風信子(ひやしんす)の☆本の紹介&エッセー☆俳句

濫読・雑読の風信子(ひやしんす)が気の向くままに、お気に入りの本を紹介いたします。

☆ 宮崎市出身のジンサン(井上)の描く『中国嫁日記』がメチャ面白い♪

2011年02月28日 | ☆ひやしんすの☆今日の出来事♪
「mo@china」とは、朝日新聞土曜版beに連載されている、莫邦富(モーバンフ)氏(ジャーナリスト)の執筆記事である。

中国の新しい情報から、日本と中国の相違や、事情等などが連載されて、毎週、楽しみにしている。

でも、第1~3週土曜のみの連載らしい。そうだったのか。知らなかった。

で、朝日新聞土曜版beの2月19日版に載ったものは、「頑張れ、月さん!」という題名である。

記事を読み進んでいくまで、まさか月さんが、マンガ「中国嫁日記」のヒロインだとは知らなかったよ。

モーさんお勧めの、めちゃくちゃ面白いというインターネット漫画

20代中国嫁と40代オタ夫の日記

ユーモアと勇気あふれる月さんの『日本奮闘記』が実在の人物とあれば、見たく(読みたく)なるというものである。

さて、期待を持ってネットで飛んでいったら、ウーン納得。 大層おもしろい。

ヒロインの名前は「月=ゆえ」と読むのだそうである。もちろん実在だから仮名らしい。中国語読みだとユエとなるのかあ。

しかも、妻公認になりましたとあるところをみると最初は奥さんに内緒でUPしていたらしいよ。

ア! ジンサン(井上)って、宮崎市出身だったのか。

職業:漫画家ではなさそうで、TRPGデザイナーってツイッターでの自己紹介に書いてある。

TRPGデザイナーって何? って調べたら、どうもゲーム制作のデザイナーらしい。

ちなみにTRPGについてはを見てね。

一度、ご覧くださいね。楽しいですよ。


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☆『文藝春秋』の3月号の、吉例 「新春外国人句会」が面白い。

2011年02月27日 | ☆ひやしんすの☆好きな本の紹介♪
「文藝春秋」 2011年 03月号といえば、第144回 芥川賞発表として二人の受賞者の作品を載せているのが評判となって部数が伸びているかもしれない。

文藝春秋 2011年 03月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
文藝春秋

≪26歳きらめく才女と43歳私小説の鬼 時代に選ばれた両極の作品≫として、朝吹真理子氏と、西村賢太氏を紹介している。

それらは人気記事と一緒に『立ち読み』から、一部よむことができます。

でも、興味があるのは、月刊「文藝春秋」電子版  2月10日(2011年3月号)より海外配信スタート!
                   
                   ということかな。

そして、一番に面白かったのは、「新春外国人句会」でした。

「新春外国人句会」は、金子兜太を宗匠として、日本語が達者な外国人の方達と俳句を楽しむ、という企画らしいです。すでに3回目とか。

モレシャンさん(エッセイスト・仏)。姜尚中さん(東京大学教授・韓)。ジローラモさん(エッセイスト・伊)。楊逸さん(作家・中)。ビナードさん(詩人・米)、以上の5名+金子さんを含めた人数で俳句を詠みます。

今年は題が「蜜柑」と「蒲団」と決まっていて、それぞれ各人が2句詠んでくるのだそうです。
集まった句の中から気にいったものを一人、3句えらぶというものです。(自分の句はとうぜんですが選んでは駄目だそうです。)

その集まった「蜜柑」の12句のなかから私も3句選んで、鉛筆で○印をつけていきます。

そのあと合評をするわけですが、私が選んだ句に多数の票が入っていて嬉しかった。

  ○手に落ちて月と思えば蜜柑なり

  ○水仙と蜜柑と犬の間抜け面

  ○漁港に浮く蜜柑の皮や今日も時化


作家の楊さんの詠んだ句が人気を得ていて感心しました。凄いな。

年に一度の「新春:外国人句会」、初参加の姜尚中氏が、「いやあ、こんなに楽しいものだとは思いませんでした。」といい、TVでもやってみたいな。とのこと。

金子宗匠は、「NHKに言っといてください。」

本当だ、TVでもやってくれたら面白いだろう。それか、「外国人句会」を季節ごとにするとか・・・。

あまり票の取れなかった宗匠いわく、

「今日はちょっと忸怩たるものがあったから、また来年挽回したい。」

とは92歳とは思えない元気な方であった。

  ビナードさん 「でもこれは、季重ねですね。切り炬燵と蜜柑で季語が重複。」

  金子さん   「私は季重ね構わない派なんだ。陳腐なこと言っちゃいけねえぜ。」


大好きです。



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☆ カフェ・ベローチェで軽食を食べて、京都駅ビルで帰省のお土産を買いました。

