風信子(ひやしんす)の☆本の紹介&エッセー☆俳句

濫読・雑読の風信子(ひやしんす)が気の向くままに、お気に入りの本を紹介いたします。

今朝のはいく(無季あるいは川柳、あるいは五行詩)

2005年06月28日 | 俳句★無季俳句★川柳★五行詩★短歌
透扇子(すいせんす)
なんにょ(男女)をとわず
持ちにけり

(駅での光景。一時廃れかけたのにね)

小団扇を
粋に揺らして
歩む男(ひと)

(これも朝の駅。優雅な足取り、余裕やなあ。素敵♪)

小粒な
歯並びイルカの
笑い顔
(顔はおおきいのにね。愛嬌あるわ。)



遠藤周作先生もおっしゃっていた『共時性』を感じさせる出来事が起きた!

2005年06月26日 | ☆エッセー☆ビター(苦味)をちょっぴり
そのことは今朝になるまで知らなかったのであるが、不思議な一致なのである。

昨日、図書館司書の講習が始って2つ目の試験が午後からあった。『生涯学習概論』である。色々な問が出た。リカレント教育とは? 生涯学習とは? 社会教育とは? 発達課題とは? 最後に、生涯学習支援のために図書館が果たす直接サービスにはどういうものがあるか。

出るべくして出た問題だが、勉強不足でギリギリまでノートを開く体たらくであった。でも、同じように皆がドキドキしているのが分かった。そして終わったとき、疲労感を感じた。

土曜の3時半というマダ暑い日盛りに試験は終わった。梅田に出てきたときは4時過ぎ。月曜には『中国の図書と図書館史』の試験がある。講師が配った資料とノートは持ち込み可と聞いて、皆は一様にホッとしていたが、私はわからない言葉がたくさんあるので調べないといけない。若い子達はなじみの大学図書館へ行くと言っていた。私は、先日、紀伊国屋で一冊のビジュアルガイドブックを購入していたが、まだもっと詳しいものを欲しい。

ということで、ジュンク堂まで本の入った思い荷物を抱えて歩いていった。
古代中国史というようなものしかない。色々と物色していたら、懐かしい東洋文庫の棚を見つけた。だいぶ昔に二冊購入していただけだけど。東洋文庫はどこにでも置いてある文庫ではない。だいぶ若い頃に唐の時代に惹かれていて、有名な『長安の春』石田幹之助を買った。雰囲気に酔いしれていたけど、活字が小さいので若い頃でも読むのが大変だった。

あと一冊は、『中国社会風俗史』であり、なかなか珍しい本なので欲しくて買ったのだ。東洋文庫は、とても貴重な本や珍しい本が多い。絶版になった惜しい本も多いらしいが、つい最近、テレビで出版している平凡社が、古本屋で埋もれていた自社の貴重本(東洋文庫のを)捜して、スキャナーでパソコンに取り込み、本を電子化して売るのに備える様子を伝えていた。

(この、東洋文庫を電子化する様子を見ているのも、ナンカ印象的というか、不思議だよね。なかなかこうはいかないと思う。偶然の一致というか・・・。)

この東洋文庫をはじめて見たのは、最初にふれたように独身の頃である。別府大学で図書館司書補の講習を受けていて、大学の図書館の本は借り放題だったから、入り浸っていた。そのときに、東洋文庫集の書架をみて感動した。参考資料として『長安の春』東洋文庫~ と紹介されるばかりで地方の本屋では目にふれない本に初めて出会えたのだ。とても嬉しかった。

で、今回は司書講習を近畿の大学で受けていて、大きな都市型書店で25年ぶりに東洋文庫の本をたくさん見て一冊手に入れた。

25年ぶりに東洋文庫の本を購入というのも何か不思議だけど、もっと不思議なのはズット捜していた本を買ったのだけど、捜していたのは『パンソリ』という韓国の伝統芸能の歌集なの。2千3百円もするし、買うのを迷った。他にも買わなきゃいけない本があるし。でも、なかなかココまではこないし、と思案して買った。私の知りたかったのは、『沈清歌』(シムチョン歌)なのだけど、有名な『春香伝』(チュンヒャン伝)が最初に載っている。これも知りたい。やっぱり買おう!

