大矢根兄弟商会に関する記事第2弾
先日は、昭和8年(1933年)の記事だったが、今回は更に古く大正9年(1920年)1月7日付、大阪朝日新聞の記事。
讃岐名物万切包丁銑鉄錘
…煙草切包丁の方は三豊郡仁尾村大矢根兄弟商の当主大矢根良吉氏四代の祖が鉄鉢の名工で相伝□□に来た関係から明治二十四年煙草切包丁の製造を始め同三十年株式会社に更めて今日に及びその製□は□□□□の煙草専売局の工場□□□されているのは勿論支那各□□□□に輸出される…
これにより、明治初年の帯刀廃止令に屈する事なく、明治24年煙草切包丁の製造を始めることで活路を見出し、明治31年(前記事及び大矢根利器製作所HPより)株式会社に組織更えした、と判る。
大阪朝日新聞にて、讃岐の名物として紹介されている。
参考:神戸大学附属図書館~電子図書館
→仁尾の町並~仁保から仁尾へ【三豊市仁尾町】
←仁尾の朝日庖刀1~大矢根兄弟商会(三豊市仁尾町)
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先日は、昭和8年(1933年)の記事だったが、今回は更に古く大正9年(1920年)1月7日付、大阪朝日新聞の記事。
讃岐名物万切包丁銑鉄錘
…煙草切包丁の方は三豊郡仁尾村大矢根兄弟商の当主大矢根良吉氏四代の祖が鉄鉢の名工で相伝□□に来た関係から明治二十四年煙草切包丁の製造を始め同三十年株式会社に更めて今日に及びその製□は□□□□の煙草専売局の工場□□□されているのは勿論支那各□□□□に輸出される…
これにより、明治初年の帯刀廃止令に屈する事なく、明治24年煙草切包丁の製造を始めることで活路を見出し、明治31年(前記事及び大矢根利器製作所HPより)株式会社に組織更えした、と判る。
大阪朝日新聞にて、讃岐の名物として紹介されている。
参考:神戸大学附属図書館~電子図書館
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