制御屋の雑記

気になる出来事や感じたことなどを、すこしばかり言ってみようかとw

「台湾人元日本軍人・軍属の慟哭」

2006-02-24 | 思い
 我々は過去の史実と真摯に向き合い、そしてそれを教訓として学び、無数の先人達の生き様を後世に伝えなくてはならない責任と義務があると思います。 
 社会や教育が出来ないのなら、気がついた者から始めれば良い。またそうしなくてはいけないのではないかと自問しています。

 
 『台湾の声』 読者投稿文より転載します。
 昨年6月に、私は台湾人のおじいさんにある頼まれごとをされた。その方は、若い頃、ビルマ戦線で日本軍人・軍属として、戦った方だ。頼まれ事とは、「朝雲新聞社から出版されている『イラワジ会戦』という本を探して、買ってきてもらいたい」とのことだった。

 おじいさんは私が多忙なのを知っているので、「急がないから、ついでのときで構わないよ」と気を遣ってくださった。私も日常生活の多忙の中、時々、気にかけて、同書を探したが、結果、出版元に問い合わせても、「絶版」との返答であった。国立国会図書館、防衛庁図書館などに所有していることが分かったが、COPYするにしても、版権の問題もあるし、このような図書館のCOPY代金は通常よりも高いので、どうしたものかと二の足を踏んでしまった。

 あるとき、東京大学の図書館にあることが分かり、東京大学大学院生に事情を話して、その本を借りてもらって、外部で複製製本してもらうように、依頼した。しばらくすると、彼は、「名古屋の古本屋で1冊だけ販売している」という情報を私に伝えてくれた。私は大急ぎで、注文して、取り寄せた。
 
 昨年末、ちょうど台湾に行く機会があったので、私は知り合いの台湾人のおばあさんと一緒に依頼主の台湾人おじいさんを訪ねた。目的は、勿論、依頼された『イラワジ会戦』の本を渡すためだった。最初は、たわいもない話で談笑したが、うっかり私は本来の面会目的を忘れそうになり、あわてて、本を取り出した。

 「長らくお待たせして、すみませんでした。6月に頼まれていた本が、東京大学大学院の友人の協力もあって、苦労して、やっと入手出来ました。絶版した本なので、入手するのが大変でしたが、約束を来年に持ち越さないで、そして、約束を守れて良かったです」と私は言いながら、その本を台湾人おじいさんに手渡した。

 台湾人おじいさんは、かなり驚いた様子で言葉がすぐに出なかった。むさぼるように、本をめくり、同封された戦法の地図を広げながら、興奮した様子で、おっしゃった。「そうだよ、私たち”日本兵”が大東亜共栄圏を守るために、必死で戦ったんだ。ああ、ここで、戦友が死に、ここで戦友が負傷して…」
 
 台湾人おじいさんは、自然にあふれる涙をぬぐおうともせず、私の手を握り締めて、「ありがとう。本当にありがとう」と何度も頭を下げてくださった。ご自身さえ、この本の購入を依頼したことを忘れかけていたところに、私が台湾まで持参したというのだ。

 その様子を見ていた台湾人おばあさんは、おっしゃった。「日本人だからよ」
 私はとっさに何の意味か理解できなかった。おばあさんは厳しい口調で、続けておっしゃった。「他の国の人間に、こんなことを頼んで、誰が約束を守りますか! 日本人だから、どんなに忙しくても、必死に約束を守ってくれるの」

 私は身が引き締まる思いがした。「そんな大そうなことをしていないのに」と思ったからだ。同時に、台湾人が日本人をそのように評価してくださる言葉に日本人の立場の私の方が有難かった。

 台湾人おじいさんの涙は止まらず、おっしゃった。「私たちの心の叫びが分かりますか?今、高砂義勇隊ばかりを日本人は顕彰しているけど、それは違うんだ。アジアの平和を守るために、”日本軍人・軍属”として、命がけで戦ったのは、高砂族だけじゃないんだよ!我々、平地の台湾人だって、最前線で、戦ったんだ。たくさんの大切な戦友を亡くして、大きな犠牲を払って、一生懸命…」

 私は、何と言葉をかけて良いか分からなかった。良かれと思って、日本人たちが、高砂義勇隊の慰霊碑を建立したり、高砂慰霊碑撤去を救って、募金活動したことが、ある意味、平地の台湾人元日本軍人・軍属の心を傷つけている現実が目の前にあるのだ。

 台湾人おじいさんの心の慟哭は、続いた。「我々は、中国や朝鮮半島のように、日本政府に対して、戦争賠償金や謝罪を求めようなどという気は全くないのだ。天皇陛下でも、日本国総理大臣でも、たった一言でいい。”おまえたち、日本軍人・軍属として、よく頑張ってくれたな。ご苦労さん。”その言葉さえあれば、充分なのだ。どうして、戦後60年、日本はたったその一言を言ってくれないのですか!」

 日本人として、本当に謝らねばならないのは何だろうか?
 日本人として、本当に感謝しなければならないのは何だろうか?
 日本人が本当にすべきことは、何なのだろうか?

 私は1人、同じ日程で、高雄の旗津半島にある無名戦士の慰霊碑を参拝した。
 許昭栄さんは、命がけで、全人生と全財産をかけて、すべての戦争犠牲者に対して、 この慰霊碑を建立した。私が許昭栄さんを訪ねたときには、マンションの家賃が払えずに、部屋を引き払うところだった。
 
 私は許昭栄さんとの約束も翌年に持ち越したくなかった。アルバイトで得たわずかばかりのお金を 「無名戦士の慰霊碑維持と献花のために使ってほしい」と封筒を渡した。

 許昭栄さんは「学生がそんなことをするものではない」と笑っていたが、私は笑えなかった。

 夕日が沈むバシー海峡を背景に、無名戦士の慰霊碑と複雑な台湾事情に対して、日本人の私は、心から頭を下げた。

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