2011年02月26日 | ☆ひやしんすの☆今日の出来事♪
京都駅前を出たところにあるカフェ・ベローチェはとっても穴場なところですよ。でて左手が京都中央郵便局があり、その並びの建物です。隣にはローソンがあります。

 

大きなコーヒーカップにたっぷり入ったブレンドコーヒーが@170円。  作りたてのジャムサンドが140円です。卵サンドは200円。つまり二人でお茶して680円ですからビックリです。なにより嬉しいのはスタッフの対応が気持ち良いこと。笑顔が素敵だし。ただ、ゆっくりと長居できる雰囲気だし、知っている人はよく利用するから、めだたない場所なのだけど土日は混んでいますね。今日も席をやっとみつけられた。

それと、京都って、素うどんでも一杯が650円と高いからホントここはお得ですね。(ア、650円って4年以上前だからもっと値上げしているかな。)

お土産は、京漬物がよいという夫ですが、年に2回位は大安のお漬物を送っているから今回はお菓子にしようと思うのです。いつも仏前に買うのが「高野屋貞広」さんの綺麗な半生菓子のセットです。

お雛さまにちなんで、「雛御膳」というのが目につきました。年末に大人気だった「点心」のひなまつりバージョンとあります。とっても春らしくて可愛らしいものです。円形なのも感じがよいし。

 早速、送って貰いました。3月いっぱいは日持ちするということなので、貰うほうも安心ですよね。自宅用にもちょっとだけ買いたかったのですが、どうせ宮崎の家に送った分は食べる事になるのだからと思い直しました。

あ・・・。 今、ネットで調べていたら、ちょっと失敗したかも。ネットショップで買えば、送料が九州だと680円だった。 

ひどいなあ。郵パックで送るからと送料を1300円も取ったんだよ。ちょっと高いことないですかと聞いたのだけど・・・。その時は、きっとネットショップだと直ぐには出荷対応してないかもと思っていたら、即日配送だって 

送料が高いと思うのなら、自分で持ち込まれたらどうですか? なんて店員さんが言うので夫はカンカンだった。郵便局には悪いけど安いとこも利用しているのなら店頭でもそうして欲しいですよ。



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☆ いま京都へ向かってます

2011年02月26日 | ☆ひやしんすの☆今日の出来事♪
良いお天気です。
昨日から高槻天神祭ですが、例年になく暖かいです。

今朝、夫は週一回のインターフェロンを打ちに藤田胃腸科に行きました。
最近は熱もダルサも出ないので診察が終わったらお出かけ希望です。

12時45分位に終わったのでJR高槻駅で待ち合わせして電車に乗りました。
お出かけ理由は、宮崎帰省のお土産探しです。

メールしているまに西大路駅まできてしまいました。

京都の伊勢丹あたりで、お菓子を見つけるつもりです。

ではマタ報告をお楽しみに。

☆ 5月19日に指揮者の寺岡 清高さんが練習を見学に来られる!!

2011年02月25日 | ☆ 高槻市民合唱団
昨日の木曜日(24日)は高槻市民合唱団の「ヘンデル:メサイア」の練習の日でした。

「メサイア」ハンドブック 演奏者・鑑賞者のために 発音・文法・解釈・日本語訳
三ケ尻 正
ショパン


2月最後の練習日です。次回、3月3日(木曜日)は宮崎帰省の予定だから休まないといけないので、絶対いかなきゃ。

偶数回に発行される高槻コンサート協会の「合唱団ニュース」も新しいのが出ていたから早速、読んでみる。(ちなみに非常に美しい字だが手書きである。

河内長野まで「メサイア」を聞きに行ってきました・・・2/20(日)』とあります。

私たちの本番の指揮者でもある寺岡 清高先生の指揮で「メサイア」の演奏会があったので、はるばる河内長野まで行きました・・・。先生の指揮はたいへん軽やかで、歌う側にはわかりやすいと思います。』ということが書いてあった。

