風信子(ひやしんす)の☆本の紹介&エッセー☆俳句

濫読・雑読の風信子(ひやしんす)が気の向くままに、お気に入りの本を紹介いたします。

☆ 怖い話。

2011年08月16日 | ☆ひやしんすの☆今日の出来事♪
九州ではお盆の送り火は15日にするのですが、子供の頃は夏休みを日向市美々津にある祖父母の家で過ごすことが多くて、お盆の前後は叔母たちから怖い話を聞かされたり、もどかされたものです。(もどかす→こわがらせる)

この美々津の家というのが、昭和61年に重要伝統的建造物群保存地区に指定された京町屋造りの建物の一つでしたから、100年以上も経た古い家屋でした。

 日向市ホームページより 
 伝統の文化と街並みが残る美々津/strong>
 美々津の町並は、虫籠窓や京格子をはじめ、通り庭風の土間に代表されるように、京都や大阪の町家造りを取り入れたものとして注目され、上町、中町、新町の通りは、今なお当時の面影を残しており、道行く人々の足をとめています。 とくに、昭和55年日向市に寄贈された市指定文化財(伝統的建造物)「旧廻船問屋、元河内屋」は、昭和57年、国県の補助を受け、総工費約6,000万円をかけて安政2年(1855年)の商家「河内屋」に復元されたもの

その「旧廻船問屋、元河内屋」は祖父母の家の斜め前にあるのでした。

私が3歳のときに祖父がソノ着物屋を買って住み始めたのですが、玄関を入ると土間の右が客あしらいをした部屋で左が倉庫(納戸)になっていたそうです。奥にすすむと左側は土間の台所。台所の先は中庭でバナナの木やソテツ、イチジクの木が植えてあり、庭の端は隣家の蔵となっていました。

冬は寒く夏は西日が入る暑い作りで、台所にはオクドサンまでありました。

台所を上がると板間で2階へあがる階段がついています。階段をあがると二間しかないのですが、海へ向いた部屋は割とゆとりがあって叔母達が使っていました。反対側の部屋は四畳半位で狭く夏は私の勉強部屋でしたが、10時位までに勉強をしてしまわないと暑くてしようがない部屋でした。

なぜか、この部屋には床の間に常置きの盆提灯が置いてあって、絵柄が海を漕ぐ船数隻が描かれており、船の廻りには火の玉が幾つも飛び回っているという気味が悪いものでした。

ここの2階の部屋ふたつとも内側にも障子窓があり、下の客間の声は筒抜けになるという造りです。つまり、1階の客間は吹き抜けになっており、一階の客の声を2階で聞いていたということですね。叔母がいうには密貿易をしていたという家もあったから、ここでも1階の話し声を聞けるようにしていたのかもということでした。

おかげで2階で寝ていて、祖父に碁客があったときなどは寝られたものではありませんでした。

さて、祖母は息子と娘を一人ずつ失くしまして、小さな男の子は疫痢でなくしたそうです。女の子は娘盛りに失くして悲嘆にくれたそうです。それで2階の海向きの部屋で御経を唱えておりますと、亡くなった娘が斜め後ろにそっと座ったのが分かったそうです。

この祖母は信心深く優しい質でした。お墓参りをして去る時に何かザワザワと声がするので振り向くと、肩掛け(ショール)を忘れていたそうです。教えてくれたのだと思うと言っておりました。

その祖母が私が25歳のときに亡くなりまして、1年間程は辛くてたまらなかったのですが、よく夢にでてきてくれました。ほぼ毎日のように夢にでてきてくれるのですが、なにせ恐がりな私なものですから、夢をみていてアッ! 祖母はもう死んでいるのだと思うと、ハツとして目覚め恐ろしくなります。あるとき、夢のなかでテレビを観ていたらお坊さん達が花を撒いて歩いています。そのTVの画面の傍らに祖母の顔が映りました。またアッと思って目が覚め、こころのなかで「おばあちゃん。もう夢に出てこないで!」と言ったら、ピタリと出てこなくなりました。

そして私は、祖母の死期とその数年後の祖父の死期を夢で教えられるという経験をしました。夢に出てきた人が無言でいると半年以上たって亡くなるということが起こって大変こわい思いをしました。

その話の続きはまた明日にしますね・・・。




 
 日常のことツイッターでつぶやき中。 大阪府ブログランキング  高槻情報人気ランキング 
TwitterボタンTwitterブログパーツ 人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 高槻情報へにほんブログ村 
                             よかったらクリックお願いします。