖かく贈られた。

翌週の月曜日に次のホテルに紹介すべく本社で待ち合わせ。

あれ~、10時になっても来ない。

本人の携帯につながらない。

自宅に電話。父親が出ていつもどおり出勤したとのこと。

結局、行方不明。

社長は博満に激高!

後日、本人は異動が嫌で、一時、消えたとのこと。

最初に確認したじゃん・・・・・

このようにわけわからない人、コミュニケーション能力に欠ける人、ほぼ犯罪者・・・・・がいる業界。

とくに人手不足の中小企業では、選り好みできない。

いや、この会社の場合、社長は100%面接して、社長が選んでいる!!

俺に当たらないでよ、と博満。

次回もダメダメ人間のご紹介。

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R-50 ライフデザイン:「博満、やめるってよ」(6)- 社長のもう一つの顔

2024年09月28日 19時56分30秒 | 博満やめるってよ
博満の人生で一番思い出に残ったこのビル管理会社。

社員約700名で北海道から九州まで全国展開、無借金経営、
シニアや女性の活用、大使館や外資系企業への取り組みなど、社長の手腕は凄い!

毎日、勉強会を行い、それが終わると会社で飲み会。

缶ビールや焼酎、乾きもののつまみなどが常備されている。

恵まれている!?

・・・・・・・・・・・

入社時、博満も紹介された毎週月曜日の朝会。

新入社員の紹介、社長の訓示、表彰と続いた後で、社長が営業の一人に突如、激高。

容赦なく言葉でたたきつぶす。全社員の前で。

典型的なパワハラ。

これを見たその日の新入社員。昼食後、戻らなかった。

「ここは俺のくるところではない」と思ったのだろう。

・・・・・・・

火曜日から金曜日は朝礼に変わり幹部会が開かれる。

部長以上の社員、約20名が会議室で一時間程度打合せ。

ここでも社長の激高する声が、ほぼ毎朝聞かれた。

社長の趣味は、自分よりも良い大学を出ている人間の無能さを指摘し、いじめ、辞めてもらうこと。

勉強会などで育てておいて辞めさせる。経営的には大きな損失といえる。

生き残っている幹部社員や一般社員は、この状況に慣れているか、他に行くことができない人や社長に恩義を感じている人。

例えば、大きな借金を一時的に肩代わりしてもらった人、
息子が警察に捕まり社長の口利きで無罪放免された人、人に言えない理由で前職を追われた人などだ。

社長もそういう境遇の人は裏切らないと思っており、信頼し重用する。

・・・・・・・

社長は社長室は作らず、事務室内に机を置き、社員に目を光らせる。

万一、遅刻などしようものなら激高!

・・・・・・・・・・・

幹部は社長が出勤する7時15分まえに出社。

土曜日も午前は出社。

基本、有給休暇なし。博満も3年務めたが有給休暇はゼロであった。

ブラック企業はこんなもんなんだ。

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R-50 ライフデザイン:「博満、やめるってよ」(5)- 社長の思い

2024年09月22日 22時43分56秒 | 博満やめるってよ
「おはようございます。まず初めに、新入社員の落合君、いや、博満君を紹介します。博満君は・・・・・」

