高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

ミスター・チャオ

2005-04-24 | Weblog
1971年の早め春の日、私はこの店の前に立っていた。南回りのエジプト航空で、最終の地、ロンドンに着くにはアジアからアフリカを経て、10箇所ぐらいのエアポートに止まり、エジプトでは一泊しなければならなかった。おかげで夜のピラミッドを見ることが出来たが、ピラミッドを照らす照明のようなものはなくて、乗客を乗せた小型バスのライトをわずかにピラミッドに向けるだけだった。(今はちゃんとライトアップされているのだろうが)
超格安のチケットの旅は、なんとも怪しく、ジェラルミンのスーツケースに入っている寛斎さんの2点の作品が無事かどうか絶えず心配していた。
まだ寒いであろうロンドンに、前の年にニューヨークで買った毛皮のコートを
持参していた。エジプトのむんむんする暑さの中で、盗られないよう、私はずっとそのむさくるしいコートを手放さなかった。
3日がかりでロンドンに着き、空港のホテル案内所で手配してくれたアールスコートの学生用ホテルに荷物を下ろして、とにかくこの店の前までやってきた。
私のノートには正真正銘、たった一つのアドレスとマイケル・チャオと言う名前しか書いてなかった。マイケルは日本を発つ前に、伊丹十三さんから聞いた彼の友だちだった。
薄暗闇の中にぼーっと佇んでいると、2階から若い男性が降りてきた。
私は「マイケルっていう人いますか?」と聞いた。その人は不審そうに、しかし即座に「僕だけど」と答えた。

この瞬間、私のロンドンでの全てのドア、全ての窓が開かれた。
マイケルの手配により、翌日から私の宿はロレーヌという、もとモデルのフラット(アパート)の広々としたゲストルームになった。ロンドンのめぐまれた若い女性が住んでいるおしゃれなフラットでの共同生活は楽しくて、意味のあるものだった。
食事は、マイケルが経営するこの「MR.CHOW 'S MONTPELIER」で食べる限り、お金は要らない。ここはチャイニーズと言うより、イタリアンのような、フレンチのような、ヌーベル・シノワの超はしりのようなのような店だった。
私はマイケルに言われたとおり、ほとんどの食事をここで無料で摂った。そのことに関して特に卑屈にもならず、ウエイターのひとたちとも仲良しになって、毎日せっせと食べていた。
ウエイターはほとんどがスペイン人で、私がテーブルに座ると、まず、ゆでたてのアスパラガスに溶かしたバターがたっぷりかかったものを運んできてくれた。(これは私がはじめて知った簡単でおいしいオードブルなのだ)
こんな全てがタダの生活をしながら、私がめざしたのはファッションショウを
ほとんどタダで手配することだった。
こういうこと全てが「東洋人はお金のためにだけは仕事をしない。時には友情のために仕事をするのだ」という、つたない英語で伝えた言葉にマイケルが共鳴してくれたおかげだった。

ミスター・チャオは、一階はレストランで、二階は事務所となっている。
入り口は狭いけれど、一階は奥が広くて明るかった。ロンドン中のファッショナブルな人たち、アーティストたちが集まって食事をし、語り合う場所で、私はマイケルに紹介されながら人々の中に入っていった。私には原宿のレオンと変わることのない居心地の良い場所だった。

写真 (撮影・鋤田正義) これは72年。タダ食いの時代は終わって、Tレックスやデヴィッド・ボウイの撮影のためにロンドンに滞在していた頃。とはいえ、このときの食事代も鋤田さんのおごりだったと思う。アート・ディレクターの片山さんと私を鋤田さんが通りの向こう側から撮ってくれた。