と思って購入し、T市へ帰ってきた。その後、本をチラリとみるだけで、朝が来た。
で、朝、朝日新聞の土曜日のサービス版(be on Saturday)を見て驚いた。

一面に“百年の契り忘れがたく” という見出しで、愛の旅人、韓国・南原 『春香伝』の紹介がされている。あ~!! やはりこの本を買っておいて良かった。買わなければ、この記事をみたときにシマッタやはり買えばよかったとおもうだろうから。

それより、こんな偶然があるだろうか。やはり、遠藤周作先生が著書で書かれていたような、『共時性』のようなものだと思う。さらに、ジュンク堂では遠藤先生の『人生にはすべて無駄なことはない』の本を目にしていた。欲しいなと思ったが、また今度ねとあきらめた。やっぱり買うべきだったのかなあ。

今、零時20分。こんなことしていてどうする風信子。でも、書いておきたかった・・・。

今朝のはいく(無季あるいは川柳、あるいは五行詩)

2005年06月24日 | 俳句★無季俳句★川柳★五行詩★短歌
黒いスーツ(服)
に巻き毛かかる
女(ひと)、立ちて
経済誌読む。
爪うつくしき

(朝のバスの中である。若い彼女が読んでいるのは
経済新聞。私はすぐ後ろに立っている。
おお、今『私の履歴書』では野球監督の
野村克也氏が書いているのか。
昔、会社の新聞で読んでいたっけ。面白そう。
しかし近眼では内容までは読めないのだ。)


今朝のはいく。駅で・・・。

2005年06月23日 | 俳句★無季俳句★川柳★五行詩★短歌
手鏡や
手のひら大が
流行(はやり)なり

(最近の女子高生の持つ手鏡はかなり大きい。
たぶん、顔が全部はいるからかな。ホントは手のひらよりも
ズット大きいのだ。本くらい)

手鏡や
小振りなものは
廃れけり

(ひっそりと鏡をのぞきこむなんて
流行らないのかな)

掲げ持つ
鏡にハイル!
ナルシスト
(電車待ちの最前列での光景。
ハイルはもちろん、ハイル・ヒットラーよ)


6月19日神戸モザイクは父の日の家族で一杯でしたよ。

2005年06月23日 | ☆3月11日(地震)以降の日本の問題
この日は、風が気持ちよく吹いていて、海を見てゆっくりと過ごせました。
ちょっと珍しいイタリアのインテリアを見つけました。食べられないの。飾りようのピクルス漬けです。

ガラスのビンでモダンなアートなので欲しかったけれど、どれにしようか決められないのでやめました。

「完全自殺マニュアル」 鶴見 済 著作

2005年06月19日 | ☆ひやしんすの☆好きな本の紹介♪
さて、書架に並べるにはふさわしくないという意見を4つ並べますね。

第一は、この本が自殺幇助となってしまうからです。
決して本自体は自殺を勧めているわけではないのですが、現実にこの本を読んで自殺ということは起こっているのですから書架には並べるべきでない。

第二は、図書館は資料を選択して、どのような本も利用の提供をしていますが、図書館協会が1974年にだした図書館の自由に関する宣言のなかにも、第二、図書館は資料提供の自由を有する。1、提供の自由は、次の場合にかぎって制限することがある。これらの制限は、極力限定して適用し、時期を経て再検討されるべきものである。とし、人権プライバシーを侵害するものはこの限りではないといっている。これからみると、「完全自殺マニュアル」は人の生きる権利を侵害している。あまりにも問題ありである。

第三、各地の市町村で有害図書に指定されているものを提供するということはどうであろうか。有害図書は外すべきである。あまりにも内容がおそまつであり図書館の良識を疑われる。

第四、・・・うーむ。眠い。残りは思いつかない。誰か考えつかないでしょうか。

本の選別はむずかしい『完全自殺マニュアル』 鶴見 清 著作について

2005年06月17日 | ☆3月11日(地震)以降の日本の問題
今晩は風信子です。
コメントいただいている方、お返事がおくれてごめんなさいね。m(__)m
明日の夜くらいまで待ってくださいね。

