風信子(ひやしんす)の☆本の紹介&エッセー☆俳句

濫読・雑読の風信子(ひやしんす)が気の向くままに、お気に入りの本を紹介いたします。

☆公共トイレから トイレットパーパーを盗む人って全国的なのかな?

2011年02月21日 | ☆エッセー☆ビター(苦味)をちょっぴり
ネットで検索すると、トイレットペーパーの盗難にはどこでも悩んでいるようである。



写真は、T市の駅前の公共施設の6Fのトイレで写したものです。(人の気配も少ない場所ですので撮りました。)

吹田の阪大医学部付属病院へ行ったら、1Fのトイレの中ですが、備え付けの業務用のトイレットフォルダーにナント直接、百均で買えるような鍵が取りつけてありました。ビックリした。 (ここは常に混雑しているので撮るのは遠慮。)

どうしてこんなことがあるのか不思議ですが、「サルでもわかる速報」というのを読むと大阪に限った話ではないのですね。

モラル欠如の人! ホームレスの人? という想像で考えてしまいますが、イイエ普通の人でしたよ。風信子は20年前にしばしばそれを目撃しました。

抜けてるとか、ポーッとしているとか言われ、それも愛嬌ネと言われている風信子ですが、

「ネ、ネ、ひやしんすちゃん。あの人ったら毎日やってきては、トイレットペーパーを持って帰っているのよ。」と同僚に小声で言われるまで気がつきませんでした。

場所は、アルバイト先のT市役所のトイレです。市民も職員も利用するトイレです。

その方は、普通の身なりの中年の女性でした。(シャツにGパンに手編みのベスト。30代後半か40代位。)

彼女は、紙袋の大きいのとか、ポリプロピレンの買物カゴ等を持参して個室に入り、積んであるペーパー6個とかをそっくり入れて出てくるみたいでした。

お昼休み休憩も終わり頃となって私たちは、トイレの鏡に向かって並んで、化粧直しをしていたのです。鏡に写った女性が個室を出ては隣の個室へ入ります。それを見て、利発な友達はすぐにピンと来たようでした。で、女性が次のトイレの扉を閉めてしまうと教えてくれたのです。

「信じられない」というと、「彼女、有名なのよ。」と小さく言い、可笑しそうに笑いをこらえて苦しそうです。

水を流す音がして女性が出てきます。

荷物が重くなったのか、カゴを持ち上げずに、ずるずると引きずるようにしてマタ隣のトイレへ入ります。

「どうして毎日のように出来るのかな。誰も何も言えないの

「だって、中を見えないようにカゴをシッカリ隠してはるし、盗んでいる現場をおさえる事はできないから、誰も何も言われへんねん。」

それから気をつけてると、しばしば彼女を見かけました。売るのかしら、まさか毎日、そんな大量には使えないはず・・・。

しかし、注意したとしても、「公衆トイレには「トイレットペーパーを持ち帰ってはいけません」という注意書きはないやん。」

と言われてしまったかも・・・。でも、それは勝手な理屈ですよね。

しかし、相も変わらず続いているのね窃盗罪と分かっているのに





 よかったら 両方ともクリックお願いします。
 
   人気ブログランキングへ    にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 高槻情報へにほんブログ村

風信子(ひやしんす)の ☆スリット(切り込み)が入ったお餅!

2006年01月03日 | ☆エッセー☆ビター(苦味)をちょっぴり

年末にあわただしく買い物をしていたときのことです。
スーパーのレジへ並んでいたら、傍らに積み上げてあったサト○の切り餅。二人暮しにはカビの生えにくいものも有難いから一袋ヒョイと取り、買い物カゴへ。
年の暮れには、パックではないお菓子屋さんのお餅も買ってみたりもするのだけどね。

昨年に比べてお値段、高いような。おかしいな。レジの側にはセールのものを普通は置くよね。そういえば、もち米が高くなる予想もでていたっけと、ひとり得心したのでありました。

で、あわただしい年の瀬に小腹が空いたら一個焼きとしていたら、お正月前に半分もなくなっていったのだけど。

最初に焼いた時、非常に驚いたのは、ナントこのお餅にはスリットが入っていたんだよう。そのおかげで、20年愛用の馴染みのオーブントースターで焼いたのに、こんがりとは焼けないでプウともふくらまないで、ペシャットしてなんとも美味しさ半減のモチであったよ。

ここへアップしたのは、夫のリクエストに答えて今朝焼いたお持ち。14個目に焼いたお餅が初めて、こんがりときつね色に焼けていたからビックリしたのだ。記念に写してあげた。ホラ、わかるかなあ。縦だけでなく、横にもうっすらと線が入っているのを。

そりゃね、このお餅がプウーと膨らんだ時に、中身が全てなくなっているくらい持ち上がっているのも腹立たしかったよ。だけど、こんなもののために値段を上げられているのもアタシャ相当に腹が立ったのさ。ペシャーとつぶれたままのお餅なんざぁ~。

と思って、あらためて赤い袋を取り上げてみたら、スリットが入って便利なお餅!
グラタンやピザなど色々な料理にもご利用いただけます。ってさ。

特別なお餅だったわけね。でも、時間ないときに選ぶ商品は、標準型にしてほしいわ。いちいち読んでいないんだから。『あっ、赤いパッケージ!さと○の切り餅だわ』ってホイと買うんだからア。

あいかわらず粗忽な風信子。しみじみと今年は慎重に買い物しようと思ったのでした。

 


遠藤周作先生もおっしゃっていた『共時性』を感じさせる出来事が起きた!

