宇夫階神社と万葉集、実はかなり深い関係がある。
万葉集第一巻の5首目、6首目に
讃岐國安益郡にいでましし時軍王、山を見て作れる歌
霞立つ 長き春日の 暮れにける わづきも知らず むらきもの
心を痛み ぬえこ鳥 うら泣け居れば 玉だすき
懸けの宜しく 遠つ神 我が大君の 行幸の 山越す風の ひとり居る
我が衣手に 朝夕に 返らひぬれば 大夫と 思へる我れも 草枕
旅にしあれば 思ひ遣る たづきを知らに
網の浦の 海人娘子らが 焼く塩の 思ひぞ焼くる 我が下心
反歌
山越しの 風を時じみ寝る夜おちず 家なる妹を 懸けて偲ひつ
右、日本書紀を検すに 讃岐國に幸ししこと無し。 亦た軍王未だ詳らかならず。
但し、山上憶良大夫の類聚歌林に曰く、記に曰く 天皇十一年、己亥冬十二月己巳朔壬午伊与の温湯宮に幸す云々 一書に この時に 宮の前に 二つの樹木あり。 この二つの樹に斑鳩と比米との二つの鳥いたく集けり。 時に勅してさわに稲穂をかけてこれを養はしめたまふ。すなわち作れる歌云々。けだし、疑はく、ここよりすなはち幸ししかと疑ふ。
伊予の温湯宮に行幸された天皇は、舒明天皇だ。(舒明紀)
となると、網の浦に行幸された大君もまた、舒明天皇と考えられる。(日本書紀を基本と考えての話だが…)
網の浦ってどこ?そう、宇夫階神社のすぐ東隣接地。
即ち、舒明天皇は、宇夫階神社に参拝された可能性大ということにならないか。
神社の社伝では、津之郷からの遷座とあるが、津之郷は、鵜足郡8郷の一つで、現在の宇多津、丸亀市土器町に比定されている。今も「津ノ郷」として名を残し、現鎮座地も8郷の一つの「津之郷」であり、もとからこの場所にあったのでは?と思いたくなる。万葉の昔から「津ノ郷」が生きているって凄い!
加茂真淵、本居宣長らが、万葉集の「網の浦」は、「綱の浦」で、「ツナ=ツノ郷」に通ずると述べているが、本当に「網の浦」があろうとは思わなかったに違いない。
「網の浦」が、加茂真淵、本居宣長によって論じられているのも何だか嬉しい。
宇夫階神社、網の浦、津之郷…。悠久の歴史を感じるなあ。
平成23年6月撮影。
→国登録有形文化財 宇夫階神社社務所【宇多津町】
←国登録有形文化財 宇夫階神社本殿【宇多津町】
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