今夜は、レポートの整理をしています。
辞書を引き引きよりはココで入力しながら意見をまとめて、清書用に作ってしまっちゃいますね。

さて、『図書館資料論』の課題は、一冊の本を図書館の書架に並べるかどうかについて検討しているところと想像して欲しい。その本は『完全自殺マニュアル』です。
本の選別については図書館界でも意見が分かれるところらしいのですが、自分なりの意見を持つ為に敢えて両方の意見を考えてみるようにとの講師の意見です。書架に並べるという意見を4つ。書架に並べないという意見を4つ。書き出すようにとのことです。

この本を読んで自殺した人もあるようです。その件の詳しいことは↓のリンクで読むことができます。
『ドキュメント完全自殺マニュアル』規制騒動

今夜は個人的見解を中心にして、意見の元となる資料のことは述べません。というか、これから勉強するんですがハハハ。

では先ず図書館として書架に並べることに賛成の意見から。
1番目、この本の存在が自殺願望を持ちながら、かろうじて踏みとどまっている人にとっては一種の精神安定剤となっている。「死ぬのはいつでもできる」ということです。気持が楽になり落ち着けるというわけです。

2番目、 参考資料として読みたい読者の役にたつ(死あるいは生への単純なる好奇心)

3番目、 趣味として読書をする人は常に興味を引く本を求めているが、海外旅行を長年楽しむ人が平凡な観光地には飽き飽きして、南極へ旅行したりする。そういう風変わりな趣向を求む人にとっては読みたい本かもしれない。

4番目、 救命を職業に選ぼうと願い勉強を始めた人には入門書となるのではないだろうか。「医学」「救急隊」をめざす人。あるいは「法医学」へ進みたい人。専門的な参考資料として。初級遍ながら。

今夜は、時間がないから賛成意見だけにしよう。
以上の意見の根拠については、日本図書館協会の「公立図書館の任務と目標」(抄) 第1章 基本的事項(知る自由の保障)
2 住民は、あらゆる表現の記録(資料)に接する権利を有しており、この住民の知る自由を保障することは、公立図書館の重要な責務である。

京都 白川 紫陽花

2005年06月12日 | ☆3月11日(地震)以降の日本の問題
6月12日、日曜日。
最近、JR京都駅ばかり遊びに行って、河原町のほうへ出かけていないということで阪急に乗った。
午後3時45分という中途半端な時間なのだが、T市からは充分に堪能できる距離である。河原町で降りてすぐには地上にでないで、しばらく高島屋の地下食料品売り場を楽しむ。夕食はお弁当でもいいなあと思いながら地上へ。

気温28℃くらいだが風が吹くとさわやか。鴨川へ降りてみると河原には座れるところには皆すわっている。床がたくさんでている。川の水が少ないので臭い。早々にひきあげる。

夫は万博公園あたりの紫陽花を見たかったというのだが、ゆっくりしすぎて時間的に無理があったのだ。しかし、四条大橋を渡って南座のあたりから北へ向かうと、せせらぎの道という小粋な空間に緑が多く風も吹いて気持ちよい。日曜のせいか車がうるさいのが難点だ。途中で桜の頃にはよく通る白川通りへ入った。観光客が嬉しそうに散策している。

おもいがけず紫陽花が川縁にたくさん植えてある。携帯でたくさん写したけれど、手ぶれやピントが変なところへ合っていて残念。一枚だけ今夜はUPしますね。




本、見つかった!

2005年06月11日 | ☆ひやしんすの☆好きな本の紹介♪
6月11日、司書の講習が終わったあと、地下鉄を降りて阪急梅田の紀ノ国屋に行ってみた。

各教科の先生方が、それぞれ色々な参考図書を紹介してくれる。
しかし、膨大な書籍になるので全部を読むこともできない。
気になる本は買ってしまおう。新書や文庫なら。あまり固くない本に限り。

ひとつは『指と耳で読む』本間一夫著。日本点字図書館を作った方だと言う。リクエストに応えてアンコール復刊・岩波新書とあった。嬉しいなあ。

あとひとつはアメリカのSF作家レイ・ブラッドベリが描いた小説『華氏451度』である。本を読むことも所持することも禁止された未来都市。主人公は、焚書官なんて本を密告や投書により、家宅捜索をして本を捜しだし火炎放射器で焼き尽くす係りだ。早川文庫なんて買うのは久し振りだなあ。

月曜日は、この禁書・焚書をテーマに講義を午前中に聞いてから、1966年に作られたイギリス映画『華氏451』を観る予定だ。






6月10日 『ビター(苦味)をちょっぴり』 まいにち習う焚書(ふんしょ)の輪?