えっ。本当 凄い。羨ましいョ。

いつもながら、本番での指揮者の先生って、どんな方だろうと興味がわく。どうぞ厳しすぎないでくださいとか思うのは甘えか
いつも秋になってからの練習登場であるから、まだまだ拝顔を得るのは先である。

すると、練習中にコンサート協会の方から連絡事項として紹介されたのが、早くも5/19日には来場されるという事である。一同、ビックリ

「見学だけですからね。練習を指導されるわけではありません。」と連絡者はあっさりと言われる。

「見学」だけって、そっちの方が怖い気がしますが・・・。

うんと練習して、だいぶ上達してから聴いていただくほうがヨカアありませんかあ~。

ア、でも河内長野の「メサイア」を、コンサート協会の方が事前研究に行かれたときには、必ずや寺岡 清高氏に挨拶をするだろうから、その時に「見学行きますよ」ってなったのだろうかしらん。心配半分、期待半分である。




さて、昨日も指導されるのはメインの先生である。

おめでとうございます。42歳にしてお子さんが誕生されたばかりであるとのことです。パチパチ

閑話休題
これからは、練習の曲に入るまえに、イメージトレーニングをすることにしましょう。ピアノが鳴る前に頭の中に音を想像してみてとのこと。音取りが終わった曲だからナントカなるが、譜面から音を立ち上げることは超難しいよ。



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☆公共トイレから トイレットパーパーを盗む人って全国的なのかな?

2011年02月21日 | ☆エッセー☆ビター(苦味)をちょっぴり
ネットで検索すると、トイレットペーパーの盗難にはどこでも悩んでいるようである。



写真は、T市の駅前の公共施設の6Fのトイレで写したものです。(人の気配も少ない場所ですので撮りました。)

吹田の阪大医学部付属病院へ行ったら、1Fのトイレの中ですが、備え付けの業務用のトイレットフォルダーにナント直接、百均で買えるような鍵が取りつけてありました。ビックリした。 (ここは常に混雑しているので撮るのは遠慮。)

どうしてこんなことがあるのか不思議ですが、「サルでもわかる速報」というのを読むと大阪に限った話ではないのですね。

モラル欠如の人! ホームレスの人? という想像で考えてしまいますが、イイエ普通の人でしたよ。風信子は20年前にしばしばそれを目撃しました。

抜けてるとか、ポーッとしているとか言われ、それも愛嬌ネと言われている風信子ですが、

「ネ、ネ、ひやしんすちゃん。あの人ったら毎日やってきては、トイレットペーパーを持って帰っているのよ。」と同僚に小声で言われるまで気がつきませんでした。

場所は、アルバイト先のT市役所のトイレです。市民も職員も利用するトイレです。

その方は、普通の身なりの中年の女性でした。(シャツにGパンに手編みのベスト。30代後半か40代位。)

彼女は、紙袋の大きいのとか、ポリプロピレンの買物カゴ等を持参して個室に入り、積んであるペーパー6個とかをそっくり入れて出てくるみたいでした。

お昼休み休憩も終わり頃となって私たちは、トイレの鏡に向かって並んで、化粧直しをしていたのです。鏡に写った女性が個室を出ては隣の個室へ入ります。それを見て、利発な友達はすぐにピンと来たようでした。で、女性が次のトイレの扉を閉めてしまうと教えてくれたのです。

「信じられない」というと、「彼女、有名なのよ。」と小さく言い、可笑しそうに笑いをこらえて苦しそうです。

水を流す音がして女性が出てきます。

荷物が重くなったのか、カゴを持ち上げずに、ずるずると引きずるようにしてマタ隣のトイレへ入ります。

「どうして毎日のように出来るのかな。誰も何も言えないの

「だって、中を見えないようにカゴをシッカリ隠してはるし、盗んでいる現場をおさえる事はできないから、誰も何も言われへんねん。」

それから気をつけてると、しばしば彼女を見かけました。売るのかしら、まさか毎日、そんな大量には使えないはず・・・。

しかし、注意したとしても、「公衆トイレには「トイレットペーパーを持ち帰ってはいけません」という注意書きはないやん。」

と言われてしまったかも・・・。でも、それは勝手な理屈ですよね。

しかし、相も変わらず続いているのね窃盗罪と分かっているのに





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☆ 「孤独死をおそれてはいけません!」 作家:曽野綾子さんの警句です。

