弧考のハイパー哲学

史上最大の哲学  

HyF ハイパー哲学型思考能力 VS 昆虫型思考能力

2016-07-26 10:59:32 | 日記
 通常、人間は昆虫型の情報処理ネットワークで情報処理をしている。それは、その人間が経験したことや受け取らされた情報にハイパー哲学型の情報処理に関するものが一切無いからだ。また、そういう情報処理がすべてで、それ以外について、考える能力を持つ者がいるなどとは、夢にも思わない。したがって、その領域内で苦痛不快不満の軽減解消、快感満足感の獲得(ハイパー哲学ではまとめてインセンティブ効果としている)が期待できる選択をする。あくまで、その人間が、選択時点で持っている能力の範囲内でしかない選択である。自分自身が何処からきて、何処へ向かったらいいのか考える方法を持たない者の選択は、ある程度の長い期間では、統一性がない選択とならざるをえない。
 ハイパー哲学型思考能力は、自分自身は、今現在どれだけの領域の変化について仮定推定予測できるか、またその予測の中で、何らかの行動をする為の選択肢をどれだけ持っているかを、常に把握することで、自分自身をこういう者だと認識する能力だ。
 個人個人の違いについてを端的にいうなら、個人のなかに形成された(インセンティブ効果を得るための)行動選択の為の情報処理回路の違いだ。
 なお、ハイパー哲学型思考は、情報を自身の能力をたんなる形成ではなく構築する為に整理処理していくものだ。
 昆虫型思考について例をあげれば、ある人物のファン的な感覚の時は、その人物の快満足が自身に快満足をもたらす選択回路をはたらかせ、その人物になにか不都合があれば、今度はそれを攻撃することで、自分自身の位置が相対的に上がることで快満足をもたらす回路をはたらかせるというようなことだ。
 このブログを読んでハイパー哲学というものがあると知った者は、次の文明人への可能性を持つことができる。

 

 
 

 HyF ハイパー哲学使用者 VS 昆虫型情報処理者

2016-07-20 13:53:34 | 日記
 個人個人の違いは、その個人の処理している情報の範囲(領域)の違いである。
 そして、その範囲は、その個人に形成された情報処理能力の範囲である。
 自分自身が処理している範囲を知ることのできない者は、どんなに偉そうにしていても、ハイパー哲学者からみれば、人間からみた昆虫のようなものだ。
 昆虫が存在する為依存しているものについて、昆虫は、その周囲のわずかしか知らない(変化について、知るための情報処理能力が人間と比較して微々たるものだから微微たる仮定推定予測選択しかできない)。
 コンサート等で快感を得ている者、スポーツ等で快感を得ている者、芥川賞受賞作、直木賞受賞作を書いたりして受賞した者、またさまざまな文学作品文芸作品等 あるいはファンタジー、ホラー、ミステリーその他もろもろ
を読んで満足感を得ている者 すべて彼らのなかに形成されているインセンティブ効果をえる為に形成された情報処理ネットワークの働きに過ぎない。そして、その能力は、条件反射的だ。
 今現在、もてはやされている、アーティスト、スポーツ選手、作家、芸術家、映画監督、芸能関係者、マスメディア 等 彼らは、今存在できる為に依存しているものがいつまでもあると思っている。しかし、少子高齢化が進んだ先には、彼らは、今現在と比べてわずかしか存在できない。
 大繁殖したバッタやイナゴ等が農産物を食べつくして死んでいくようなことにたとえられることが起こらないとはいえない。
 どんなに偉そうにファッションについて語ろうが、料理について蘊蓄をたれようが、ただそのことで他人と比較して、そのことに関して自分が上位にいるという偏差値依存の快感満足感を得る情報処理能力が形成されていて従っているだけに過ぎない
 物理学的宇宙に連続性を持って存在し続けるにはあらゆる情報を分類整理しようとしていかなければならない。
 人間は昆虫に対して劣等感をもつことなどない。ハイパー哲学を持てば、不必要な劣等感等を持たないで済むとはそういうことだ。 

HyF 自分を知る者 VS 知らない昆虫型の者

2016-07-07 09:35:01 | 日記
 存在とは物理学的変化だという仮定からはじめることで、どんなことがらでも、それがどのように変化してきて、これからどのように変化していくのかを(それが物理学的エネルギー変化パターンのどのような組み合わせであるか推定できる範囲において)推定予測できる。
 自分がなにか誰も知っていないとしか考えられない小説家、芸術家、詩人、評論家、エッセイスト等 は全員物理学をとことんまでつきつめたことはおろか、量子力学や相対性理論を学ぼうとしたことさえない。
 また、哲学者の肩書でなんらかの表現をしている者も皆、自分が何者かを知っている者がいるはずがないと考えている。
 なぜなら、彼らは皆、考えることができるのは、考えることができる者の中に形成された、≪情報を処理して仮定推定予測選択する能力≫によるという最も基本的なことを知らないからだ。
 そのことさえわかれば、何かを知るには、それが、どのような変化パターンの組み合わせであるかを試行錯誤を繰り返すことで、少しでも知ることができるとわかる。
 昆虫のように身の回りのわずかな変化の中についてしか、考える能力をもたない者は、広大な宇宙のエネルギー変化パターンに関わることができる存在はどのようなもので、そこに向かう進化の為に考えることで、インセンティブ効果を得ている者を想像することさえできない。
 汝自身を知るとは、今現在どれだけの範囲のことについて、仮定推定予測選択能力を持つ者かを知ることだ。
 この宇宙のなかでより淘汰されない存在への進化を試行しているのがハイパー哲学だ。
 ハイパー哲学を使うことができるようになれば、大金持ちも、権力者も、名声を持つ者もすべて淘汰される者だと考えることができて、彼らに対して、不要な劣等感をもたなくなれる。