2005年06月10日 | ☆エッセー☆ビター(苦味)をちょっぴり
司書講習に通いだして、8日が経った。
14科目のうち講義が始ったのは6科目。演習科目は別にして思想的(理論的)な図書館学のなかで、もっとも大きなのは『図書館概論』であろう。図書館学の総合的な内容を含んでいる。全30時間。ここで図書館学のまとめを習う。これを習うことの大きな円か袋としよう。

その下に科目が分かれていて、それぞれ『図書館サービス論』とか『情報サービス概説』、『図書館資料論』などを習う。大きな袋のなかに入る袋だ。これらのほかにも袋は『生涯学習概論』や『図書及び図書館史』などがある。

つまり、大きな袋の『図書館概論』を学びながら、そのなかにある個別の袋を同時進行で教えていってもらうって訳。

となると、すべての図書館学は循環していくしかない。昨日、聞いたことを今日は別の科目で聞き、明日は他の科目で聞く。ハハア、よく出来ているなあ。忘れないうちに同じ言葉や同じ事柄が出てくるわけだ。

覚えの悪い頭には助かるなあと感謝! 感謝!
それなのに、先生方には、このことがハナハダ申し訳ないことであるらしい、のだ。師のたまわく「まことに申し訳ない」ということらしい。ナンノナンノいたく感謝。であります。

しかるに先生方、これではならない。受講生が飽きてしまう。同じ事を聞かされる身にもなってみよ。と判断し、「このテーマはアタシ詳しくしゃべります。あなたチョコットダケでお茶をにごしてください」「じゃ、著作権法はあなたにゆずるとして僕は、これこれをしゃべりますから」「え、それはちょっと待ってくださいよ。それじゃ都合が悪い。なぜなら私の方が先にこれこれのテーマで・・・」となり、事前の配慮というか、テーマ争奪戦ともなっているらしい。

ウーム。面白い。皆、頭をひねって工夫をこらし、いかに同僚講師の先生に叱られないように気をくばりつつも、ついしゃべりたくなるテーマをしゃべってしまうらしい! 

ダッテこれ今、流行の、活きの良い素材なんだと思う。だから、立てるべき相手を立てながら、興味のあるテーマなんで、となると力を入れてしゃべりたくなる事柄。触れておきたい事柄なんだわ。最も受講生に伝えたい事柄なんだわ!

で、風信子。

ところで図書館学はそれぞれに進行していくのだが、
昨日は『図書および図書館史』で、古代中国の焚書(ふんしょ)について習った。今日は、図書館概論でケストナーの『本は焼かれています』を習った。検閲、禁書の問題である。

『図書館資料論』の先生は、初回から最近の図書館などで起こった、図書の選別についての事例を資料として配布されたり、「完全自殺マニュアル」の本について、図書館はどうすべきかレポートに書けという。

『図書館概論』の先生も負けてはいない。読む自由と禁書、検閲について説明されたあと、ブラッドベリ著の『華氏451度』を紹介された。そして! ジャーン。月曜日は、朝から『華氏451度』のビデオをみせていただくことになった。90分。本を読むことを禁止された国。本を読むことを禁止されたら人はどうなていくのだろう。図書館員として是非、見ておく必要がある。とのことで、嬉しいなあ。本も読んでみたいけれど。楽しみだなあ。

『草鞋(ワラジ)編みに挑戦!』

2005年06月05日 | ☆エッセー☆ビター(苦味)をちょっぴり
昨日、司書講習がお昼で終わったので気持ちに余裕が出来た。講習4日目でだいぶ慣れてきたし。
ということで吹田博物館に行くことにした。
友人が吹田博物館でボランティアをしていて遊びにくるよう誘ってくれたのである。
彼女はパッチワークや織りの講師もするし、縄文生活文化の研究家でもある。
ワラジ編みなんか直に取得してしまうらしい。
手仕事には疎い私。
少しばかり心配だったが細かい始末などは手伝ってもらい何とか完成した。まさかワラジを編む体験が出来るとは思わないから嬉しかった。ちょっと形が丸すぎるのは愛嬌だ。