2005年06月26日 | ☆エッセー☆ビター(苦味)をちょっぴり
そのことは今朝になるまで知らなかったのであるが、不思議な一致なのである。

昨日、図書館司書の講習が始って2つ目の試験が午後からあった。『生涯学習概論』である。色々な問が出た。リカレント教育とは? 生涯学習とは? 社会教育とは? 発達課題とは? 最後に、生涯学習支援のために図書館が果たす直接サービスにはどういうものがあるか。

出るべくして出た問題だが、勉強不足でギリギリまでノートを開く体たらくであった。でも、同じように皆がドキドキしているのが分かった。そして終わったとき、疲労感を感じた。

土曜の3時半というマダ暑い日盛りに試験は終わった。梅田に出てきたときは4時過ぎ。月曜には『中国の図書と図書館史』の試験がある。講師が配った資料とノートは持ち込み可と聞いて、皆は一様にホッとしていたが、私はわからない言葉がたくさんあるので調べないといけない。若い子達はなじみの大学図書館へ行くと言っていた。私は、先日、紀伊国屋で一冊のビジュアルガイドブックを購入していたが、まだもっと詳しいものを欲しい。

ということで、ジュンク堂まで本の入った思い荷物を抱えて歩いていった。
古代中国史というようなものしかない。色々と物色していたら、懐かしい東洋文庫の棚を見つけた。だいぶ昔に二冊購入していただけだけど。東洋文庫はどこにでも置いてある文庫ではない。だいぶ若い頃に唐の時代に惹かれていて、有名な『長安の春』石田幹之助を買った。雰囲気に酔いしれていたけど、活字が小さいので若い頃でも読むのが大変だった。

あと一冊は、『中国社会風俗史』であり、なかなか珍しい本なので欲しくて買ったのだ。東洋文庫は、とても貴重な本や珍しい本が多い。絶版になった惜しい本も多いらしいが、つい最近、テレビで出版している平凡社が、古本屋で埋もれていた自社の貴重本(東洋文庫のを)捜して、スキャナーでパソコンに取り込み、本を電子化して売るのに備える様子を伝えていた。

(この、東洋文庫を電子化する様子を見ているのも、ナンカ印象的というか、不思議だよね。なかなかこうはいかないと思う。偶然の一致というか・・・。)

この東洋文庫をはじめて見たのは、最初にふれたように独身の頃である。別府大学で図書館司書補の講習を受けていて、大学の図書館の本は借り放題だったから、入り浸っていた。そのときに、東洋文庫集の書架をみて感動した。参考資料として『長安の春』東洋文庫~ と紹介されるばかりで地方の本屋では目にふれない本に初めて出会えたのだ。とても嬉しかった。

で、今回は司書講習を近畿の大学で受けていて、大きな都市型書店で25年ぶりに東洋文庫の本をたくさん見て一冊手に入れた。

25年ぶりに東洋文庫の本を購入というのも何か不思議だけど、もっと不思議なのはズット捜していた本を買ったのだけど、捜していたのは『パンソリ』という韓国の伝統芸能の歌集なの。2千3百円もするし、買うのを迷った。他にも買わなきゃいけない本があるし。でも、なかなかココまではこないし、と思案して買った。私の知りたかったのは、『沈清歌』(シムチョン歌)なのだけど、有名な『春香伝』(チュンヒャン伝)が最初に載っている。これも知りたい。やっぱり買おう!

と思って購入し、T市へ帰ってきた。その後、本をチラリとみるだけで、朝が来た。
で、朝、朝日新聞の土曜日のサービス版(be on Saturday)を見て驚いた。

一面に“百年の契り忘れがたく” という見出しで、愛の旅人、韓国・南原 『春香伝』の紹介がされている。あ~!! やはりこの本を買っておいて良かった。買わなければ、この記事をみたときにシマッタやはり買えばよかったとおもうだろうから。

それより、こんな偶然があるだろうか。やはり、遠藤周作先生が著書で書かれていたような、『共時性』のようなものだと思う。さらに、ジュンク堂では遠藤先生の『人生にはすべて無駄なことはない』の本を目にしていた。欲しいなと思ったが、また今度ねとあきらめた。やっぱり買うべきだったのかなあ。

今、零時20分。こんなことしていてどうする風信子。でも、書いておきたかった・・・。

6月10日 『ビター(苦味)をちょっぴり』 まいにち習う焚書(ふんしょ)の輪?

