高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

アイランド 1  ハワイロケ 

2005-07-07 | Weblog
私がスタイリストとして駆け出しの頃、 ハワイはすでにコマーシャル撮影のメッカだった。
ロケが集中するのは年末年始で、冬のあいだに春や夏の撮影をするため、青空や光を求めて撮影隊が訪れる。
常夏の島ハワイに対して、私は光きらめく夢の島的なイメージを持っていたが、この季節のハワイは雨季で、良いお天気の思い出と、頑固な曇天に悩まされた思い出と両方ある。
広告代理店のかたやプロデューサーがミーティング等を重ねるなか、
私たちは曇天や雨の時は大騒ぎせず、黙ってそれなりの時間を過ごした。
つまり、ショッピングモールなどに繰り出して、アロハやスニーカーをみつけたり、安いスーパーに出かけて、まだ日本にはないような生活雑貨を見つけたりしていたわけだ。
日本からのロケ組は、「アンバサダー」というホテルに滞在することが多かった。現地のコーディネーターのテリトリーみたいなものがあったからだろうか。
朝食の食堂、ロビーやエレベーターの中で、私たちはご近所さん同士のように、挨拶しあった。時には東京で出会うよりももっと沢山の仕事仲間とハワイで会い、会話を交わした。
ここの食堂のウエイターにはゲイのお兄さんがいて、モンローウォークで、料理を運んできた。私はこのお兄さんと仲が良かった。

ある時、ハワイで文化財クラスの、アーリー・アメリカン・スタイルの家で撮影をした。

大きな木々と広い芝生の庭の奥にその家はあった。
外観はオフホワイトのペンキが塗ってあったと思うが、各部屋は年季が入った木材がそのまま生かされており、床はこげ茶色に光っていた。
部屋の真ん中には白い綿レースの天蓋がさがり、その下に足の長い(背の高い)シンプルなシングルベッドがあった。
ベッドの脇にはちいさな階段状の椅子が置いてあってそれをトントンとのぼって、ベッドにあがるのだ。
ベッドのリネンも糊が利いた白い木綿だった。
「赤毛のアン」や「若草物語」で育った私は、その部屋の空気がオルゴールの音色のように懐かしく感じた。
その家の持ち主は、90歳近い老婦人だったが、こう話してくれた。
「あのベッドは、私が小学校の教師として、はじめてもらったお給料で買ったものなのよ。ホラ、あの電気スタンドも、筆入れも、お給料をもらうたびに揃えていったの」
そこにあるものは、彼女とともに、60年、70年と生き続けている。
買った当時は、何気ない生活用品だったのだろうが、月日が経って 別の価値も生まれていた。
何の撮影で彼女の家を借りたのかはすっかり忘れているが、その光景 だけはしっかり私の胸に刻み込まれている。

その後も、さまざまなシチュエーションで、家を借りて撮影をした。
豪華な家に備えつけられたプールで、可憐な少女が泳いでいる風景。
白壁のまえで、白いスーツの男性の撮影は、オーデションで選ばれた現地モデルで行われた。
もちろん、白い砂浜、青い海でも、さまざまな撮影があった。
砂浜を白い衣装をたなびかせて馬に乗って駆ける美女。そのあとを 素足で追いかけて衣装を直していたら、翌朝、足がバンバンに腫れてしまった、、、
人魚姫とカーニバルの子供達、、、人魚姫になった少女は、魚の下半身のまま、5時間も太陽にさらされた、、
寒い日本を遠く離れて、ある時間を太陽と潮の匂いの中で過ごす。
その撮影中、さまざまなドラマがあるの今も変わらない。

写真 (撮影・Yacco) 何のコマーシャルだったか覚えていないが、カメレオンの福田さんというクリエイティブ・ディレクターのロケだった。人魚は特殊メイクで身体と魚の部分をなじませるのに時間を要した。