2011年02月20日 | ☆ひやしんすの☆好きな本の紹介♪
「老いの才覚」・・・。実は、まだ読んでいない本です。

 この18日(金曜日)に美容院で手に取った雑誌:「女性自身」2月8日号に載っていた曽野綾子さんの記事で知りました。

読まずに紹介するのは、ちょっと面映ゆいのですが、自分の体験もあって、是非とも紹介したいですね。


老いの才覚 (ベスト新書)
曽野 綾子
ベストセラーズ


その、おっしゃることに真剣に頷けました。思わずソウダと手を打ちました。

記事の内容は全部は覚えていないのですが、実に新鮮で真っ当な考え方だと思います。

・ひと昔前まで、人は死ぬまで働くのが当たり前だった。

・老年の仕事は孤独に耐えること。

・娘や息子が何をしてくれない。と、くれない族にならないこと。


誰しも老ゆれば、誰かに頼りたくなるのは自然とも思えますし、気持ちもよく分かります。が、それが甘えとなっては嫁いだ娘にはとても負担だということです。

実をいうと、この20年間というものは父と母が、長女ということを盾にとって、私に負いきれないほどの過度の重荷を背負わせてくれていたなあと思うのです。

精神的な依存も強く、10年ほど前には、
「宮崎へ戻って欲しい。」「仕事(夫の)を辞めて帰ってきて欲しい。」等と責めたてられて辛かったです。
(お願いだから大阪へ出てきて欲しいと幾ら頼んでも今更、知らない土地には住めないとのこと。自分の都合ばっかりじゃないですか。)

同時に、嫁ぎ先からも同じことを言われましたからホントに参ります。

夫は三男なのですが、義妹の夫からは、

「高鍋に戻ってきて、脳梗塞の父を見て、同居の母と病気の弟の面倒を見て欲しい。」

と言われました。そのときも色々、理由をあげて断りましたが、結局は、子供のいない夫婦は身軽だから帰ってきて当然という考え方なのでしょうね。

「仕事(夫)はどうするの?」と聞くと、「なんででん、見つかるじゃろ」と軽くいなされました。

「私も長女だから病気がちの両親が悪い時は今でも帰省しているし・・・。」というと、

「こっち帰ってきたら、両方とも面倒みられるがね。」と明るい声。

(そんな簡単にはいくもんですか・・・。)
だからって、婚家の両親の看病を全く、ほったらかしではなかったですよ。(当時もフルタイムで仕事していましたが。)

入院したときき、人出が足りないと聞けばスグ帰りました。悪い事は重なるもので、宮崎の父が肺炎で入院中。義父が糖尿で入院。義母が白内障の手術で入院となったときには、戻って、リュック背負ってバスで一日で全部の病院を廻りました。

トライアングルだねと笑っていましたが、起点の実家からだとスクエアですよね。

宮崎市郊外の住吉から先ずはバスで宮崎市内の実父の病院へ行き、次に西都市の義父の病院へ。洗濯物を持って、義母の入院する高鍋町の病院へ駆けつけました。

義母が心臓病で入院して大変ときけば、帰省して3日程病院へ寝泊まりしました。夜も簡易ベッドで寝ながら義母がベッドから落ちないように片足延ばしていましたし、二時間置きにトイレ介助をしました。で大阪に戻ったら仕事に行きます。

でもね、大阪で暮したのが宮崎で暮したよりも長い私には、ここで暮し続けるという気持ちが強かったのです。勝手だと言われると切ない気持です。

父と母。50代半ばから不安と病身のことを耐えず訴えてきたけど、ちょっと早すぎだよね。同じ年齢になってみて、もう少し気持ちだけはシッカリしていて欲しかったなと思います。

私の夫も病身でしたから・・・。



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☆ イタリアンレストラン:『アンシャンテ 』~ハービスPLAZA店~でランチしてきましたア♪