下は製作中の様子である。鼻緒をつけてもらいさらに編み進んでいく。道具は縄を引っ掛けて編みやすくしたものである。




ひやしんすの☆エッセー☆ 6月4日 『ビター(苦味)をちょっぴり』 生涯学習って・・・。

2005年06月04日 | ☆エッセー☆ビター(苦味)をちょっぴり
かっての江戸時代は門閥制度や身分制度に人々はがんじがらめになりあえいでいた。ということで、これらから脱却しようという若手の武士により明治維新が成功した。

ところが、明治の御世も「末は博士か・・・」ということで学歴社会に移行しただけという有様で、因習の弊害が色濃くでてきた。

戦前でも同様であろう。戦後も同じく。

で、世界的にもそういう世の中であったのだろうが、1965年に「生涯教育」という提唱がユネスコで発表された。ユネスコは国連であるから日本もこれは自国もなんとか格好をつけないといけないなあと思う。
しかし、幸いなことに日本には「生涯教育」の下地があったのである。

それは、国による社会教育である。二宮尊徳を見習いなさい。文化財を尊びなさいという啓発や啓蒙があり、国としても、すんなり受け入れやすい思想であった。ニンマリ(^○^)

で、1989年に啓発のために作られた「生涯学習」を紹介するビデオなどには、江戸時代と変わらぬようなシステムであるのに、社会教育を受けなさいという、国(行政・あるいは自治体)による社会教育を授けようというウルワシイ国策紹介がなされている。

マコトに結構なことである。本日まで信じて疑わなかったものね。
この、生涯学習社会とは? 学歴社会。それだけで人を評価する。それではおかしい。これでは駄目である。なんとかしてこの社会を変えていこう。人が、正当な評価をされる社会に移行していこう。りっぱな理想である。

でも、これには国によるゴマカシがあった。
生涯教育=リカレント教育。 この読み取り方には、国による巧妙なすり替えがあった。

1973年にOECDにより発表された「リカレント教育ー生涯学習のための戦略」
この政策には、経済との関係があったらしい。経済向上、経済発展のためには単純労働者ばかりでは駄目だ。低学力、あるいは人種的な不利益を超えて、人に再教育のチャンスをあたえよう。基礎教育を学校で受けて働き出した労働者に技術や知識をさずける職業訓練を!

それを受けてILOは「有給教育休暇条約」を示した。
エ、そんなもの日本にあった? ないでしょう。 再教育を受けるために有給で休暇が取れる?
日本では? 子育て終わった主婦の、あるいは退職した男性の生きがい見つけ、文化的活動、自己実現(ボランティア)・・・。あきれた・・・。物凄いすり替えでしたね。

もう一度いいます。リカレント教育。生涯学習。
世界と日本では制度が違います。内容が違います。

世界のなかの先進国。若者が有給休暇を取って大学などで高度な勉強をし、あるいは高度な職業訓練を受ける。身分は保証され、戻れば評価され復職できる。

日本。いったん会社を辞める。大学で再教育。自前で高度な職業訓練。
戻ったら再就職さがし。評価されない。元の会社へ復職できない。

講師いわく、「こうしたことは、リカレント教育を勉強してこいと日本国が外国へエリートを派遣するから片手落ちになるのである。大学院まででたエリートに一般の庶民の気持のわかる人がいたのだろうか」

生涯学習について語る前置きの言葉であるが、こういうことに妙にこだわって真剣に聞いているのである。こんなことでは本論のテストができるかしらん。でもさ、大学で学ぶという意味の面白さはこういうことにあると私は思うのだ。

ひやしんすの☆エッセー☆ 6月3日 『ビター(苦味)をちょっぴり』 著作権って・・。  

2005年06月03日 | ☆エッセー☆ビター(苦味)をちょっぴり
有吉佐和子さんといえば、私にとっては大事な作家だ。『華岡青洲の妻』など舞台化された作品も多い。
この方は、目の不自由な方のための読書サービスとしての録音を許されなかったそうだ。