本社の全社員が集まる朝礼で、社長の訓示のあと、博満は型通りの紹介を受けた。

朝礼では成績優秀者の表彰も行われ、中小企業のビル管理会社にしてはまともな印象。

日本の大きなビルの場合、建設会社と紐づいたビル管理会社が入っており、その下請け、あるいは孫請けでないと仕事をもらえない。

そこへ行くと、大使館や大きなビルに入っているIT企業や金融機関なら直接仕事をもらえる。

仕事の規模もそこそこあり、なんといっても高い利益率を取れる。

特に英語が必要とされる仕事は、普通のビル管理の2倍の金額でとれる。

そこで社長は国際部を作り、大使館や外資系を積極的に攻め、大きな成果が出つつあった。

問題は人材。

英語ができる優秀なエンジニアが、ビル管理業界に来るはずはない。

皆、アマゾンなどの大手IT企業に行ってしまう。なんてったて、年収が1千万を軽く超える。

そこで社長は考えた。優秀な「シニア」を育てよう。

という訳で、この業界に素人でも、毎日、17時から勉強会を開き教育。

OJTで実地も経験し、できる人はデキル・エンジニアになっていく。

博満も勉強をさせてもらい、大使館や外資系IT企業や金融機関、ホテルなどで経験を積ませてもらった。

他の業界からビル管理業界に入るには最高の会社であることに間違いはない。

博満にとり、この会社は人生で一番思い出に残る会社となった。

色んな意味で。

<当時、これはなかった>
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R-50 ライフデザイン:「博満、やめるってよ」(4)- 金欠病からの脱出

2024年09月12日 21時33分55秒 | 博満やめるってよ
割増退職金がもらえる早期退職に喜んで手を挙げ、仕事も見つかり順調にいわゆる第二の人生がスタート。

しかし、収入はサラリーマン時代に比べたら微々たるもの、怒られるの承知で言えば、暇つぶし、ボランティア程度のもの。

目減りする貯金、30年以上ある残りの人生。

もっと稼げる仕事はないのか。博満は新聞の募集広告などを見るようになった。

圧倒的に多いのが、警備員、ビル管理要員、スーパーの要員や飲食店の店員。

夜勤のあるところは給与がやや高そうだ。西友の夜勤仕事いいかも・・・・・

職安も行ってみたが、希望の持てそうな仕事はなし。

そんなある日、「第三種電気主任技術者で英語堪能な人募集」とのビル管理会社の広告を発見。

電気主任技術者の資格は、工業高校電気科卒業の証(あかし)として30年以上前に取得。

一度も活用することなく寝かせていた資格だ。ビル管理の経験は学生時代に1か月ほどバイトした程度。

「資格あり、経験なし」の状況だ。

外資系に勤め英語は人並み以上、海外赴任経験もあるので英語は問題なし。

「これやこれや」

博満、早速、広告にある連絡先に電話。翌週、月曜日に面接となった。

場所は東新宿。新宿から歌舞伎町の飲食店街、ホストクラブ街、ラブホ街を抜けると東新宿。

新大久保や職安通りのコリアンタウンも近い。ヤクザの事務所もいくつかある。

悪くない。

当日は、人事部長の説明後、いきなり社長面接。

後で分かったことだが、出入りの激しいこの会社、毎日、自分で面接するのが社長の方針とのこと。

社長曰く、会社の戦略として外資系企業に焦点を当てているとのこと。

30分ほどの面接で採用決定。

社員ではなく個人授業主として契約してほしいと頼んだところすぐにOKがでた。

仕事も翌週からとのこと。

サラリーマン時代に比べると半分以下の収入だが、ビル管理業界の中では良い方の給与だ。

これで少し人生が上向きになるかも、と博満。

しかし、この会社、なかなかのものであった。

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R-50 ライフデザイン:「博満、やめるってよ」(3)- 金欠病という病

2024年09月08日 10時08分24秒 | 博満やめるってよ
博満が大学講師と葬儀屋のバイトの二束のわらじを履いて3年近くなる。

大学講師の仕事の一年目は、教材作成や話す内容、授業の進め方の準備に相当時間がかかった。

以前、働いていた専門学校では「授業の準備は授業時間の十倍」と言われていた。

そのくらいやらないと良い授業にならない。

専門学校では人気のある先生の授業と人気のない先生の授業とでは、出席者数に歴然とした差が出る。

視聴率の撮れる芸人と取れない芸人のような関係だ。

そして専門学校では資格試験合格率が最終評価となる。

みんな資格に受かるためにお金を払ってきているのだ。

合格率を上げられない先生は、退場。

大学はどうだろう。

資格を取るといった目先の目標はない。

トップレベルの理系の大学ではなかったが、まじめな生徒が多く、コミュニケーション能力にやや難ありといったところ。

学生時代の自分と同じだと博満は思った。

そこで、聴くだけの授業はやめ、できるだけ参加型に。

プレゼン、チームでのディスカッションなど・・・

社会人になったときの博満のように人間関係に悩まないで済むようにしたかった。

が、それにしても収入が・・・・。

授業の準備時間も入れると経済的には成り立たない。

では、葬儀屋は?

