Rー50人生100年時代の私のライフデザイン。定年後の定年のない人生。終身フリーランス。

Rー50、50歳未満入場禁止。年金に頼らず楽しく仕事を続けていくためには、しっかりしたライフデザインが必要です。

R-50 ライフデザイン:「XXX、やめるってよ」(0)- ネーミンング

2024年07月29日 23時12分40秒 | 70歳の転職
この2週間自分の転職体験を書いてきたが、自分のことでもなんか名前があった方が書きやすいな。

私小説的なブログ。

前回は「裕次郎、やめるってよ」の裕次郎は、60歳以上の人ならだれでも思い浮かべる石原裕次郎から借用。

私と同じ1953年生まれの有名人は、

役者・バラエティ:関根勤、松平健、萩原流行、国広富之、三田村邦彦、石丸謙二郎、平田満、おりも政夫、
歌手:山下達郎、甲斐よしひろ、稲垣潤一、桑名正博、円広志、
スポーツ:落合博満、ジーコ、中嶋悟、北の湖敏満、宋茂・猛、藤波辰爾

などなど。女性には研ナオコ、竹下景子などいるが・・・・

裕次郎と張り合えて私のキャラに近い名前、ないな。

語呂的には謙二郎。

女性に成りすますにはライフデザインいやライフスタイルが違いすぎる。

裕次郎の相手役だったRuriko Asaokaは使えないな。

生き方が好きなのは落合。『嫌われた監督-落合博満は中日をどう変えたのか』(鈴木忠平著、文藝春秋)も読んだ。

ライフデザインがテーマなので落合にするか。

では来週から「博満、やめるってよ」を連載開始。

<博満、多摩川を歩く>

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R-50 ライフデザイン:自分の転職の話(2)- 70歳での転職

2024年07月14日 20時56分09秒 | 70歳の転職
裕次郎の話が続いたが、「人のことばかり言って、お前はどうなのよ」と思った人もいたはず。

という訳で、以下は私(当時70歳)の転職活動の話。

「俺やってんだよ」」

2023年6月4日の記事(一部加筆修)********************************************************************************************************

新しい職場で働き始めて間もなく、元請の会社が次の5年間の契約を失注

その契約を取った会社に移るか、元請の会社に残って別の職場に行くかの選択が必要になった。

私は迷わず後者。すぐに元請の会社の社長に伝えた(8人メンバーがいて6人は新しい会社に移った)

その理由は、

・半年ほど今の仕事をやってみたが、仕事の範囲が想定よりも狭く退屈。週五日3人体制で勤務。3日働けば十分こなせる仕事量と内容。
 (書き物としてのScope of Work(職務範囲)は充実しているが、実際の仕事の範囲は狭かった)
 (その年で贅沢だね、と言われるが、退屈は嫌い。学ぶことも少ない仕事は脳の活性化に役立たない)

・元請の問題点を把握しており、これからも仕事をいただける可能性が高い
 (ソリューション営業なら当たり前に考えることですね)

・元請に自分で営業して取ったの仕事なので未練がある

という訳で、元請残留が決まり、次の職場に来月から行くことになった。
(新しい職場に行く前に2週間ほどに旅行)

契約金額が下がったのは残念。

また、新しい職場の指導的立場の人が入院したとか。どうなるんだろう!?

いろいろな問題がある元請・職場だから、この歳でも重宝がられて呼ばれるんだ。

<ビルの数だけFM/BM(Facility Management/Building Management)の仕事はある。だが、差別化には戦略が必要>
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R-50 ライフデザイン:自分の転職の話(1)- 70歳での転職

2024年07月06日 17時59分06秒 | 70歳の転職
裕次郎の話が続いたが、「人のことばかり言って、お前はどうなのよ」と思った人もいたはず。

という訳で、以下は私(当時70歳)の転職活動の話。

「俺やってんだよ」」

2023年5月27日の記事********************************************************************************************************

昨年の夏に就活してみた。

2021年の末で6年お世話になったJ社のビル管理の仕事を辞め、妹夫婦とともに子宮がんになった母の介護に専念。

自分もしばらく休みたいという気持ちもあった。なんせ、業務受託契約で6年間、代休以外の休暇はなし。

更にその前のS社も同様な契約で、かつ、完全にブラックな企業であったこともあり3年間休暇ゼロ、代休もゼロ。

母が3月に亡くなり、葬儀や納骨、遺品整理、役所の手続きが終わった6月末に旅行に行った。

その後、ビル管理業界を中心にネットで再就職先を検索。もちろん利用したサイトは複数。

自宅近くの物件を中心に大学や介護施設の設備管理10件応募。面談にこぎつけたのは、うち3件。

結局、全部不採用であった。不採用の理由は、年齢(これは推測)の他、横文字会社での転職が多いこと。転職がキャリア構築の一環と説明したかったが、その機会もなし。

という訳で、自分で営業開始。知り合いの会社と協力して、I社に的を搾った。知り合いの会社に声をかけたのは、個人では会ってもらえる確率が減るから。

外資系のビル管理会社であるI社はブッラック企業時代に薄く付き合っており、常に人材不足であることは分かっていた。

初回に社長と面談。やはり英語ができるファシリティ・エンジニアがいないとのことで、二回目の会議で入社がほぼ決定。

現場のマネージャーたちともTemasで面談し、11月1日から入社となった。

やはりニーズを探さないとね。営業の基本だ。

のんびりと仕事とはいかないが、新しい職場で新しいことを学び、脳に刺激を与えられるのが一番のメリット。

脳の活性化が一番の健康法だ。

こんな健康の話をすることが、70歳の証拠。

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