2005年06月10日 | ☆エッセー☆ビター(苦味)をちょっぴり
司書講習に通いだして、8日が経った。
14科目のうち講義が始ったのは6科目。演習科目は別にして思想的(理論的)な図書館学のなかで、もっとも大きなのは『図書館概論』であろう。図書館学の総合的な内容を含んでいる。全30時間。ここで図書館学のまとめを習う。これを習うことの大きな円か袋としよう。

その下に科目が分かれていて、それぞれ『図書館サービス論』とか『情報サービス概説』、『図書館資料論』などを習う。大きな袋のなかに入る袋だ。これらのほかにも袋は『生涯学習概論』や『図書及び図書館史』などがある。

つまり、大きな袋の『図書館概論』を学びながら、そのなかにある個別の袋を同時進行で教えていってもらうって訳。

となると、すべての図書館学は循環していくしかない。昨日、聞いたことを今日は別の科目で聞き、明日は他の科目で聞く。ハハア、よく出来ているなあ。忘れないうちに同じ言葉や同じ事柄が出てくるわけだ。

覚えの悪い頭には助かるなあと感謝! 感謝!
それなのに、先生方には、このことがハナハダ申し訳ないことであるらしい、のだ。師のたまわく「まことに申し訳ない」ということらしい。ナンノナンノいたく感謝。であります。

しかるに先生方、これではならない。受講生が飽きてしまう。同じ事を聞かされる身にもなってみよ。と判断し、「このテーマはアタシ詳しくしゃべります。あなたチョコットダケでお茶をにごしてください」「じゃ、著作権法はあなたにゆずるとして僕は、これこれをしゃべりますから」「え、それはちょっと待ってくださいよ。それじゃ都合が悪い。なぜなら私の方が先にこれこれのテーマで・・・」となり、事前の配慮というか、テーマ争奪戦ともなっているらしい。

ウーム。面白い。皆、頭をひねって工夫をこらし、いかに同僚講師の先生に叱られないように気をくばりつつも、ついしゃべりたくなるテーマをしゃべってしまうらしい! 

ダッテこれ今、流行の、活きの良い素材なんだと思う。だから、立てるべき相手を立てながら、興味のあるテーマなんで、となると力を入れてしゃべりたくなる事柄。触れておきたい事柄なんだわ。最も受講生に伝えたい事柄なんだわ!

で、風信子。

ところで図書館学はそれぞれに進行していくのだが、
昨日は『図書および図書館史』で、古代中国の焚書(ふんしょ)について習った。今日は、図書館概論でケストナーの『本は焼かれています』を習った。検閲、禁書の問題である。

『図書館資料論』の先生は、初回から最近の図書館などで起こった、図書の選別についての事例を資料として配布されたり、「完全自殺マニュアル」の本について、図書館はどうすべきかレポートに書けという。

『図書館概論』の先生も負けてはいない。読む自由と禁書、検閲について説明されたあと、ブラッドベリ著の『華氏451度』を紹介された。そして! ジャーン。月曜日は、朝から『華氏451度』のビデオをみせていただくことになった。90分。本を読むことを禁止された国。本を読むことを禁止されたら人はどうなていくのだろう。図書館員として是非、見ておく必要がある。とのことで、嬉しいなあ。本も読んでみたいけれど。楽しみだなあ。

『草鞋(ワラジ)編みに挑戦!』

2005年06月05日 | ☆エッセー☆ビター(苦味)をちょっぴり
昨日、司書講習がお昼で終わったので気持ちに余裕が出来た。講習4日目でだいぶ慣れてきたし。
ということで吹田博物館に行くことにした。
友人が吹田博物館でボランティアをしていて遊びにくるよう誘ってくれたのである。
彼女はパッチワークや織りの講師もするし、縄文生活文化の研究家でもある。
ワラジ編みなんか直に取得してしまうらしい。
手仕事には疎い私。
少しばかり心配だったが細かい始末などは手伝ってもらい何とか完成した。まさかワラジを編む体験が出来るとは思わないから嬉しかった。ちょっと形が丸すぎるのは愛嬌だ。

下は製作中の様子である。鼻緒をつけてもらいさらに編み進んでいく。道具は縄を引っ掛けて編みやすくしたものである。




ひやしんすの☆エッセー☆ 6月4日 『ビター(苦味)をちょっぴり』 生涯学習って・・・。

2005年06月04日 | ☆エッセー☆ビター(苦味)をちょっぴり
かっての江戸時代は門閥制度や身分制度に人々はがんじがらめになりあえいでいた。ということで、これらから脱却しようという若手の武士により明治維新が成功した。

ところが、明治の御世も「末は博士か・・・」ということで学歴社会に移行しただけという有様で、因習の弊害が色濃くでてきた。

戦前でも同様であろう。戦後も同じく。

で、世界的にもそういう世の中であったのだろうが、1965年に「生涯教育」という提唱がユネスコで発表された。ユネスコは国連であるから日本もこれは自国もなんとか格好をつけないといけないなあと思う。
しかし、幸いなことに日本には「生涯教育」の下地があったのである。