高齢化が進み儲かるのではないかと思った葬儀屋も含めたエンディング・ビジネス業界。

確かに件数は増えているが、葬儀の規模は小さくなり家族葬が中心。

知人に聴くとまだ千葉あたりでは従来通りの地域を挙げての葬儀が行われているらしいが東京では派手な葬儀ななし。

高齢化が進みすぎて呼ぶ人がいないという。

また、葬儀を執り行う子供たちも60歳を超えており、派手な葬儀を行う経済的な力も衰えている。

葬儀屋のビジネスもネットの力で破壊されつつある。

以前は互助会にようなもので自分がなくなるときのために積み立てをしていたが、私も含めこのビジネスモデルに乗る人は今は少ない。

つまり葬儀屋に定期的に入ってくる収入がないのだ。

葬儀費用もネットでバレバレ。何百万も請求できない。

社員の給与は、私がいるビル管理業界と同じ程度。共稼ぎでないとちょっと厳しい。

中小企業診断士としては、エンディング・ビジネス業界を勉強できてよいバイトであった。

が、夜勤のバイトだけでは収入が・・・・・・

やはり、サラリーマン時代の年収に戻さないと貯金が目減りするし、そもそも倹約ができない博満。

そんなとき朝日新聞の広告欄に

「第三種電気主任技術者の資格保有者で英語堪能な人求む」の広告発見。

さて・・・・・・・

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R-50 ライフデザイン:人生終盤のつまずき、熟年離婚 -「きっかけは役職定年」 

2024年08月31日 21時51分28秒 | ライフデザイン
ネットで見かけた熟年離婚の記事。

きっかけは役職定年だそうだ。

私は役職定年なるものを経験していないので分からないが、要は役職ではなくなり、給料も下がる制度らしい。

「収入がないならもう面倒はみないわ」と奥様から離婚を切り出されるらしい。

役職定年が分かっているなら、早々にもっと良い仕事を見つければよいと思うのだが。

それを行う準備も整っておらず、もともとそういうライフプランもないのだろう。

みんな役職定年なんだから僕も、といったメンタリティ。

では、その記事を。

**************************************************************************
大手メーカーに勤めていた55歳の夫に、50歳の妻が離婚を切り出した。数年前のことだ。きっかけは「役職定年」だった。

55歳や60歳など、ある年齢に達すると管理職の肩書が一律に外され、給料も下がる「役職定年制度」は今も多くの企業が採用する。

妻から相談を受けた堀井亜生弁護士によると、この夫も役職定年の対象となり、年収はほぼ半減。社内の一線から退いたことでモチベーションが下がり、情緒不安定になったという。

老後資金を計算し、「貯金がぜんぜん足りない」と妻に激怒。これまでの家計管理を妻から細かく聞き出し、「何をやっていたんだ」「俺はこれまですごく稼いだのに」などと暴言を吐いたり、暴力をふるったりするようになった。

妻は夫から渡される生活費をやりくりしてつつましく暮らしていたが、子どもたちの学費や住宅ローン返済、夫の両親の病気などもあり、貯蓄は思ったほどできなかったという。

夫は高収入ではあったものの、頻繁に仕事の付き合いと言って飲み会やゴルフにでかけ、浪費が多かった。

子どもたちが独立することになり、2人だけの生活は耐えられないと、妻は家を出た。

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R-50 ライフデザイン:人生終盤のつまずき、熟年離婚

2024年08月24日 18時15分03秒 | ライフデザイン
20代からライフデザインを行い、日々の努力を惜しまず、それなりの社会的な地位を得ても、人生の終盤でつまずくことがある。

