丸亀城の二の丸井戸だ。
二の丸井戸の深さは、36間(56.8m)もある。
二の丸井戸には、悲痛な伝説が残っている。
丸亀城の石垣を築いたのは、山崎家治の家臣羽坂重三郎である。羽坂重三郎は、那珂郡苗田村の人で石工の名人と謳われていた。山崎家治が石垣修築工事の際に「よもやこの石垣を登る者は誰もいないであろう」と告げたところ、羽坂重三郎は、「私に一尺程の鉄棒を持たせて下されば登ってみせます」と申し出た。そしてその言葉どおりするすると石垣をよじ登った。
山崎家治は、これを見て驚嘆し、もしも羽坂重三郎が敵方に回ったらそれこそ一大事と考え、羽坂重三郎に城内の井戸を探らせ、隙をみて上から石を落とし、生き埋めにしたという。
羽坂重三郎は、石垣だけでなく、丸亀城の構造をも手掛けた人物とも謂われている。
『新修 丸亀市史』(昭和46年、丸亀市)参考。
平成26年5月撮影。
→丸亀城三の丸
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