高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

6月30日 僕らの「ヤング・ミュージック・ショー」

2005-07-03 | 千駄ヶ谷日記
2年前の夏、友だちの森永博志さんが、ANAの機内誌「翼の王国」に70年代の私を書いてくれた。
そこに、若き日の山本寛斎さん、デヴィッド・ボウイ、私の3人が寛斎さんのアトリエでフィッティングをしている写真が載った。
その頃、私は長嶋茂雄さんのスタイリングをしていたのだが、長嶋さんからいきなり、「ヤッコさん、あなたはエライ人だったんですねー、みましたよー」といわれ、同じ時に、若い坂本美雨ちゃんにも「ヤッコさんて、すごいんだ」といわれた。
素直にうれしいと思ったけど、内心、「こんなふうに出ちゃって、いいのかなー」とも思った。
それから、去年、今年と70年代のロックとファッションの特集や本の出版が相次いで、私の世界でいうと、その度に、私はしゃべっている。
そして、その度に、こんなにしゃべっていいのかなー、とは思ってるんだけど。(いまやブログでこうしてしゃべりまくっているし)

寛斎さんを通じて、フリーライターの城山隆さんにお会いした。
この春、アエラが「AERA in ROCK」という臨時増刊号を出したが、これが好評で、新たな号が出るとのこと。アエラより依頼を受けた城山さんからデヴィッド・ボウイの初来日について取材を受けたのだ。
もちろん、鋤田さんは既に取材を受けていて、貴重な話がいっぱいあった、とのことだった。
私のコメントにも興味をもってもらえたらしく、私たちは3時間に渡って、しゃべりあった。
城山さんは「過去は未来のためにある。ロックが輝いていた60年代70年代
について、その素晴らしさを40代以上だけでなく若いジェネレーションにも伝えたい」と言った。
「人類史的に考えると、たかだか50年あまりのロックの歴史はぜんぜん若いですよね」とも。

そして、城山さんから彼の渾身の著書『僕らの「ヤング・ミュージック・ショー」』をいただいた。
「1971年、テレビの中にロックがやってきた」という言葉どおり、そこにはNHKが1971年から1986年まで発信し続けたロック番組「ヤング・ミュージック・ショー』を中心に600ページ以上に渡って ロックが語られている。
CCR、PINK FLOYD 、KISS、 ELP、、80以上のロックバンドが紹介されているなかで、城山さんにも話し忘れた、そして寛斎さん自身も忘れているかもしれないELP来日公演でのエピソードを思い出したので、ちょこっと記してみよう。

寛斎さんの服をTレックスやデヴィッド・ボウイが着用した、ということは、その時代のロック・アーティストも注目したことだろう。
そのひとりがキース・エマーソンだ。
「エマーソン・レイク・アンド・パーマー」は72年7月に初来日した。
その時、我が家には「キセマソン様からお電話ありました」という初老のお手伝いさんのメモが残されていた。
キセマソン、キセマソンと10回ぐらい繰り返して、それがキース・エマーソンだとわかった次第。
彼は寛斎さんの服に非常に興味を持ち、寛斎さんのブティックやアトリエを訪れ、いろいろと購入したと思う。(記憶がとぎてとぎれで、、)私の元には寛斎さんとキース・エマーソンの奥さん、私の3人の、多分、後楽園球場(公演会場だった)で撮ったと思われるスナップがある。また、この本には、番組の担当者だった波田野さんが登場する。当時の波田野さんのことは「NHKでロックなひと」と、私は認識していた。去年、NHKアーカイブスで、この本の発端にもなっているヤング・ミュージック・ショーの「KISS」の放映を観たとき、そこに長髪の波田野さんがチラリと登場した。
あまりの懐かしさに、思わず電話をしてしまった。
この本の分厚さには、城山さんの情熱と、時代のパワーを感じる。
私は特にロックに詳しいわけではなく、たまたまある時代のある時期、局地的に、ある世界にどーんとぶつかってしまっただけ。
でも時代、時間の輪がいろんなかたちで流れ、未来に繋がっている今、私のおしゃべりもなんらかの役目を持つのだろうし、これだけデカイ世界だから、これから知っていくことも、多いんだな、と感じた。

写真 (撮影・Yacco) 僕らの「ヤング・ミュージック・ショー」 城山隆 2500円 情報センター出版  表誌は、「20世紀少年」の浦沢直樹さん