その一つが、奥さんから切り出される熟年離婚。

私の職場に熟年離婚した女性がいます。

元のご主人は大手企業の事業部長。しかし、そのモラハラに耐えられず息子の大学卒業と同時に離婚。

ご主人はその後も出世を続けたが幸せか?奥さんの方は、自由を満喫。息子夫婦や孫と会っておばあちゃん役を楽しんでいる。

奥さんにその兆候がないか、そっと様子をうかがってみよう。

以下、8月13日の朝日新聞の記事

*****************************************************************************
「熟年離婚」の割合が過去最高に 長寿社会、役職定年も背景に

「役職定年」後の離婚が増えているという

 2022年に離婚した夫婦のうち、同居期間が20年以上だった「熟年離婚」の割合が23.5%に上り、統計のある1947年以降で過去最高になった。離婚件数自体は減少傾向にある一方で、熟年離婚の件数は高止まりしている。高齢化により「夫婦の老後」が長くなったことで、人生を再設計するケースが増えていることが背景にあると専門家はみている。

 厚生労働省の22年の人口動態統計によると、離婚の全体件数は17万9099組(同居期間不詳の1万2894組を含む)で減少傾向にあり、ピークの02年(28万9836組)に比べると約4割減っている。

 一方で、同居期間20年以上の夫婦の離婚は3万8991組で、この20年以上、4万組前後で高止まりしている。同居期間不詳を除いた全体件数に占める「同居20年以上」の割合は23.5%で、前年から0.8ポイント上昇した。

 22年の同居期間の内訳は、20年以上~25年未満が1万6404組、25~30年が1万829組、30~35年が5192組、35年以上が6566組だった。最も多いのは同居期間5年未満の離婚で5万2606組(全体の3割超)だったが、その数や割合は年々減ってきている。人口減などで婚姻数自体が減っていることが影響しているとみられる。

 熟年離婚の比率が高まっている背景について、専門家は長寿社会の影響を指摘する。

 NPO法人・日本家族問題相談連盟理事長で離婚カウンセラーの岡野あつこさんは「1950年ごろの男性の平均寿命は約58歳。定年後、夫はそれほど長く生きる存在ではなかったが、今や男性の平均寿命は81歳と、戦後、平均寿命は大きく延びた。このため、子どもが独立すると定年後に夫婦で過ごす時間が長くなり、性格の不一致などから一緒にいることに耐えられず、新しい人生を歩みたいと夫婦関係をリセットしようとするケースが目立つ」と話す。

 家計をめぐる環境の変化がきっかけになることも。これまでに2千件を超える離婚訴訟や夫婦トラブルを扱ってきた堀井亜生弁護士は「以前は夫の定年退職がきっかけで離婚するケースが多かったが、最近はその前段階での離婚相談が増えている」と話す。

 一定の年齢で管理職から外される「役職定年」などで年収が大きく減ることで夫婦間に亀裂が生じ、離婚に至るケースも目立って増えているという。(編集委員・森下香枝)

<「俺は大丈夫だ」>

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R-50 ライフデザイン:「博満、やめるってよ」(3)- 彷徨う魂

2024年08月18日 09時46分00秒 | 博満やめるってよ
大学講師と葬儀屋のバイトの二束のわらじがスタートした。

博満のような仕事の仕方をする人は少ない。

会社で役職、特に役員になったような人は、今までと同様に威張れる、ゴマをすられる立場にいたいのだ。

実際、親会社で役職に就いていた人は、扱いが難しく、子会社や関連会社でも鼻つまみになるケースが多い。

ただ、親会社から頼まれたから、関連会社から頼まれたから、断れないから、受け入れただけなのだ。

なのに、本人は役に立っていると心から思っている。

博満は一度だけ日本企業(大手商社の子会社)に席を置いたことがあった。

そこでの会話。

「博満さん、どこの大学?」「僕はね、日比谷高校から東大の法学部。本社では・・・・・」

聴いてねーよ。今は子会社の顧問でしょう!