それは、国による社会教育である。二宮尊徳を見習いなさい。文化財を尊びなさいという啓発や啓蒙があり、国としても、すんなり受け入れやすい思想であった。ニンマリ(^○^)

で、1989年に啓発のために作られた「生涯学習」を紹介するビデオなどには、江戸時代と変わらぬようなシステムであるのに、社会教育を受けなさいという、国(行政・あるいは自治体)による社会教育を授けようというウルワシイ国策紹介がなされている。

マコトに結構なことである。本日まで信じて疑わなかったものね。
この、生涯学習社会とは? 学歴社会。それだけで人を評価する。それではおかしい。これでは駄目である。なんとかしてこの社会を変えていこう。人が、正当な評価をされる社会に移行していこう。りっぱな理想である。

でも、これには国によるゴマカシがあった。
生涯教育=リカレント教育。 この読み取り方には、国による巧妙なすり替えがあった。

1973年にOECDにより発表された「リカレント教育ー生涯学習のための戦略」
この政策には、経済との関係があったらしい。経済向上、経済発展のためには単純労働者ばかりでは駄目だ。低学力、あるいは人種的な不利益を超えて、人に再教育のチャンスをあたえよう。基礎教育を学校で受けて働き出した労働者に技術や知識をさずける職業訓練を!

それを受けてILOは「有給教育休暇条約」を示した。
エ、そんなもの日本にあった? ないでしょう。 再教育を受けるために有給で休暇が取れる?
日本では? 子育て終わった主婦の、あるいは退職した男性の生きがい見つけ、文化的活動、自己実現(ボランティア)・・・。あきれた・・・。物凄いすり替えでしたね。

もう一度いいます。リカレント教育。生涯学習。
世界と日本では制度が違います。内容が違います。

世界のなかの先進国。若者が有給休暇を取って大学などで高度な勉強をし、あるいは高度な職業訓練を受ける。身分は保証され、戻れば評価され復職できる。

日本。いったん会社を辞める。大学で再教育。自前で高度な職業訓練。
戻ったら再就職さがし。評価されない。元の会社へ復職できない。

講師いわく、「こうしたことは、リカレント教育を勉強してこいと日本国が外国へエリートを派遣するから片手落ちになるのである。大学院まででたエリートに一般の庶民の気持のわかる人がいたのだろうか」

生涯学習について語る前置きの言葉であるが、こういうことに妙にこだわって真剣に聞いているのである。こんなことでは本論のテストができるかしらん。でもさ、大学で学ぶという意味の面白さはこういうことにあると私は思うのだ。

ひやしんすの☆エッセー☆ 6月3日 『ビター(苦味)をちょっぴり』 著作権って・・。  

2005年06月03日 | ☆エッセー☆ビター(苦味)をちょっぴり
有吉佐和子さんといえば、私にとっては大事な作家だ。『華岡青洲の妻』など舞台化された作品も多い。
この方は、目の不自由な方のための読書サービスとしての録音を許されなかったそうだ。

「私の書いたものは耳から聞くようにはなっておりません」として、拒絶されたそうである。
確かに作家は漢字などの配置に目を配り、文章の美しさを『字面』が良いとか、あるいは『字面』が悪いという。けれど、こうした、かたくななとも思える態度は、広い意味の読者を前にして許されるものであろうか。

果たして、許されるのである。それが、著作権というものらしい。
書いたものに対する作者の思いは、なにがどうであれ、作者の自由であり権利であるらしい。また守られねばならないものらしい。

遠いかすかな記憶だが、何かの対談集で、このことについて書かれていたのを読んだような、読んでいないような、別のことで評されていたことを私が取り違えているのか、書名を失念したので確かめようがないのであるが・・・。

確かにこのような会話が二人の男性により交わされていた。
「有吉さんは、どうしてそのような事をされたのでしょうね」
「不思議ですね。普段の有吉さんからすると、どうにも納得できかねるやりかたですね」
「一ついえるのは、我々と違い有吉さんは女でありながら家族の生活費を生み出していかなければならなかった。家族を守らなければという意識が大変強かったのではないでしょうか。」
「そうとして考えなければ説明がつかないですね」

では、昨今の日本ペンクラブが、図書館の充実が本の売れ行きを脅かしているとして、売れているからといって、副本を大量に購入するな。図書館は著作権を守れと糾弾しているらしい。

このことはどうだろう。このことについては、マダ図書館協会に属している講師の先生方からは講義を受けていない。だが風信子は、いたく失望しているのである。

バブル前の高収入を維持しようとして、著作権を盾に取った横暴ではないかと思うのである。見苦しいゾ、作家先生。しかし、図書館協会としては苦衷にたっているらしい。これからこのことについても意見を聞くことになるのだろう。果たして・・・。

6月2日の風信子のエッセー『ちびくろさんぼ』は

2005年06月02日 | ☆エッセー☆ビター(苦味)をちょっぴり
図書の検閲なんて戦前の話と思っていたら、現実には様々な場所で、意図的に本を書架から取り除こうとした例があるようである。