2011年02月19日 | ☆ひやしんすの☆今日の出来事♪
西梅田にあるハービスPLAZAに入ると、まずはカフェレストラン:「ロールマディ」が目につきます。
ここはロールケーキがとっても美味しそうなんです。まだロールケーキが人気になる前から種類が豊富で綺麗に並んでいましたね。でもランチも結構よいですよ。

しかし今日は奥へすすんで歩きます。ア劇団「四季」ではアイーダを公演中なのかあ。一度みてみたいなあ。

さて、地下2階の一番奥にある『Enchante』には友達に連れていって貰ったのですが、外観からして素敵でしたよ。

壁の棚にはワインがずらりと並んでおり壮観です。黒板のメニューは白墨でイタリア語で綴ってあるし感じよいなあ。店員さんの対応も先ず先ずですね。
さらに座席にはコート掛けがあったり、床にはバックかごが置いてあり、ゆっくりくつろげる雰囲気があります。パンはお代わりできます。


お料理はといいますと、細めのパスタは3種類から選べました。友達はホタテ貝のジェノバソースです。私は茄子とベーコンのトマトソース。
ちょっとパスタの量は多い目かな。ちょっと堪能気味となりました。前菜にサラダを添えて、パスタを減らしてもよいのかも・・・。
 


コーヒーは量がちょっと少なめでもっと欲しいと思いました。パンは固いのでお代わりは欲しくなかったですね。11時過ぎはポツポツの席が11時半には埋まってしまいました。圧倒的に女性客です。ハービスでも一番奥なのに人気なのでしょうか。ハンバーグなどもあって美味しそうでした。



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☆ お昼は西梅田のでイタリアン料理を食べる予定です

2011年02月19日 | ☆ひやしんすの☆今日の出来事♪
場所は西梅田のハービスエントのブリーゼの中にあるらしいですo(^-^)o

今回のランチは今日あう女性が知っているお店です。

彼女とは昨年の夏まで一緒に働いていた仲間です。(後輩です(^O^)。でも娘さんがもう結婚されたのですよ。)

京橋・和民で催された飲み会のグループよりは、アタシとほぼ同年齢だから嬉しいな。

(20代、30代、40代。ポンと飛んで50代だもんね!)

といってもマダ相手のほうがチト年下です。

ア!
もう駅舎の景色が新大阪です。

メール投稿していたらアッという間に大阪駅です。

また今夜にご報告しますね。お楽しみに待ってて下さいね。(^∀^)ノ

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☆コーラスはレスポンスだ! 昨日は、『メサイア』の練習の日でした♪

2011年02月18日 | ☆ 高槻市民合唱団
木曜日の練習を楽しみにしている風信子です。

でも、昨日は忙しい一日でした。夫の受けている阪大でのインターフェロン治療に付き添いました。月一回の担当医の診察も木曜日です。

C型肝炎で受診して、もう2年が経過しました。

午後1時からの診察ですが、10時半には先ず、血液検査。2時間後には結果がでるので消化器内科のある内科東に行って主治医に診察してもらいます。その後にインターフェロンを打ちます。

第一診から第五診まで並んでいますが、夫の主治医が1人を診る間に、他の部屋では3人位が入室しています。丁寧に見て貰えているのはありがたいのですが、時間がどんどん経過して疲れちゃいますね。

でも大学病院で一人に20分ほど話をして貰えるのは驚きですね。先生の人柄かじっくり話をします。前回の検査でもウィルスはマイナス(-)と分かりました。

「ウィルスが血液中から消えたのが37週目ですからね。4週目に消えたのであれば大丈夫ですが、やはり3年目まではインターフェロンを続けたほうが良いでしょう。止めてしまうと勢力を盛り返すかもしれません。」

もう112回目もインターフェロンを打った夫だが、あと9か月ほどは続けないといけないのだ。夫は疲れて気が滅入っているようだった。

バスで阪急茨木市駅に戻り道に、私だけ途中で降りてハローワークへ向かう。

気になる求人があって応募しようかなと思ったのだ。15日にでて17日だから大丈夫だろうと思ったが、すでに募集が終わっていたよ。でもまあ、また働くとなると大変さもあるしと思いかえす。まだ失業給付中だし・・・。