それが分かっている博満、さっさと今までいた業界を卒業し、別のことを始めた。

博満は新しい物好きともいえる。

その一つが葬儀屋のバイト。

仕事内容は、葬儀場の夜勤。

夜、6時に到着し、翌朝の8時まで勤務。

12時以降は寝て良いとのことで、折りたたみ式のベッドで寝て、7時には起きる。TVを見ても構わない。

具体的な仕事は、

・夜間にかかってくる顧客からの電話を受け、一時対応し、営業に通知
・夜間に訪れる弔問客への対応。ご遺体を冷蔵庫から出し、お線香などを準備。
・ご遺族が泊まり込んだ場合の質問対応。例えば、「コンビニは?」

である。

つまり、ご遺体とともに葬儀場に泊まり込むのが仕事だ。

ご遺体は冷蔵庫に保管。最大6体まで収容可能。冷蔵庫の温度は5度(チルド状態)に設定。

泊まり込む事務室の隣に冷蔵庫が設置されており、なんとなく夜中に現生に未練のある霊魂が彷徨いでてくるような気がして、しばらくは落ち着かなかった。

が、好奇心旺盛の博満、ここでも大きな学びを得た。詳細は来週。

<葬儀に関する知識を活用する場は少ないが、知っていると親族が亡くなったときに役立つ>

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R-50 ライフデザイン:「博満、やめるってよ」(2)- 1日、3500円

2024年08月10日 22時55分30秒 | 博満やめるってよ
大学講師の仕事は、週二回90分授業を受け持つ。

講師業は博満の好きな仕事の一つで、サラリーマン時代も専門学校の講師を引き受け、3年続けた。

幸い、競合会社の手伝いなどビジネスに影響を与える仕事は許されないが、
本人の能力開発や社会貢献に役立つ仕事に就くことは認められていた。

博満のような役員は、退職後、あるいは退職前に、別会社の社外取締役に就く人もいるわけだが、博満は現場が好きなのだ。

専門学校の講師の時給は1万円。

授業の準備に授業時間の10倍かかるとはいえ、悪くない。

テキスト作成費やテストの作問・添削費は別にもらえるのだ。

一方、大学講師の仕事は時給3500円。

これも他の仕事と比べてると悪くなさそうだが、授業の準備の時間を考えると、ほぼボランティア。

ただ、教える楽しさはある。

博満は中小企業診断士の資格を持っており、製造業の営業をテーマにほそぼそと活動をしてきた。

その縁で、大学講師の仕事ももらえたわけだが、もう少し違う分野を研究してみようと博満は考えた。

レストランやコーヒーショップ、居酒屋などの飲食業や八百屋、魚屋などの個店経営などは書籍もあり勉強していた。

全く知らない世界に飛び込んでみたい。

風俗産業。

ちょっと無理。やくざがらみになったら大変だし、はまったらさらに人生を誤るかも。

では、キャバクラ、ホストクラブ、ショットバーなどの、いわゆる水商売はどうか。

普段からモテモテの博満。

ホステスとまずい関係になり晩年の人生設計を誤ってはと考えた。

では、葬儀屋はどうか。

華やかさには欠けるが、高齢化社会の進展にともない、きっと儲かっているはず。

葬儀屋の仕事について人生を誤ったという話は聞いたことがない。

地味な業界だ。

という訳で、早速、葬儀屋の募集広告に応募し、見事合格。

夜勤の仕事を始めることになった。ちなみに、一晩、1万円。

役員までやった博満の仕事じゃないぞ、と言われそうだが、好奇心が勝る博満、お構いなし。

大学講師と葬儀屋のバイトの二束のわらじのスタートだ。

<最近の散歩コース、青山霊園>


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R-50 ライフデザイン:「博満、やめるってよ」(1)- 自由の身に!