表現の自由を尊重することは、知る自由を保障することになる。憲法で保障された表現の自由は最大限に尊重されないといけない。思想的に右であろうが左であろうが出版物は選別されずに図書館の書架に並ばないといけない。

高等学校の校長が、芸能人の本は読ませるのにふさわしくないと、黒柳徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』を排除したり、あるいは図書館長が作家・吉本隆明氏の『芸術的抵抗と挫折』の抵抗の言葉が公序良俗に反しているからと書架から取り除いたりした例があるらしい。

このように、自分は正しく認識しているが生徒は、あるいは市民はそういう判断ができないのであろう。という傲慢な心得があるから、つい勝手な判断をしてしまうのであるようだ。

そういうことでるので、たとえ『完全自殺マニュアル』であろうとも資料として読みたい人があれば提供すべきである。ということらしい。

さて、ちびくろサンボという児童書があって風信子が司書として公立図書館でアルバイトをしたときに、その本は貸し出しをしていなかった。黒人の特徴をひどく誇張した差別的であるという批判が出たためである。このとき出版社は一斉に出版を自粛して、図書館もこの本の貸し出しをしないことになっていたのだ。

個人的には納得できないようなことであったが、細かな指摘を聞くと、そういうものなのだろうか名とも思った。アメリカのほうで不快に思っている有色人種がいるということで・・・。

このことについては、詳しい情報と・意見を↓のサイトが公表している。
『ちびくろサンボ』廃刊と再刊に思う

ひやしんすの☆エッセー☆ 6月4日 ビター(苦味)をちょっぴり  『魂の医薬』

2005年06月01日 | ☆エッセー☆ビター(苦味)をちょっぴり
連れ合いの配慮で、今日から図書館司書の講習を受講できるようになった。
毎日の感動を記録しておこうと思う。

古代都市テーベ-の都というとロマンの香り高い趣があるが、その図書館の正面には『魂の医薬』という言葉が彫り刻まれていたという。随分むかしから、人は書物により心の平安や癒しを感じ取っていたものらしい。

また、宇宙の解説により名高いカール・セーガン氏は図書館のことを
『図書館とは体外の記憶装置である』といったよしである。言い得て妙である。覚えることはたくさんあるが、私が一番興味をひくのはこういったことであるのだ。あ~眠い。明日のために早く寝よう。アデュー。

2020年までには「意識」を持ったコンピューターの開発が可能になる?

2005年05月28日 | ☆エッセー☆ビター(苦味)をちょっぴり
『2050年、人間は「不死身」に=脳の中身をPC保存 (時事通信) - goo ニュース』

不老不死は今も昔も変わらぬ人類の願いとはいえ、
人間の脳の持つ全情報をコンピューターにダウンロードすることが可能になり、肉体は滅びても人間の意識は永遠に残る―。
それもお金持ちからその恩恵を受け、貧乏人は25年から30年待たねばならないなんて・・・。 
私自身の脳は、あんまり良い意識でないから保存するにはおよばないわ。
ところで、人間て、自分の意識を外部へ明らかにしたい、世間に形として残したいから様々な芸術活動や創作に励むんではないかしら。そういう事で考えたら、創作活動も廃れてしまうのかしら。マ、違うでしょうけれどネ。
それに、どうなんでしょうね。お金持ちだけど平凡な精神の持ち主の脳を永久に残しても人類に得なことがあるのかしら。現代でもアインシュタインの脳とか保存してあるらしいけれど。(違ったかな?)

でも、2020年までには「意識」を持ったコンピューターの開発が可能になると指摘。というのは、絶対無いとは言い切れないような気もする。良いか悪いかはわからないけれど。15年後ならマダ生きていて経験できるような気もする。
早期痴呆で独り言をいう私に、ロボットが同情して、背中をさすって「私だって、油切れの頃は関節が痛むんですよ。このビタミンさえ飲めば膝は大丈夫ですよ」なんて言われているのかも。(^○^)

しかし、悪いやつの遠隔操作で強盗に入り、ロボット自身が顔を見られたからヤッチマエ!
なんて恐い事もあるかもしれぬ。せっせと貯金して用心棒ロボットを買おう!!

ひやしんすの☆エッセー☆ 5月21日 『ビター(苦味)をちょっぴり』  

2005年05月21日 | ☆エッセー☆ビター(苦味)をちょっぴり
文藝春秋6月号に載っていた、作家 深田祐介氏の記事に興味を持った。
「かくして私は仏教を捨てた」檀家総代がキリスト教へ改宗するまでの心の遍歴・・・。という小見出しつきである。ウーム。

あまりに俗悪な寺に絶望して、キリスト者へなられたよし。書かれていることには深く共鳴した。が、教会へ所属するということは、深田氏も孤独に耐えられずに結果、組織に所属することを選択したということを意味するものだ。人はよるべなきものだ。熟慮の果てであろうから、後悔はさらにない、という仏教への決別が語感にもでていて清々した気分の高揚がうかがえる。