「私の書いたものは耳から聞くようにはなっておりません」として、拒絶されたそうである。
確かに作家は漢字などの配置に目を配り、文章の美しさを『字面』が良いとか、あるいは『字面』が悪いという。けれど、こうした、かたくななとも思える態度は、広い意味の読者を前にして許されるものであろうか。

果たして、許されるのである。それが、著作権というものらしい。
書いたものに対する作者の思いは、なにがどうであれ、作者の自由であり権利であるらしい。また守られねばならないものらしい。

遠いかすかな記憶だが、何かの対談集で、このことについて書かれていたのを読んだような、読んでいないような、別のことで評されていたことを私が取り違えているのか、書名を失念したので確かめようがないのであるが・・・。

確かにこのような会話が二人の男性により交わされていた。
「有吉さんは、どうしてそのような事をされたのでしょうね」
「不思議ですね。普段の有吉さんからすると、どうにも納得できかねるやりかたですね」
「一ついえるのは、我々と違い有吉さんは女でありながら家族の生活費を生み出していかなければならなかった。家族を守らなければという意識が大変強かったのではないでしょうか。」
「そうとして考えなければ説明がつかないですね」

では、昨今の日本ペンクラブが、図書館の充実が本の売れ行きを脅かしているとして、売れているからといって、副本を大量に購入するな。図書館は著作権を守れと糾弾しているらしい。

このことはどうだろう。このことについては、マダ図書館協会に属している講師の先生方からは講義を受けていない。だが風信子は、いたく失望しているのである。

バブル前の高収入を維持しようとして、著作権を盾に取った横暴ではないかと思うのである。見苦しいゾ、作家先生。しかし、図書館協会としては苦衷にたっているらしい。これからこのことについても意見を聞くことになるのだろう。果たして・・・。

6月2日の風信子のエッセー『ちびくろさんぼ』は

2005年06月02日 | ☆エッセー☆ビター(苦味)をちょっぴり
図書の検閲なんて戦前の話と思っていたら、現実には様々な場所で、意図的に本を書架から取り除こうとした例があるようである。

表現の自由を尊重することは、知る自由を保障することになる。憲法で保障された表現の自由は最大限に尊重されないといけない。思想的に右であろうが左であろうが出版物は選別されずに図書館の書架に並ばないといけない。

高等学校の校長が、芸能人の本は読ませるのにふさわしくないと、黒柳徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』を排除したり、あるいは図書館長が作家・吉本隆明氏の『芸術的抵抗と挫折』の抵抗の言葉が公序良俗に反しているからと書架から取り除いたりした例があるらしい。

このように、自分は正しく認識しているが生徒は、あるいは市民はそういう判断ができないのであろう。という傲慢な心得があるから、つい勝手な判断をしてしまうのであるようだ。

そういうことでるので、たとえ『完全自殺マニュアル』であろうとも資料として読みたい人があれば提供すべきである。ということらしい。

さて、ちびくろサンボという児童書があって風信子が司書として公立図書館でアルバイトをしたときに、その本は貸し出しをしていなかった。黒人の特徴をひどく誇張した差別的であるという批判が出たためである。このとき出版社は一斉に出版を自粛して、図書館もこの本の貸し出しをしないことになっていたのだ。

個人的には納得できないようなことであったが、細かな指摘を聞くと、そういうものなのだろうか名とも思った。アメリカのほうで不快に思っている有色人種がいるということで・・・。

このことについては、詳しい情報と・意見を↓のサイトが公表している。
『ちびくろサンボ』廃刊と再刊に思う

ひやしんすの☆エッセー☆ 6月4日 ビター(苦味)をちょっぴり  『魂の医薬』

2005年06月01日 | ☆エッセー☆ビター(苦味)をちょっぴり
連れ合いの配慮で、今日から図書館司書の講習を受講できるようになった。
毎日の感動を記録しておこうと思う。

古代都市テーベ-の都というとロマンの香り高い趣があるが、その図書館の正面には『魂の医薬』という言葉が彫り刻まれていたという。随分むかしから、人は書物により心の平安や癒しを感じ取っていたものらしい。

また、宇宙の解説により名高いカール・セーガン氏は図書館のことを
『図書館とは体外の記憶装置である』といったよしである。言い得て妙である。覚えることはたくさんあるが、私が一番興味をひくのはこういったことであるのだ。あ~眠い。明日のために早く寝よう。アデュー。