高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

4月19日 透明感

2005-04-26 | 千駄ヶ谷日記
ここのところ印象深い日々がつづいている。あれもこれも日記に書こうと思っているうちに、時間に追いつていけない。
これからちょっと前のことを記すことがあるかもしれないけど、まず、
この日の、このことから。

鳥居ユキさんのパリコレ30周年の一大イベントをかねたコレクションが、代々木第二体育館でおこなわれた。
アシスタントの悠子ちゃんと、もとアシスタントのキシちゃんと千駄ヶ谷を出発。時間も早いし、お天気も穏やかなので、体育館まで歩くことにする。
神宮前2丁目ぐらいのところで、「ヤッコさーん」という大きな声。西田ひかるちゃんが車の窓から手を振っている。
「わたしたち、ユキさんのショウに歩いていくのよ」
「えらーい」といって車は走りすぎた。
私たちは早めに行ってよい席を確保しなければならない。
ひかるちゃんはVIPだから、もっとあとに来るだろう。
原宿の駅の辺りにはもう雑誌社のひとや新聞社のひとたちが、誰かを待って佇んでいる。あ、みんな今回は早いな、と思っていたら、携帯が鳴って、待ち合わせしていた友だちが、
「たいへーん、もうすごい列よ」とあわてている。
「大丈夫。私たちはその列とは違うのよ」と私は通ぶってこたえた。
それでも、人並みが続々と会場に向かっているので、足早になる。
中に入ると、広い会場が刻々と人で埋まってゆく。
私はいろんな人に挨拶したり、隣同士でおしゃべりをしたりして、スタートするのを待った。

ユキさんは、30年間一度のお休みもなく年2回のパリコレに参加してきた。
これはファッション業界でユキさんたったひとりなのだ。
大抵はそのときの事情や主義みたいのがあって、何回かはお休みしているのだそうだ。

ユキさんは迷うことなく、ひたすら美しい服をつくり続けてきた。
今回のコレクションでも、「ユキさんの服の、あの変わらない透明感はすごいわ」と、あるファッション誌の編集長が言っていた。
ユキさんの創りだす服の変わらない若々しさ、愛らしさ、そして何よりもだいじな透明感。ステージに現れる服を楽しみながら、さまざまな時のことがちらちらと脳裏をかすめた。

モデルさんたちがすべてひっこんだあと、大きなサプライズがあった。
大きな幕が引き落とされると、ステージに110名の男性が並んでいた。その壮観な眺めに、観客から「ウオッ」と声があがる。
男性達は10名ぐらいずつステージを歩く。顔ぶれは各界の名士だ。皆さん忙しい方ばかりが、この日、この時間、このステージによくぞ揃ったものだ、と感嘆するばかり。
ユキさんはある時期メンズのコレクションもしていて、それがニュース・キャスター、スポーツ選手、俳優さん、料理人、と書ききれないぐらいの意表をつく人たちが出演して、名物になっていた。その方々が、万障繰り合わせて、ここに集まったのだ。これぞ、男の友情と言う感じだ。
みんな楽しそうにウォーキングをし、観客もスタンディングして拍手する。私もステージ傍までいって、手を振ったり、声をかけたり、握手をしたり。
時の人、テリー伊藤さんが、ユキさんをエスコートする。
「テリーさん、おいしすぎるよ!」と声をかけたけど、聞こえたかしら。
 

ミスター・モリタ!

2005-04-26 | Weblog
最初のロンドンが、寛斎さんのショウのプロデュースという夢にも思わなかったことをするはめになってしまったために、旅行では味わえない経験の連続だった。
ところが、モデルのオーディションも終わり、会場もほぼ決まったところで、ロンドンはイースターの休暇に入ってしまった。そうなると、あんなに親切だった人たちが、マイケルをはじめとして私の目前からすっといなくなった。まるっきり日本のお正月と同じで、家族の休日なのだった。
シーンとしたロンドンの街で、ひとり取り残された私は急に日本が(実はある人が)恋しくなってしまった。
せっかく格安のエジプト航空(これは、寛斎さんの会社で出してくれた。ひとのお金を使う訳だから、私自身がなるべく安いチケットを探したのだった)で来たのに、お小遣いの全てをはたいて、ほとんど衝動的に日本航空の切符を買って東京に向かった。
ヒースロー空港で、ミスター・モリタという免税品らしき紙袋をもった非常にハンサムな紳士を見かけたが、その方はすぐに私の視角から消えた。多分ファーストクラスに乗ったのだろう。
トランジットのためにモスクワ空港に降りたとき、再びその紳士を見かけた。
私は迷うことなくその紳士に近づいて、「ソニーの盛田さんでいらっしゃいますか?」と話しかけた。
「そうですよ」という答えを聞くと、「私はロンドンで、ソニーの電話番号を調べたんですけど、電話帳にありませんでした」と言った。
「あなたはロンドン市内で調べましたね。ソニーは郊外のサセックスというところにあるんですよ」と教えてくれた。
それから5分ぐらい話をして、盛田さんは「じゃ、そのショウの音響に協力するよう部下に言っておきますよ」と約束してくれた。

私の恋心の発作がもたらした無駄使いのおかげで、ソニーの社長の盛田さんに 出会うことができた。
もしも私が辛抱強くエジプト航空で、3日間かけて帰ったら、再びカイロでピラミッドを見れたかもしれないが、グッドタイミングで偶然、盛田さんに出会うことはなかっただろう。

東京に帰れば帰ったで、いろんなことが待ち受けていた。
寛斎さんとの打ち合わせ、ショウ用の音楽テープの作成などなど。特に音楽は衣装の展開とのタイミングを計りながら、一秒の狂いも許さないテープを作り上げた。(この音楽テープは名作です)

再びロンドンに取って返し、マイケルと最終準備に励んだ。
盛田さんはきちんと約束を守ってくださり、ショウの3日前から3人の技術者を送り込んでくれた。この3人のギャランティと、会場の音響設備もすべて無償だった。
完璧に作り上げたはずの音楽テープだったが、衣装が増えてどうしてももう一箇所バージョンが増えてしまった。
いちばん若い音響技師が、「これ、ヤッコの好みだと思うけど」ともってきてくれたのが、初めて聴くサンタナだった。
私は即座に気に入って「私が手を叩くところから、次に手を叩くとこまでを、ここのところに、こういう風にいれて」と稚拙な指示を出して、テープは完成した。

この話はビジネスマンにも格好な話題だったのだろう。のちに日本経済新聞にかなり大きく取り上げられた。

写真(撮影・Yacco) 「KANSAI IN LONDON」の会場になったキングスロードのスーベニール・ショップ「THE GREAT GEAR TRADING COMPANY」
営業時間が終了した午後6時過ぎから、すばやく売り場を整理してスペースを作り、ステージにした。 多分ショウは8時とか、9時ぐらいから行われた。