風信子(ひやしんす)の☆本の紹介&エッセー☆俳句

濫読・雑読の風信子(ひやしんす)が気の向くままに、お気に入りの本を紹介いたします。

☆ 恐い話。その2

2011年08月17日 | ☆ひやしんすの☆今日の出来事♪
美々津に住む母方の祖父の喜寿の祝いをしたのは、昭和55年の元旦であった。

前年の元旦は父方の祖母が亡くなっており、それが、ちょっと気になっていた。そちらを訪問せずに美々津にきて、なんだか心が騒ぐというか・・・。

喜寿の祝いを兼ねていた御正月の膳はにぎやかであった。長女の母が段取りをして東京や新潟で暮していた叔父叔母がそろっており従姉妹たちもいたからだ。

が、祝いの席の中心にいた祖父は胃をこわしていたか、顔が蒼白にみえて不安の材料だった。

写真をとるとき、席の中心になっていたのが祖母であるのに気が付いて、どうしてか、そんなことも気がかりな事であった。

その後、祖父は入院することになり父母の通いやすい宮崎市内の病院へ入院した。祖母も高血圧が見つかり一緒の部屋へ入院することになった。

秋になって夢をみた。

美々津の家の薄暗い客間にいる数人の親戚達、やかましく話しているのだが内容が聞こえない。祖父の弟とかそういう人たち。と、その人たちの後ろに無言で座っている祖母の姿が見えた。その光景を私が部屋の空間から見ているという夢である。

不吉な夢に思えた。じっと無言で座っている祖母の姿には儚(はかな)さがあった。影が薄いというか・・・。

夢の話を友人にした。「祖父が入院しているけど、なぜか祖母が亡くなるような気がして不安なのよ。」

そして12月になり祖母は急に亡くなった。



まだ72歳位の祖母であったから、母達は早すぎると泣いた。また女として少しも自由な時間を持てなかったことを嘆いた。女達は当然、祖父が先に逝ってしまうだろうと思いこんでいた。その後の自由な時間を祖母が持つことができると確信的に思い込んでいた。「可哀そうだ。あんまり可哀そうだ。」と嘆いたのは、明治35年の男に仕える祖母への同情であっただろうか。

私も非常に祖母が恋しくて悲しかったけど、母は葬儀の時から悲嘆にくれていた。立ち上がれなくて両脇を叔母達だかれて歩いたくらいである。ちょっと心配であった。

お棺のなかには一番おきにいりの着物を入れてあげた。だが、母はゾウリを入れ忘れた。

すると夢にでてきたそうである。ゾウリを捜していたそうである。

つづきはまた。




 
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