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弧考のハイパー哲学

史上最大の哲学  

 HyF ハイパー哲学使用者 VS 昆虫型情報処理者

2016-07-20 13:53:34 | 日記
 個人個人の違いは、その個人の処理している情報の範囲(領域)の違いである。
 そして、その範囲は、その個人に形成された情報処理能力の範囲である。
 自分自身が処理している範囲を知ることのできない者は、どんなに偉そうにしていても、ハイパー哲学者からみれば、人間からみた昆虫のようなものだ。
 昆虫が存在する為依存しているものについて、昆虫は、その周囲のわずかしか知らない(変化について、知るための情報処理能力が人間と比較して微々たるものだから微微たる仮定推定予測選択しかできない)。
 コンサート等で快感を得ている者、スポーツ等で快感を得ている者、芥川賞受賞作、直木賞受賞作を書いたりして受賞した者、またさまざまな文学作品文芸作品等 あるいはファンタジー、ホラー、ミステリーその他もろもろ
を読んで満足感を得ている者 すべて彼らのなかに形成されているインセンティブ効果をえる為に形成された情報処理ネットワークの働きに過ぎない。そして、その能力は、条件反射的だ。
 今現在、もてはやされている、アーティスト、スポーツ選手、作家、芸術家、映画監督、芸能関係者、マスメディア 等 彼らは、今存在できる為に依存しているものがいつまでもあると思っている。しかし、少子高齢化が進んだ先には、彼らは、今現在と比べてわずかしか存在できない。
 大繁殖したバッタやイナゴ等が農産物を食べつくして死んでいくようなことにたとえられることが起こらないとはいえない。
 どんなに偉そうにファッションについて語ろうが、料理について蘊蓄をたれようが、ただそのことで他人と比較して、そのことに関して自分が上位にいるという偏差値依存の快感満足感を得る情報処理能力が形成されていて従っているだけに過ぎない
 物理学的宇宙に連続性を持って存在し続けるにはあらゆる情報を分類整理しようとしていかなければならない。
 人間は昆虫に対して劣等感をもつことなどない。ハイパー哲学を持てば、不必要な劣等感等を持たないで済むとはそういうことだ。