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夢を生きる方々に学生がインタビュー

株式会社アドステージ 吉田 学 社長

2007-07-09 11:44:12 | インタビュー記事

●日時 2007年6月27日 14:00~15:30 
●場所 株式会社アドステージ会議室
●株式会社アドステージについての詳細は 
こちら
●インタビュアー 塾長 三潴 克彦
 
●吉田学氏 プロフィール

1959年秋田生まれ。
早稲田大学を卒業後、某出版社へ就職。
その後(株)リクルートへ入社。
8年勤務の後、30歳で独立。
1989年(株)アドステージを設立。
   
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今回のゲストはあのリクルート出身者で代理店の経営者。
リクルート時代の秘話から、人間についての深い思想面まで
語っていただきました。

  
  
◆現在のお仕事について聞かせてください
 
私達の会社は主にリクルートの代理業を営んでいます。
また、各企業様の人財募集のお手伝い、および採用支援
を行っています。まずはリクルートという会社について私なり
の説明を加えさせていただきます。
  
リクルートの創業は、そうですね、1960年代に
遡るのですが、東京大学の江副浩正さんという方が
おこないました。東京大学の新聞部で広告の営業を
されていたのがきっかけだった様です。
  
その当時、求人のマーケットはクローズで、縁故や人脈、
職安が主流だったのです。
       
そこで江副さんは「企業への招待」という雑誌を創刊しました。
各業界の求人広告をこの雑誌に載せて求人広告の
集合雑誌を作ってしまったのです。
これはその当時で考えるとすごいことで、
「我々は日本の人事部になるぞ!」という意気込みで
進められていったのです。
   
このように求人の集合雑誌ができると何が起こると思いますか。
相場ができるんですよ。結果としてサービスの料金が下がったり、
サービスの質が向上していきます。
旅行業界や結婚業界などの雑誌もできていくわけです。
現在の雑誌だと「じゃらん」や「ゼクシィ」などが有名です。
   
そして、私はこのリクルートで経験をつみ、
30歳の時に代理店というかたちで独立させていただきました。
私は不器用でひとつのことしか出来ない性分なので、
求人事業に絞って事業を推進してきました。
  
  
◆どうしてリクルートに入社しようと思ったのですか?
 
実はリクルートに入社する前、大学卒業後に、
ある出版社に縁ができました。
もともと出版社で働きたいと思っていたのですが、
なかなか採用してもらえず、辛うじてある有名な
出版社に拾ってもらいました。
   
そこでは大変勉強になったのですが
結局、退職することになりました。
    
それからどうしようかと思い新橋の街をさまよっていました。
喫茶店で時間を潰していたら、アタッシュケースを
持った男が入ってきて「おい、学」と声をかけられました。
実はその男性は学生時代の友人でした。
 
彼は当時リクルートで働いていたんです。
本当に充実していそうでした。とても目が輝いていたんです。
そして、最終的に彼の影響でリクルートに入社することが
できました。彼と偶然出会ってリクルートを目指した、という
意味では何万分の一の確率の出来事じゃないかと思います。
 
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◆会社を始めたきっかけを教えてください
 
リクルートに入社し、編集の仕事をしていたのですが、
27歳の時、営業をすることになったんです。
正直戸惑いました。今まで編集の仕事をしていたので、
なぜ今更と。営業に決まった日、こっそり一人で泣きました(笑)
     
でも「やるしかない」と決心し、ただただ頑張りましたね。
他人の3倍は働きました。そうするうちに、3ヶ月でトップを
取りました。その後、営業所長になりました。
この頃には営業が楽しくて仕方なくなりましたね。
 
そうこうするちに、勤務地は名古屋だったのですが、
東京に戻ってこないか、と言われました。
でも、その時には名古屋という土地が好きになっていました。
元々出身が秋田なもんですから、名古屋の土地は微妙に
故郷の田舎くさい部分とかぶることもあり、
自分はこの地、名古屋で働きたい、と思ったのです。
 
これが起業のきっかけです。
上司に相談し、代理店という形で30歳の時、独立しました。
田舎にこだわったことが名古屋での起業に繋がったん
ですかね。
  

◆大学生活、そして就職活動について聞かせてください
 
秋田から東京に出てきた時、なんてよく喋る人ばかりなんだ、
と思いました。出身の秋田では「あれ」とか「これ」とか言えば、
相手は大抵わかってくれますが、東京の人はそうも
いかない。事細かに説明しないと伝わらないのです。
これにはカルチャーショックを受けましたね。
 
それからは都会人になろう!と思っていろいろしました。
ディスコに行くにはプレスリーの格好をしなくちゃいけないと
思わされ、わざわざバイト代をはたいてプレスリーの衣装を
買ったりなんかも(笑)
       