そういう風に決心してしまえる人は羨ましいものだが、不勉強でもあるし、そうひとつとびにいずれかの宗教に飛び込むのは、まだ出来かねる私だ。

最近、別の作家による宗教なしで死を迎える心の準備をするというような本が出ていたような気がする。読んで見たいと思う。誰、だったかな。書名も作家名も失念した。

ひやしんすの☆エッセー☆ 5月15日 『ビター(苦味)をちょっぴり』  

2005年05月15日 | ☆エッセー☆ビター(苦味)をちょっぴり
トカゲの尻尾きりしていいの? 公共図書館を・・・。

だいぶ前のことだが、タクシーに乗っていたら市政に関する情報を運転手さんが話してくれたことがあった。T市にはまるきり地縁・血縁がない田舎出身者なので、こういうことにはまるで疎いから、タクシードライバーのもたらす話は、貴重な情報源である。

先ずは駅前再開発の後続計画について。
成功したJR・T駅の北側西の再開発に引き続き、取り残された北側東の再開発を市では計画しているとのこと。再開発の是非は私にはわからないが、北側東方面へ引越ししてから自転車をさっぱり使わなくなったのは、バス便が非常に良いためもあるが、実は裏道(西国街道)が狭く歩道がないので、車が恐くて、緊張するから乗りたくなくなったのである。だから、道路が広くなり歩道が整備されてきたら、また乗るだろう。

運転手さんは、Y電池の跡地にはホテルや西武デパートが移転するだろうと話した。それから、市バスや市立図書館も合理化を勧めるということだった。
合理化ということは、民間へ売り渡すか業務を委託するということらしい。市バスの場合は、バスの運転手の給料が高いことや、僻地までも運行している事が経費を圧迫しているらしい。それで、最近は退職する運転手の補充に中途採用で、非常勤ばかりを採用しているのかあ。将来的にいつでも簡単に人を辞めさせるようにしているのだな。それで民間に移行して、どうなるのだろう。便利な運行時間が減らされたら乗るのも嫌だけど。

市立図書館はというと、利益を生まないサービスだから民間に委託したいらしい。どう、委託するのかは良くわからないけれど、人を喰った意見であるよ!

知人がT市は経営状態が良く、バランスが取れているといっていたけれど。
図書館が利益を生まないから無駄な施設である、という思想はとんでもない考え方であり、そのために民間に業務を委託しようとは愚案である。なんたる意見だ。サービス向上のために民間に委託しようというのなら分かるけど。まったくお金のことしか考えない不埒者がいるものだ。

おまけに、市の職員が勤務時間が長いので嫌がっているからだと聞いては腹立たしい。職員厚生のためであるなら、先ずは、職員の意識を改革したら良い。

なぜなら、市役所全体は、市民のための総合的なサービス業ではないか。利益追求もよろしいし、民間委託もさらに上手に運営が出来ていくのであれば、よろしいとしよう。
しかし、図書館が長く開館している日であっても7時までというのには、私はサービス悪いことこのうえない、あまりにも情けないと思っているのだ。
短い開館時間のときは5時半である。利用した時、追い立てられるように早く閉まってしまうのが残念であった。私としては、常時9時か10時まで運営するのが図書館のあるべき姿だし当然だと思う。スポーツセンターは、それくらいの夜の時間まで開館しているのではないだろうか。どうして図書館が夜の7時という中途半端な時間なのか腑に落ちない。

昔、九州のM市の県立図書館は9時か10時までは開いていたと思う。市のはずれの会社での勤務を終えてから利用したことがある。図書館によってから稽古事にいこうと思っていたが、時間延長して図書館で本を読み、稽古事は残業でいけませんと断りの電話を入れた経験があるからだ。

しかし、ネットで調べたら今では開館は7時までになっているらしい。悪いほうへ改変したようだ。地名も変わっていたから、場所も新しくして建て直したらしいが。ウーム。

本当に、利益を生まないサービスだからとはナンダ! 住民サービスの全てを損得で考えるでない。

追記: Y電器の跡地利用に関西大学を誘致するということが広報に数回、載るようになった。ホテル誘致とか西武の移転とかは幾つかの案のひとつにすぎなかったのかしらん。この方は、とても嬉しい決定事項だ。整備された自転車道を通って、大学の開かれた社会人学習講座などを聴きにいくのが楽しみだ。

ビター(苦味)をちょっぴり 3回目 個人情報保護法に振り回された・・・。の続きです。

2005年05月10日 | ☆エッセー☆ビター(苦味)をちょっぴり
書いている途中で時間切れしてしまって、中途半端なままで、とうとう再度の帰省の日が来てしまった。
今回は、5月6日に帰って、昨日・5月9日に戻ってきました。夜の帰宅で、少々お疲れ気味でありました。
で、仕方なく5月10日に続きを書きます。

前回の最後の部分は・・・。出発ロビーの売店で切手を売っているか聞くとゲートの中では売っていないという。ナント!!