2024年08月05日 09時53分15秒 | 博満やめるってよ
博満がサラりーマンから足を洗ったのは60歳のときだった。

定年退職ではなく、希望退職に乗ったもの。

米国メーカーの新規事業開発担当役員だった博満、10年ほど日本の子会社に席を置いていたが、
組織的には米国の新規事業部に属していた。

いわゆる「レポートライン」は米国の役員、日本法人は宿を借りているようなもの。

それが一年ほど前から、レポートラインが日本法人の社長に代わり、
わがままな博満、途端に息苦しく感じるようになった。

細かい報告が求められるようになり、社長と近しい営業マンが博満の組織に送り込まれてきた。

国内外を自由に飛び回り新規事業を伸ばす、実際にそうしてきたと自負する博満。

しかし、残念ながら、管理されるのは嫌いで我儘な性格の博満には向かない組織に変わってしまった。

そこに降ってわいたリストラの話。6か月分の割増退職金がでるとのこと。

役員にもこの制度が適用されるのか、人事に確認すると、OKとのこと。

で、先のことも考えずに退職を決心。

晴れて自由の身に!

ライフデザインどおりではないぞ。

しかし、それまでに4回ほど転職していたので、博満は心配もせずマイペース。

なんとかなる。まずは旅行の計画だ。

という訳で、米国ロサンゼルスと中国への旅行を実施。気分転換だ。

そうこうするうちに、退職の話を聞きつけた知人から、大学講師の話があり、教授と面談。

これは今までいた業界のネットワークではなく、中小企業診断士のネットワークからの紹介。

いろいろな人的ネットワークを構築しておいてよかったの~。

大学の講師は、やりたいことの一つだったので、博満は乗ることにした。

<退職直後のロサンゼルス旅行>
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R-50 ライフデザイン:「XXX、やめるってよ」(0)- ネーミンング

2024年07月29日 23時12分40秒 | 70歳の転職
この2週間自分の転職体験を書いてきたが、自分のことでもなんか名前があった方が書きやすいな。

私小説的なブログ。

前回は「裕次郎、やめるってよ」の裕次郎は、60歳以上の人ならだれでも思い浮かべる石原裕次郎から借用。

私と同じ1953年生まれの有名人は、

役者・バラエティ:関根勤、松平健、萩原流行、国広富之、三田村邦彦、石丸謙二郎、平田満、おりも政夫、
歌手:山下達郎、甲斐よしひろ、稲垣潤一、桑名正博、円広志、
スポーツ:落合博満、ジーコ、中嶋悟、北の湖敏満、宋茂・猛、藤波辰爾

などなど。女性には研ナオコ、竹下景子などいるが・・・・

裕次郎と張り合えて私のキャラに近い名前、ないな。

語呂的には謙二郎。

女性に成りすますにはライフデザインいやライフスタイルが違いすぎる。

裕次郎の相手役だったRuriko Asaokaは使えないな。

生き方が好きなのは落合。『嫌われた監督-落合博満は中日をどう変えたのか』(鈴木忠平著、文藝春秋)も読んだ。

ライフデザインがテーマなので落合にするか。

では来週から「博満、やめるってよ」を連載開始。

<博満、多摩川を歩く>

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R-50 ライフデザイン:自分の転職の話(2)- 70歳での転職

2024年07月14日 20時56分09秒 | 70歳の転職
裕次郎の話が続いたが、「人のことばかり言って、お前はどうなのよ」と思った人もいたはず。

という訳で、以下は私(当時70歳)の転職活動の話。

「俺やってんだよ」」

2023年6月4日の記事(一部加筆修)********************************************************************************************************

新しい職場で働き始めて間もなく、元請の会社が次の5年間の契約を失注

その契約を取った会社に移るか、元請の会社に残って別の職場に行くかの選択が必要になった。

私は迷わず後者。すぐに元請の会社の社長に伝えた(8人メンバーがいて6人は新しい会社に移った)

