通常、人間は昆虫型の情報処理ネットワークで情報処理をしている。それは、その人間が経験したことや受け取らされた情報にハイパー哲学型の情報処理に関するものが一切無いからだ。また、そういう情報処理がすべてで、それ以外について、考える能力を持つ者がいるなどとは、夢にも思わない。したがって、その領域内で苦痛不快不満の軽減解消、快感満足感の獲得(ハイパー哲学ではまとめてインセンティブ効果としている)が期待できる選択をする。あくまで、その人間が、選択時点で持っている能力の範囲内でしかない選択である。自分自身が何処からきて、何処へ向かったらいいのか考える方法を持たない者の選択は、ある程度の長い期間では、統一性がない選択とならざるをえない。
ハイパー哲学型思考能力は、自分自身は、今現在どれだけの領域の変化について仮定推定予測できるか、またその予測の中で、何らかの行動をする為の選択肢をどれだけ持っているかを、常に把握することで、自分自身をこういう者だと認識する能力だ。
個人個人の違いについてを端的にいうなら、個人のなかに形成された(インセンティブ効果を得るための)行動選択の為の情報処理回路の違いだ。
なお、ハイパー哲学型思考は、情報を自身の能力をたんなる形成ではなく構築する為に整理処理していくものだ。
昆虫型思考について例をあげれば、ある人物のファン的な感覚の時は、その人物の快満足が自身に快満足をもたらす選択回路をはたらかせ、その人物になにか不都合があれば、今度はそれを攻撃することで、自分自身の位置が相対的に上がることで快満足をもたらす回路をはたらかせるというようなことだ。
このブログを読んでハイパー哲学というものがあると知った者は、次の文明人への可能性を持つことができる。
ハイパー哲学型思考能力は、自分自身は、今現在どれだけの領域の変化について仮定推定予測できるか、またその予測の中で、何らかの行動をする為の選択肢をどれだけ持っているかを、常に把握することで、自分自身をこういう者だと認識する能力だ。
個人個人の違いについてを端的にいうなら、個人のなかに形成された(インセンティブ効果を得るための)行動選択の為の情報処理回路の違いだ。
なお、ハイパー哲学型思考は、情報を自身の能力をたんなる形成ではなく構築する為に整理処理していくものだ。
昆虫型思考について例をあげれば、ある人物のファン的な感覚の時は、その人物の快満足が自身に快満足をもたらす選択回路をはたらかせ、その人物になにか不都合があれば、今度はそれを攻撃することで、自分自身の位置が相対的に上がることで快満足をもたらす回路をはたらかせるというようなことだ。
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