ということで、あわてて航空会社の人にポスト投函を頼むことにしました。そんな事は今までやったことはなかった。確か、評論家・草柳大蔵氏がビジネスマンの移動中の様子を書いていて、空港内でのポスト投函サービスがあるということを知ったのだと思う。

しかるに、最後の望みを託して郵便物の投函をお願いしたのに・・・。
「もうしわけありませんが、以前は郵便物をお預かりして投函できていたのですが、4月1日の『個人情報保護法』により出来なくなったのです」というお断りをされてしまった。ああ~。

なになに『個人情報保護法』の適用になるというわけ。ポスト投函が。それは御過度違いというもの。こちらが依頼しているのに。なにもポスト投函いたしましょうと、相手にぶん取られたわけでもないのに。
(申し訳ございません。かの法律の施行により、ポスト投函を承りますと、あなた様のご住所やお名前を、偶然に郵便物により知ることになるので、それが当方の落ち度になってしまうのでございます)
というわけなのね?

どうしてか、新しい法律ができるとコウシタおかしな現象がでてきてしまうのであろうか。変な解釈をしなくても良いでしょう!

それとも、国も「そういうのも禁止!」といって指導しているわけ?
それとも、あえてサービス低下の事態を作り出し、法律施行と同時に実行して、法律に責任を全て押し付けているわけ。そして口を拭って笑っているわけ? げせないなあ~。

ともかく、窓口の女性は一生懸命に説明してくれているのだし、とやかく言う気持にはならなかった。
仕方なく、九州まで郵便物は飛行機に乗っていき、到着した空港のポストに書類は落とされた。納得できないながら・・・。

これが全部の内容ですと言いたいところ、またしてもマダマダ『個人情報保護法』は追っかけてきたのでありました。わずか、3日の間にだよ!!

長くなっちゃったけど、続けますね。
2件目は、居宅介護サービス事業者さんへ大阪から電話して、内容の詳細をメールで送ったこと。お返事はなかったけど、帰省後に相談の為に直接お会いしたから別にかまわないのです。私としては、言い忘れのないように覚書的に事前にメールを送信したまでのことです。
が、『個人情報保護法』にひっかかるからメールでは返事ができないとなると、ちょっとオカシイと思う。
メールでのやりとりが禁止だとすると、今までのIT政策は何の為だったのと聞きたい。九州と近畿と距離感があるからメールで事前に伝えたいことを連絡しておくのでしょうが。まったくう。

3件目は、父親の入院と同時に実家の電話が故障(不通)してしまい不便極まりなかった。とんだ災難に見舞われたものだ。父がNTTから日本テレコムへ契約を変えていたのを、また元のNTTに戻したところ電話が不通になったらしい。戻した先のNTTでは日本テレコムが手順を踏んで回線を元に戻したなら、こちら側で回線を通しますというので、父は日本テレコムに電話をした。
父親が入院先の病院の公衆から電話すると、苦情電話はかくかくの番号へと教えてくれたので、再度かけてみると、公衆電話からは繋がらなかったという。
帰省して、その話を聞いて私の携帯を使ってテレコムへ電話した。一度では、はっきりとした対応は期待できずに、3時間ほど紆余曲折あった。工事の人がくるのを五月の連休空けまで待っていたら大変である。スッタモンダでヤット翌日に工事の人がくることになった。

翌日、私は自宅にいた。若い工事の人はテレコムの下請けの人らしい。電話をいじりながら携帯でテレコムの人と会話をしている。
回線がアナログになっていますというのを聞いてピンときた。
確か家の電話はデジタルであった。父が、デジタルのほうが便利ですよとかいうNTTの説明(陰謀だ!)を聞いて、ISDNに変える工事をしていたのだ。
「あのう、家はデジタルでしたよ」というと、若い業者さんは「アナログから戻したほうがいいですよ」という。しかし、デジタルに戻したらテレコムは不通の問題とはまったく無関係となるという。

「回線はアナログから元のデジタルに戻るわけですね。しかし、その後、NTTがすぐに(今日中に)対応してくれるのかはわかりませんよね。明日から連休ですし。契約終了となったときに、テレコムさんが契約前の回線の状況を調べて元の状態に戻すべきでしたよね。テレコムさんの手違いが不通の問題を引き起こしているのですからNTTに直ぐ状況を連絡してください。そして今日中に解決を図ってください」
私が連絡することはたやすいが、またNTTでたらい回しの恐れがある。そうしたら今日中に解決しまい。

テレコムがキチンと契約前のデジタルに変更していたら問題はおこらなかったのだ。個人がアナログだ、デジタルだとかは判断できるものではないだろう。このままテレコムが逃げ切っててしまっては大変だ。
しかし相手はこういうのであった。
「『個人情報保護法』に引っかかるので直接、連絡を取り合うのは駄目なんです。そちらから連絡してください」