好きな仕事で働きたい一方で、のんきに過ごしていたいのだから勝手なものだけどね。大急ぎで阪急駅まで行く。夫はロサビアの喫茶店で待っていてくれた。

「夕方から雨やて。コーラス行くんか。」

「うん。」

「疲れてるのに。ホンマ身体こわすぞ。」

「歌ってると、疲れが取れるんだもん。」

「じゃ、タクシー使え。」

アホなことを・・・。



夜に入り小雨だったのが市民会館に近づく頃には、だんだん大ぶりになってきた。

7時からの練習には遅れてしまった。
でも嬉しいことに席を取ってくれているから大丈夫。発声練習中に着いたのでホッとした。練習指導の先生もメインの方だ。

今回も7番を歌う。ここから曲が聞けます。「くまさんの『ヘンデル』メサイアのページ」です。

同じ曲を3回も練習したことになる。

その夜、指導の先生が、
「ちょっとだけ安心しましたよ。」と言われた。

200人を超える合唱団が纏まるまるものやら、仕上がりがどうなることやらと心配されていたようである。

それから本番までの指揮者の指導法について話をされた。

「大概の指導者は、曲を平均値(標準)で教えていくようです。特に、プロでない合唱団に対してはそうしがちです。」

「でも私は変化をつけて色々とやってみたいのです。皆さんは、それに慣れて、応えていってください。」

「指揮者のコール(呼びかけ)に、動きにしなやかに付いてきてください。」

「即興でやるのが音楽です」

「このやりかたで成功するかどうか。ぜひ、挑戦してください。」

ソプラノにも、余裕をもった心が揺れる歌い方を勧められた。

「テンポ・キープしすぎで、つまらなくなっていますよ。皆さん、もっと生き生きと冒険してください。」

私たちは、ちょっとワクワクしてきた。新しい実験に誘われたような気持ちだ。

休憩のときに横の懐かしい友達が嬉しげに言った。

「この先生の指揮だと歌いやすいわ。声が全然つかれないもの。」

「ひやしんすちゃんは、他でも歌っているの。」

「いいえ。」

「私は別のところでもコーラスして、1日はボイストレーニングで、1日は歌い方をピアノの先生から教えて貰っているの。」

「凄いですね。お仕事されながら週に4日も じゃ、夜に習っているのですか。」

67歳で仕事して、週に4日は歌をやる。

「月謝のために仕事しているようなものだわ。自分でも呆れる」とちょっとだけ溜息をつきながら言われた。

だからこそ素晴らしい声量をキープされているのだろう。

「ひやしんすちゃん。ストレスは声を出しにくくするわよ。」とも。ご自身の辛い体験を思いだされたのか・・・。

風信子は、そこまで熱心にはなれないけど、アレコレと手を延ばす趣味のやり方もあれば、ひとつの事に熱中する趣味のやり方もあるのだった。

その夜は、両脇とも上手な方であったから自分の声はまったく聞こえてこなかった。嬉しい悲鳴。




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☆ 風信子の花の俳句♪

2011年02月17日 | ☆ひやしんすの☆今日の出来事♪
これも、ワープロで打っていたものです。



大きく拡大したものは、こちらから、どうぞ。


続けて、2枚目です。



見やすいのは矢張り、こちら、からどうぞ。


こちらは、同じものですが、「風信子の四阿へようこそ♪」へUPしているものです。




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☆ 兎角(とにかく)というペンネームの由来♪

2011年02月16日 | ☆ひやしんすの☆今日の出来事♪
いぜん、兎角(とにかく)というペンネームでエッセーを書き綴っていました。

前、そのことをブログで書いたのですが、電版出版で簡単にネット本にできるというので、そちらへUPしていたのですが2008年から休止になっていました。「現在リニューアル中につき、しばらくお待ち下さい。」というわけです。

悲しいことに消えた「兎角」のエッセーがたくさんありました。

最初の頃はワープロで書いていたので、紙に打ち出してみました。
スキャナーで取りこみましたので、読んでいただけますか。





読みづらいですね。読んでくださりありがとう。

でも驚いたことに今では、「兎角ブログ」とか、「兎角」の名前を使ったサイトがたくさんありました。

心がです。でも私の方が先輩だもんね

Adobe Reader 9 で取り込みPDF文書にすると縦画面になり、ますます読みにくくて仕方なく画像として保存してUPしました。


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☆霧島山系新燃岳噴煙による運航への影響について~(ANAより)

