弧考のハイパー哲学

史上最大の哲学  

 HyF ハイパー哲学はコミットする 「私」は何者なのか ハイパー哲学が出した答えがこれだ !!  

2017-04-28 13:17:53 | 日記
 「私」は何者なのか ? 今現在の私は、今現在私が持っている能力全体(どれだけの事象の変化について仮定推定予測選択できるか?、そして事象の変化の どの部分にコミットできるか?) だというのがハイパー哲学が出した答えだ。
 既存の脳科学が脳内ニューロンネットワーク等から意識に到達しようとしているのには無理がある。 パソコンのハードウェアを調べても、インターネットに接続されたパソコンになにができているかがわからないように。 しかし、そのパソコンのOS、アプリ等のソフトウェアのうち、これこれがあるとわかるものがあれば、わかった部分については、その能力を推定できる。個人についても、その個人が持っている能力こそがその個人だとすればいい。
 自身の身体及び他人がその身体を維持できていなければ、存在できない人生という領域内の能力しかもっていない者には、ハイパー哲学は理解できない。したがって、あらゆる文芸、芸術、音楽、スポーツ等人間の身体が存在することに依存しているものは、現在のような生物学的人類が生存できなくなった領域では淘汰される。
 淘汰されないためには、量子力学領域を超えて高エネルギー変化領域内でも、その領域にコミットして存在できる方向への進化をめざしていかなければならないというのがハイパー哲学だ。むろん、現在では、その方向への進化の誕生になんらかのコミットについて試行錯誤することしかできない段階にすぎない。
 それでも、個人の意識には、この宇宙誕生からの変化がコミットしているいるというハイパー哲学の考え方の連続性は、他のどんな哲学よりも、現在の人類が淘汰された後にも存在できる可能性があるはずだ。


 

HyF ハイパー哲学 VS 昆虫型哲学

2017-04-23 18:09:38 | 日記
 通常の哲学等で答えが出ない問題でもハイパー哲学は答えを出せる。それは、ハイパー哲学の領域が他の哲学等に対して比較できないほど大きいからだ。
 ハイパー哲学では、存在は(物理学的)エネルギー変化の連鎖循環の組み合わせ(変化パターンの組み合わせ)と仮定して、考える(仮定推定予測選択をする)
 従って、ハイパー哲学者が考える存在とは、そのハイパー哲学者の能力で仮定推定予測選択できる範囲ということになる。
 なお、その能力を進歩させることで、その範囲も拡張していける。
 観測者問題も、観測者が観測した時点までの循環を考えればよい。
 その観測者がその能力を持つようになるまでには、ビッグバンから現在までの無限に近い変化の組み合わせがあったと考えればよい。それがあって、やっと全宇宙に比較して極々微小な事象の変化を考える能力が生まれて、観測できるようになって観測したものが存在しているという意識が生まれる。
 人間原理とは、宇宙の無限に近い変化の組み合わせで生み出された人間の意識が、もとになった宇宙変化の極々微小なパターンを考えることができる段階まで来たということだ。
 結局能力の問題になる。