先週の日曜日の夜。
恒例の文士劇をみてほっこり。
今年は盛岡公演の後、1月末に東京紀ノ国屋で公演予定とかで
内容がⅠ部が東京物語をなぞった盛岡物と
3部の時代物が平泉の義経であった。
Ⅰ部ではスライドショーで盛岡の名所案内が挿入されていた。
笑いの中に涙ありのほのぼのとした内容であった。
3部の義経は見せ場が多くあった。
主な登場人物は作家とは思えない熱演ぶりであった。
義経の女性アナはもちろんだが
頼朝役の作家の平野啓一郎氏の低音が冷酷ぶりを一層際立てていた。
また内舘牧子氏の盛岡弁の平板なアクセントを畑中氏から学んだようで
上手く表現していて地元の人と間違えるほどだった。
最後の結末が悲劇ではなく脚本家の道又氏の
未来への希望をつながせる終わり方だったのが印象的であった。
思えば10月頃、同会場で
「歓喜の歌」合唱のレッスンをしていた時
隣の部屋で文士劇の練習をしていたのだった。
さてあれから5回の練習を積み重ね
今度は自分たちが地元合唱団として、明日、六角精児氏らの演劇「歓喜の歌」の中で
歓喜の歌をドイツ語で歌う予定である。上手くいけばいいのだが。・・・
恒例の文士劇をみてほっこり。
今年は盛岡公演の後、1月末に東京紀ノ国屋で公演予定とかで
内容がⅠ部が東京物語をなぞった盛岡物と
3部の時代物が平泉の義経であった。
Ⅰ部ではスライドショーで盛岡の名所案内が挿入されていた。
笑いの中に涙ありのほのぼのとした内容であった。
3部の義経は見せ場が多くあった。
主な登場人物は作家とは思えない熱演ぶりであった。
義経の女性アナはもちろんだが
頼朝役の作家の平野啓一郎氏の低音が冷酷ぶりを一層際立てていた。
また内舘牧子氏の盛岡弁の平板なアクセントを畑中氏から学んだようで
上手く表現していて地元の人と間違えるほどだった。
最後の結末が悲劇ではなく脚本家の道又氏の
未来への希望をつながせる終わり方だったのが印象的であった。
思えば10月頃、同会場で
「歓喜の歌」合唱のレッスンをしていた時
隣の部屋で文士劇の練習をしていたのだった。
さてあれから5回の練習を積み重ね
今度は自分たちが地元合唱団として、明日、六角精児氏らの演劇「歓喜の歌」の中で
歓喜の歌をドイツ語で歌う予定である。上手くいけばいいのだが。・・・
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