2011年02月15日 | ☆ひやしんすの☆今日の出来事♪
以前にも書きましたが、父の一周忌法要を3月5日にするつもりです。

こちらの都合と、宮崎の妹も喜ぶかと3日のお雛様にANA便で帰省の予定でしたが、ちょっと不安・・・。

2月初めに宮崎空港に問い合わせると、今のところ3割が欠航していますとのこと。


今夜もANAのホームページには、

「霧島山系新燃岳の噴煙の影響により、今後も宮崎空港を発着する便に遅延・欠航・他空港への着陸などの可能性がございます。」

とありました。

5月位に延期したほうがよいのではという夫と、早く済ませておきたい派の私と意見が食い違い悩ましいことです。

飛ぶのはエンジンに影響を受けない理由から、プロペラ機が多いらしくて、夫は以前にプロペラ機で揺れたことがあり嫌らしいのです。

それに、「なにも灰が降って、帽子・ゴーグル・マスクが必須な状況のときに好き好んで帰ることはないじゃないか。」

という気持ちもあるみたい。

でも、前回(江戸時代)は落ち着くまで2年間ほどかかったというし、お墓の様子も見たいしと考えてしまいます。

陸路は時間がかかるし、日程は短いしで飛行機を利用したいのですが・・・。


宮崎便

全日空の情報です。




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☆ フランクフルトの婚約者、マーガレータとの悲恋。

2011年02月14日 | ☆風信子(ひやしんす)の思い出。
 雪になりました。昼前から、みぞれが降っていましたがとうとう雪が降り出しました。明日の朝は道路が凍りついているかもしれません。


今まで母方の祖母の恋について書いてきましたが、その結婚相手の祖父にも披歴する恋愛がありました。


明治35年生まれの祖父は、長男として育てられ没落士族の一家にとっては大変な希望でした。しかし、実子ではなく他家からの養子だったそうです。その後、養母に子供が生まれ弟や妹となったのですが家を継ぐ人間として地位はそのままでした。

写真は無料素材をお借りしています。

祖父が、学校(逓信学校?)から帰省するときには、駅に着くと人力車の迎えを出すという待遇でしたので、妹や弟達から大層うらやましがられ後々にまで不平を洩らされたそうです。

そうはいうものの、長男としての教育は他の兄弟と違って、ずいぶん厳格なものだったらしく、勉強出来ないと祖父は親の前に長時間座らせられて叱責を受けるなど大変だったと私に話していました。

結婚後は逓信省(?)に勤務していましたが、それ以前は一等通信士として貨客船に乗っていたそうです。

たぶん日本郵船だったと思うのですが、ちょっと忘れ気味です。外国航路の貨客船は食事も洋風でスープから始まるものだったそうです。航海士の服装姿の写真が残っています。このときの経験からか祖父は和食のみでは満足せずに、色々と食べたがり、好みがうるさい祖父の為に料理が大変だったと祖母は語りました。

そういえば、我が家では和食が日常食だったのですが、祖母の処へ行くと中華も洋食も食べられました。ロールキャベツの作り方など祖母から教わったことでした。

貨客船は欧州航路だったらしくドイツにも行きました。上陸してフランクフルトに立ち寄ったときに、デパートガールのマーガレータと知りあい、結婚する気持ちになったそうです。祖父に腕を廻して寄りそう美しい女性の写真がありました。結婚したいと電報を打ったそうですが

総領息子が外国人と結婚するなんて許さないと日本では猛反対。仕方なく、「また来るよ」と言って日本へ帰国したそうです。苦笑して言う祖父でした。相手の女性には可哀そうな話でした。

その話を聞いた時には、「なんて無責任だ」と思いましたが、“武士は笑うのは片頬だけ”というとおりにめったに笑わない祖父のこと、実際にはとても辛い思い出なのかもしれません。・・・という訳で、夫婦でおたがいに好きな人の写真を持っていたことになります。