その理由は、

・半年ほど今の仕事をやってみたが、仕事の範囲が想定よりも狭く退屈。週五日3人体制で勤務。3日働けば十分こなせる仕事量と内容。
 (書き物としてのScope of Work(職務範囲)は充実しているが、実際の仕事の範囲は狭かった)
 (その年で贅沢だね、と言われるが、退屈は嫌い。学ぶことも少ない仕事は脳の活性化に役立たない)

・元請の問題点を把握しており、これからも仕事をいただける可能性が高い
 (ソリューション営業なら当たり前に考えることですね)

・元請に自分で営業して取ったの仕事なので未練がある

という訳で、元請残留が決まり、次の職場に来月から行くことになった。
(新しい職場に行く前に2週間ほどに旅行)

契約金額が下がったのは残念。

また、新しい職場の指導的立場の人が入院したとか。どうなるんだろう!?

いろいろな問題がある元請・職場だから、この歳でも重宝がられて呼ばれるんだ。

<ビルの数だけFM/BM(Facility Management/Building Management)の仕事はある。だが、差別化には戦略が必要>
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R-50 ライフデザイン:自分の転職の話(1)- 70歳での転職

2024年07月06日 17時59分06秒 | 70歳の転職
裕次郎の話が続いたが、「人のことばかり言って、お前はどうなのよ」と思った人もいたはず。

という訳で、以下は私(当時70歳)の転職活動の話。

「俺やってんだよ」」

2023年5月27日の記事********************************************************************************************************

昨年の夏に就活してみた。

2021年の末で6年お世話になったJ社のビル管理の仕事を辞め、妹夫婦とともに子宮がんになった母の介護に専念。

自分もしばらく休みたいという気持ちもあった。なんせ、業務受託契約で6年間、代休以外の休暇はなし。

更にその前のS社も同様な契約で、かつ、完全にブラックな企業であったこともあり3年間休暇ゼロ、代休もゼロ。

母が3月に亡くなり、葬儀や納骨、遺品整理、役所の手続きが終わった6月末に旅行に行った。

その後、ビル管理業界を中心にネットで再就職先を検索。もちろん利用したサイトは複数。

自宅近くの物件を中心に大学や介護施設の設備管理10件応募。面談にこぎつけたのは、うち3件。

結局、全部不採用であった。不採用の理由は、年齢(これは推測)の他、横文字会社での転職が多いこと。転職がキャリア構築の一環と説明したかったが、その機会もなし。

という訳で、自分で営業開始。知り合いの会社と協力して、I社に的を搾った。知り合いの会社に声をかけたのは、個人では会ってもらえる確率が減るから。

外資系のビル管理会社であるI社はブッラック企業時代に薄く付き合っており、常に人材不足であることは分かっていた。

初回に社長と面談。やはり英語ができるファシリティ・エンジニアがいないとのことで、二回目の会議で入社がほぼ決定。

現場のマネージャーたちともTemasで面談し、11月1日から入社となった。

やはりニーズを探さないとね。営業の基本だ。

のんびりと仕事とはいかないが、新しい職場で新しいことを学び、脳に刺激を与えられるのが一番のメリット。

脳の活性化が一番の健康法だ。

こんな健康の話をすることが、70歳の証拠。

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R-50 ライフデザイン:「裕次郎、やめるってよ」(9)- 裕次郎との再会

2024年06月29日 21時49分11秒 | 裕次郎やめるってよ
「裕次郎。久しぶりだね」

若干、肌艶の良くなった伊良部体形の裕次郎がぎこちない笑いを浮かべて近づいてきた。

(伊良部については「裕次郎、やめるってよ」(3)をご参照)

そう、約一か月ぶりに飲むことになったのだ。

場所は北千住。裕次郎と気の合った経理の女性も参加。

地元の居酒屋に入り、ビールでスタート。

話が弾むような弾まないような。裕次郎の反応が少し鈍くなっている。

冗談に対する切り返しの切れが鈍っている。どうした関西人!