ウーム。もう仕方ない。私の独自判断で、「今、父は入院しています。家族は電話がないと不便だし、電話のことはわかりません。この先、連休中に電話が不通のままだと非常に困るのです。今、テレコムさんに来ていただいているので、テレコムさんとの契約終了は撤回して、契約は継続とします。ただし父が退院するまでですが。だから回線はアナログのままにしておいてください」
ということで一時凌ぎだが、解決した。電話はかかるようになった。

もう、なんでも『個人情報保護法』なのね。でも、それで便利になっているのは業者とか企業で、個人はいたって不便極まりないわ。責任のがれと言い逃れに良いように利用されているじゃないの。ね、そうでしょう。

ビター(苦味)をちょっぴり 2回目 ああ~、個人情報保護法に振り回された今回の帰省。

2005年05月04日 | ☆エッセー☆ビター(苦味)をちょっぴり
ゴールデンウィークが間近だった4月21日、九州の実家の父が肺炎で入院した。
約2週間の入院だと言う。4月27日・28日・29日の2泊3日で見舞いのために最初の帰省をすることにした。2回めは退院の頃に3~4日ほど帰ろうかなあと予定を組んだ。

あわただしく雑用を片付けていきながら、気になることが2件あった。ひとつは28日に読書会と名づけた文芸サークルの例会が予定されていたことである。帰省の日がはっきりと固まってから、ようやくメールで主催者に欠席を連絡。1月に皆と会食した折に、それぞれの作品が持ち寄られて皆に配布されていて、次回の読書会で作品の批評をすることになっていた。

気になるのは、ひとつの作品に気持が惹かれて、自分なりの意見や様々な資料を7~8人分もコピーして用意していたことである。せっかく準備していたのだし無用にはしたくないから、主催者宛に郵送することにした。皆で楽しんで資料を見てくれたらよいと思った。郵便封筒へ入れて封をした。

ところが、出発の日の朝になっても、郵便物はポストに入れられなかった。だけど市内だから朝、ポストに入れてだせば夕方には届くと思われる。問題は切手だった。自宅にある切手をかき集めても40円ほどが料金不足である。どこかで切手を買わなければ。27日の朝、5時に起きて6時にタクシーで駅に行く。この時間は新快速は走っていないから気が焦る。急いで改札を通りホームへ降りる。新大阪で降りたら6時50分の空港バスが間に合いそうであった。バスが空港へ到着。降りたところでポストを発見。でも切手が・・・。JALのカウンターへ行き搭乗手続きをする。どうやらゲートが込み合いそうである。早々に中に入ることにする。ゲートをくぐってから、九州便の搭乗口は一番はしっこであるから急ぐ急ぐ。

荷物も持っているのと、料金不足を気にするあまり、ポストには結局入れることができなかった。出発ロビーの売店で切手を売っているか聞くとゲートの中では売っていないという。ナント!!

ビター(苦味)をちょっぴり 1回目 養老先生を斬る!

2005年04月20日 | ☆エッセー☆ビター(苦味)をちょっぴり
いやあ、大層な題名だけど、『養老先生と遊ぶ』という新潮MOOKの本のなかの
「脱線だらけの人生相談」という人を食った内容の一部を取り上げただけの話だよ。

たくさんの相談者へのお答えは大概においてキビシイ。読んだ人が、身もフタもない答えと思うかさすが名回答と思うか・・・ハテハテ。と編集者もどう思うかは、人それぞれでしょうとのことだといっているけどね。

私はある種、それもそうなのかなあ。と思うのであったが、一つだけ『船酔い』についての講釈は納得できなかったなあ。

というのも、私自身が子供の頃に乗り物酔いの質であったからである。
まず話は、不眠症を訴える人への回答から始るのであるが、
「眠れないという事自体はたいした問題じゃないけど、その眠れないという事が気になっているというのが不眠症の問題なんです。」

「要するに自分の事が気になっているんですよ。こういう人はこれを治してやると、別な事に転移する可能性が高い」

と回答されて、
「船酔いと同じです。訓練すれば船酔いを治すことは出来るんです」
ところがケースによっては乗り物酔いはシフトするから、今まで酔わなかった乗り物酔いになるんだ。揺れに酔うという状況は変わらない。

マ、ケースによってはと断っておられるけども、私の例でいえば、子供の頃は観光バスのような、郊外型のバスに乗ると乗り物酔いしていたけれど通勤で嫌でも毎日、乗らざるを得なくなると、しだいしだいに平気になっていった。その結果、船酔いさへもしなくなったということがありますね。

社内旅行で、皆が気分が悪いというなかで揺れが面白くてたまらないようなところがありました。
ところが、結婚して乗用車にも乗らない生活をおくるようになると、また雨の日の車がどうも気分悪くなったりしてきました。

バスで行くと大丈夫だけども、乗用車で送ってもらうとナンダカ辛い。やっぱり慣れでしょうかね。乗り物酔いの解決は。

しかし、非常に教訓になった回答もなかにはありましたね。
「人生はうっとうしいものなんですよ。避けようとすると面倒になっちゃうの。教訓としては面倒くさい方へ行けということなんです」

なかなか含蓄あるお言葉だと思うのでありました。