そんな感じで4年生を迎え、就職活動の時期になりました。
就職活動は今とは違い、4年生の10月頃に始まります。
正直、どの企業にしようか、などと迷っている時間は無かったです。
今の学生は私達の時代に比べたら考える時間は
あるほうだと思います。
 
それから、就職活動をする際にOB・OG訪問というものが
ありました。これは、大学の先輩に直接、就職活動や
企業についての情報を聞きに行くものです。
大学で先輩の個人情報を聞いて訪問するのですが、
今では法律の面などで難しくなってきましたね。
   
そして、先輩に企業の良し悪しなどの情報を聞くのですが、
良い企業なんて聞いたら、もう入社するしかない、
というような空気もありましたね。
   
自分の場合、創作活動が好きだったので、マスコミ業界に
絞って就職活動をしました。作家もどうかなぁ、と一時は
考えたこともありました。
結局、大手は落ちてしまいました。
そして、最終的に受かった企業では、面接の時に
こんなパフォーマンスをしました。お手玉です。
   
自分は、秋田で小さい頃に覚えたお手玉、三ツ玉が得意だった
ので、面接の際に「このお手玉が落ちたら自分も諦めます」
なんて言ってしまいました。もちろん、それだけで内定したわけ
じゃないと思いますが、そんなパフォーマンスも受け入れてくれる
時代だったのかもしれません。
           
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◆最も影響があった人物について教えてください
 
そうですね、リクルートで働いていた時代に
M さんという女性に出会いました。
当時、転職情報誌チームのチーフをされていて、
後に、編集長にまでなられた方です。
 
編集企画会議などで自分が企画を提案しても、
よく却下されましたね。
ターゲットは誰なの?もっと顧客目線になりなさい、
と厳しくも素晴らしいご指導をしていただきました。
学ぶことの毎日でしたね。
 
あるとき「給与を知る」という企画を提案しました。
これは女性の給料を知る企画で、もう企画案だけでは無く、
リサーチも済み、記事もすぐ用意できる状態で提案しました。
これが始めて通った企画ですね。
あの時は嬉しかった。
 
M さんとの出会いは自分にとってものすごく
意味があるものでした。
M さんはその後、大手通信会社で有名なインターネット
サービスを開発されました。
 
それから、E さんという女性との出会いも
大きかったですね。
この方も実はリクルートの時に知り合った方です。
いわゆる「褒めて伸ばすタイプ」の方でした。
E さんはいいところはどんどん褒めて、
能力をアップさせてくださいました。
   
M さんが厳しい方なので「ムチ使い」とするならば、
E さんは「アメをくれる」方でした。
「アメとムチ」とはこのことだなと思いましたね(笑)
   
思えば、リクルート時代に多くの人脈を形成してきました。
競争が厳しい環境でしたが、その中で作られた
人脈は今でも繋がっている方が多く、
かけがえのないものですね。
 
   
◆将来の夢は何でしょうか?
 
地域にアドステージの拠点を作りたい。
アドステージのDNAを持った若い世代の人々に
日本の各拠点で活躍してほしいと思っています。
 
そのためには若い世代を育てなければいけない。
だから、人材育成に力を入れています。
人材育成も将来のための先行投資です。
そうして、どんどん若い世代に力をつけてもらいたい。
      
その先にあるものは「古きよき日本を参考に新しい
日本を再生したい」という思いがあります。
     
昔の日本は今とは違いプライドがありましたし、
価値観も素晴らしいかった。
新渡戸稲造の「武士道」からそれらが読み取れますね。
  
アドステージのDNAを持った若者達に、
日本を良くする一員になってほしい。
まとめるとこのようになりますね。
 
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◆最後に夢に向かって頑張っている人達に一言お願いします
  
20代で「苦労」と「成功体験」をしてください。
この二つを若いうちに身体に記憶さたら、
自分が年を重ねた後も「よし!頑張ろう!」となりますから。
そして、人を動かせるようにもなります。
  
「苦労は買ってでもしろ」という言葉は本当にそうだと思います。
20代のうちからそのように頑張っている人間は、
本気の人間ですよ。皆さんも頑張ってください。
  
  


   
インタビュー中は温厚な口調と笑顔でとても楽しく、
あっという間に時間は過ぎました。
「器が大きい方だなぁ」というのが正直な感想です。
 
でも、このようになられるまでにきっと多くの挫折と
失敗をされてきたはず。
今、学生である私も「あの時こうしていれば」と思い、
後悔をすることがありますが、ずっと前を見据え、
前向きな態度で日々過ごしていくことが非常に大切なのでは
ないかと思いました。
 
今回は業界についてよく知ることができましたが、
それ以上に「人間」というものの存在の素晴らしさや
可能性を教えていただけたように思えます。
私も毎日頑張って成長していきたいと思います。
本当にありがとうございました。
  
インタビュー記事 学生部代表 水谷翔
 


   

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