私が3歳の頃に祖父が、日向市美々津に引っ越ししました。
大人になっても、しばしば父の車で美々津に遊びに行きました。宮崎市から一時間半位はかかったでしょうか。

到着の挨拶に、祖母は声を聞きつけて出てきて顔をほころばせて皆に嬉しげに挨拶をするのですが、祖父は姿をみせません。

で、父は律義な性格でしたから部屋に入ると、掘りごたつに座ったままの祖父に向かい、畳に両手をついて挨拶をしました。

「ただ今、帰りました。」

祖父は、「帰ったか。」と一言。鷹揚にあごをしゃくるのでした。

父は、養子でもなかったのに「今日は。」とは言いませんでした。昔の人の義理の親に対する礼儀とはこういうものだったのでしょうか。

ただ、そういう姿勢を母が、私の夫にも求めるのには閉口しました。

「お父さんに、きちんと挨拶するようにアンタから言いなさい。お父さんが、美々津のじいちゃんにしたように、三つ指ついてちゃんと挨拶するのが普通よ。」

(ええーっ。そんな固い挨拶を今頃。まったく理想主義なんだからア。そんな事、アタシからは言えないよ。)

間にたって苦しい風信子です。(ただ今、だけでいいじゃない。気さくで気を使わないから良いと夫の事を褒めていたのに・・・。)

「ひやしんすちゃん。高鍋(嫁ぎ先)に行ったときにも、玄関から上がったら、ちゃんと挨拶をして、仏様にも・・・。」

なんのなんの、高鍋では至って気楽な家風で、玄関から入るつもりで声をかけると、「居間に廻りなさい。ハイハイそこから上がんなさいよ。」

と、かた苦しいのはまったく抜きでしたよ。




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☆ 祖母は、大正デモクラシーの申し子であったのかも・・・。

2011年02月13日 | ☆風信子(ひやしんす)の思い出。
風信子の祖母は明治42年の生まれでした。

都城高等女学校へ入ったのは大正の何年位の事だったのでしょうか。

何の学科が好きだったの? と問うと。

物理と言いました。男先生が、「空間とは~」という事を話してくれるのが面白くて好きだったとか。

英語は苦手で、校舎の廊下にいて、遠くから英語の先生(女性)が歩いてくるのを認めるとあわてて隠れたそうです。

先生が近くにくるとサッと腕時計を差し出して、「今、何時」と英語で聞いてくるからだそうです。

きっと胸がドキドキしたのでしょうね。

その頃、女先生のなかで祖母に用事を頼む方がいらして、雑誌:「婦人公論」を買ってきて欲しいというので、いつも頼まれていたそうです。

「婦人公論」が発行されたのは大正4年の12月23日とのことです。「新年号」の見出しには

「女の読書欲 知識欲は日に日に進歩向上して在来の婦人雑誌の平凡な記事や口絵や写真にはもう厭き果てた。」とあります。

「女性の自覚と解放」をテーマにした「婦人公論」は、インテリ層には好評でしたが、他の婦人誌が持つ華やかさに欠けたためか部数は低迷したそうです。

その本を、祖母はまだ十代で読んでいました。
女学校の先生が、自分が読み終えると本を貸してくれていたのです。きっとワクワクしながら読んだことでしょう。

有名な与謝野晶子平塚らいてう「母性保護論争」は、婦人公論の草創期の1919年に載ったらしいです。

直接、聞いたことはことはないのですが、もしかしたら、そのころに17歳の祖母は在学中であり、借りていた「婦人公論」で読んでいたかもしれません。「職業婦人」になりたかったとは言っていましたから。

父親が校長先生であるにもかかわらず、女学校を出ると、祖母は宮崎市の赤江にあった鐘紡紡績に勤めたのでした。職業婦人として働きたいと考えたのかもしれません。

温厚という雰囲気を身に付けた祖母の口吻はもの柔らかでしたが、中学生の私と話していても昔堅気なもの言いはせず、良妻賢母が一番良いとか言ったことはありませんでした。

でも考えてみると、女学校のあった都城という地域は昔は薩摩藩の領地であり、明治以降に宮崎県に繰り入れたという処です。

ですから、方言なども薩隅弁に近い諸県弁(もろかたべん)と呼ばれる言葉であり、現在でも宮崎市内の宮崎弁とは違いがあります。

よくそんな鹿児島に近い風土で、女学校の先生方も新しい思想を身につけようと頑張っていたのだと思います。




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