新しい職場に適応できなかったことがショックだったのか。

それとも無職状態で生活のハリがなくなったのか。

経理の女性も同じ印象だったとのこと。

裕次郎が強いストレスを感じ、体調を壊すことになったのは何故か。

本人は「社長からのきつすぎる要求」が原因と分析していたが、なぜきついと感じたのか。体を壊すほど。

私なりに分析すると・・・・・(何言ってるの部下のくせに、と裕次郎にではなくその他大勢にいわれそうだが)

1.能力不足・経験不足。
通信技術に強く、電気の知識もあったが、データセンタの総務的な仕事をしており、設備に関する耳学問的知識はあったが、設備の運用・管理に関する経験が不足していたようだ。また、5年くらいの海外赴任の経験もあったが、英語が得意とはいいがたかった。新しい職場は、基本が英語だったのだ。
2.テンポの違い。
最後の仕事は基本在宅でたまに職場で総務的な仕事を務めていたそうだ。40代には大きなプロジェクトで名を挙げたこともあったそうだが、会社として60歳を過ぎた人には閑職とまではいわないが、負荷の少ない仕事を与えていたのではないか。それが日本企業の典型的な人事施策?一方、新しい職場は外資系で、年齢に関わりなくそのポジションに必要な能力を求められ、着任した日からアウトプットも期待される。
3.手探りで進む。
裕次郎のいた会社はお役所体質の残る半官半民の近い会社で決まりごとが多く、仕事の仕組みが完成された会社だ。一方、新しい職場は、仕組みを作っては壊し、あるいは、常に変化し手探りで進む職場。裕次郎は同じ会社に40年以上勤めていた。「こんなの会社じゃない」と戸惑ったのではないか?

そう考えると、高齢者の再就職の教訓として次のようなことが浮かんでくる。

職場選びは慎重かつ適切に
  もう一度バリバリ仕事をするか、小遣い稼ぎと考えて単純な業務に就くか

関連会社か、まったく新しい職場か。あるいは自営か。
  変化を楽しめるか、苦痛になるか。


私は学びを通じて脳を活性化させ健康を維持が方針なので新しい職場、新しい仕事を選択。

いずれにしても家で一人はよくない。

「美しい人生を~・・・・・」職場の近くにこの方の事務所があった。


裕次郎またな!!

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R-50 ライフデザイン:「裕次郎、やめるってよ」(8)- 裕次郎からの電話

2024年06月22日 18時10分37秒 | 裕次郎やめるってよ
xxできるだけ「裕次郎、やめるってよ」(1)から読んでほしい。これは中高年の再就職物語。
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「辞める」「辞めない」の言葉が裕次郎の口からときどき出るようになった。

体がきついので在宅勤務にさせてくれと会社に願い出たが「試用期間中」であることもあり断られたそうだ。

裕次郎の場合は、三か月の試用期間中であった。

試用期間の途中で辞めた場合、紹介してくれた会社への紹介料(通常、年収の20~30%)はなくなる。

粘り強く交渉を続け、在宅勤務が認められたのが3月後半だった。

一方、会社は試用期間を6か月まで延長することを要求。裕次郎はこれをのんだ。

しかし、本当はその話が出たら辞めると決断していたらしい。

大手企業にいた裕次郎のプライドが傷つくのだ。

在宅勤務のある日、私の携帯に裕次郎から電話が入った。

「心臓がドキドキして止まらない。ニトロを飲んだ」

ストレスで自律神経がやられたのか。それにニトロを持っているということは心臓に持病を抱えていたということ?

それとなく聞いてみると「前に、心臓の病気になったことがあり、その残り」とのこと。

「奥さんもいないのなら救急車呼んで病院に行った方がいいよ」

「もう少し様子をみる」

そんな会話をした後、一時間後くらいであったろうか、

「やはり救急車を呼んだ。申し訳ない」

二日ほど裕次郎は入院。

退院後、退職することを会社に通知。

入社4か月目のリタイヤであった。

愛されるキャラの裕次郎が、退職に至ったのはなぜか。

60歳台半ばともなれば人間関係や仕事の対処法は分かっているはず。

入院までしなければならなくなったストレスの原因は?


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