風信子(ひやしんす)の☆本の紹介&エッセー☆俳句

濫読・雑読の風信子(ひやしんす)が気の向くままに、お気に入りの本を紹介いたします。

☆ 恐い話。その3

2011年08月18日 | ☆ひやしんすの☆今日の出来事♪
祖母がなくなった頃、母は気力を失くして昼間も横になってばかりいた。

母が横になって寝ると、亡くなった祖母もやってきて静かに一緒に横になるのがわかる。と母は良く言っていた。

でもその母は一昨年なくなると、あっさりと別の世界に行ってしまい、なかなか夢に出て来てはくれないのであった。

妹にきくと、母は夫である父のところには出たそうである。

その時、父は入院していて夜、寝ていると顔だけ現れたそうである。迎えに来たかも知れないと父は妹に話してきかせたという。

母は父に執着していたと思う。無情にも妹だけ残されるのに父を連れ去ってしまったようだ。

子供よりも父のことを大事にし、頼りにもしていた。父が寝込むと一日中、布団の枕元にジッと座り込んでいて、父の傍を離れないような人であったから、父を迎えに来たと思ってしまうのだ。

そして、両親が亡くなる前に夢にでてくることはなかったと思う。何故なのだろうかとも思う。

ところが、父は死ぬ前から頻繁に訪れてきていたようだ。

リビングのシーリングライトが急に点滅しだしたのは一年前の春のことであった。それをみて電灯も替えどきだなあと思った。引っ越して9年にもなり一度も蛍光灯を交換したことがなかったから当然だろうと思った。マ、切れてから交換しようかと思ってそのままにしていた。

父が突然に危篤だと聞いたのは3月17日であった。職場から宮崎へ急きょ帰ったが無情にも死に目には会えなかった。

父は午後2時に危篤だと聞いたのに、病院の連絡があってからスグの3時半には亡くなってしまったのだ。私が夕方の飛行機で戻った時には、もう家族葬を請け負う葬儀社の手配で仮通夜の準備がすっかり整っていた。母の時も入院中に病院からの連絡が父にきたのは死後(夜11時頃。)であったし、父の時も末後の水もあげられなかった。現代ではそういうものなのだろうか。考えていた親の死とは違ってしまった。

父の葬式が終わってみると、宮崎の家でも私たちがいる部屋の灯りが点滅するのであった。疲れて仏前で夕食をどうするかと話していると、蛍光灯が点滅した。皆で笑って、「ホラ、お父さんが早く食事に行きなさいと言っているよ。」と立ち上がって近所のファミレスに食事にいった。

そこで食事をしていると、突然、ファミレスの電灯が全部消えた。しばらくして電灯はついた。

「マタ、お父さん来てる。」と笑った。

大阪の家に戻っても、リビングのシーリングは時々、点滅していた。

私は、カレンダーに点滅した日を思い出して書き込んでみた。それから電話して妹にきくと点滅しだしたのは、父が最後の入院をした時からだった。

私はシフト勤務の仕事の休みを利用して宮崎へ戻ろうと思っていたのだが、父はその日より早く亡くなってしまったのだった。

それからしばらくして夫が言った。

「最近、リビングの灯り、点いたり消えたりしないね。」

「ホントだ。不思議だね。もう蛍光灯が完全に切れるのは時間の問題と思っていたのにね。」

ということで現在もシーリングは新しい蛍光灯に交換していない。稀に点滅する。

「ア、お父さんたら、また来てるのね。」と思う。



この夏は8月12日位には宮崎へ帰省しようと思っていた。色々あって果たせなかった。お墓参りも出来ないので、気持ちだけでもと考えて京都の西本願寺にお参りした。それも14日の事ではあったが、ご先祖様にも両家の親達にも挨拶したような気持ちになった。

と、15日に一人でお昼寝してたら父と母が夢に出て来てくれた。めったにないのにネ。

明日は、土地にまつわる怖い話をしますね。住んでる処によっては不思議な事が起こります。では、おやすみなさい。




 
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