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Re=response=応答、感応=物事に触れて心が動くこと。小田和正さんの大好きな曲からいただきました。

「関ヶ原」  司馬遼太郎

2006-09-16 | 読む

406年前の昨日9月15日は、天下を分けた「関ヶ原の戦」の日。
9月初旬に読み終わった本の感想に、なかなか手がつけられず、
「そうだ、せっかくだからこの日に」と思った昨日、
思わぬ夜襲をくらい、戦を忘れ宴に呆けてしまったので(笑)
不本意ながら(うそうそ)、本日1日遅れで戦に出陣。

「戦国の世を知るならコレ!」みたいなことを、
吉兵衛武田鉄矢さんもおっしゃっていたように、まさにこれは、
<秀吉の死の前後から家康に覇権が移るまでの歴史ドキュメント>であり、
<戦国武将列伝>である。
天下を分ける日本最大の戦が、その実は、
家康・三成をはじめ諸将の、恩義、私欲、憎悪というごく人間臭い感情の
探り合い、駆け引き、ぶつかり合い。
日本中を舞台としたスケールの大きさの反面、
人間のちまちました心の裏の裏側を炙り出していく緻密さ。
その絡みあいが、痛快でもあり、嫌な感じの虚しさでもある。
ともあれ、とても面白かった。

主軸となる人物は、東軍徳川家康・西軍石田三成と、それぞれの傍らで絶大なる
信頼を置かれる謀将、本多正信と島左近。
両軍それぞれ頭の人物的性格が、そのまま軍の性格である。
老獪な家康・正信率いる東軍は、現実主義集団。
巧みな人心掌握術によって、諸将のエゴイズムに発する戦意のベクトルを、
ただひとつ三成に向けて収束せしめられている。
三成の西軍は(最終的に寝返った連中をのぞき)、観念主義集団。
義という観念に固執し続ける三成をはじめ、
島左近、大谷吉継、宇喜多秀家、小西行長、最後まで独自の美学を貫いている。

両軍、周到な計画と工作をもって、決戦の朝を迎える。
東軍は、相当数の内応諸侯を押さえており、戦わずして勝ちの公算が高い。
西軍は、その人数と陣形をもって、敵を圧倒的有利に抑えている。
しかし、戦はあくまで実戦。
刻々と変わる戦況に、諸将の気持ちも揺らぐ。
ほんとうに自分の選択は正しかったのか。
さすがの老獪の大将家康も、
先鋒苦戦に苛立ち、最後まで諸将の腹を疑い、焦燥に駆られる。
ここにきて初めて、非常に人間臭い家康を見た気がした。

「動かず」を決め込んだ島津豊久が、三成に言い放った言葉が
命運を賭けて臨戦中の諸将の本音であると思う。
「今日の戦、おのおの自儘に戦い、おのれの家の武名に恥じぬようにするほか
 ござらぬ。・・・他家のことなどかまっているゆとりはござらぬ。」
戦は、所詮エゴイズムのぶつかりあいである。
生き残るための、ときにあさましいほどの本音と処世術は、
関ヶ原の諸将も現代の日本人も、さほど変わらない気がする。
その点、関ヶ原は現代日本の風刺にも思える。

西軍が敗れ、三成が斬首され、「義が死んだ」かというとそうではないと思う。
関ヶ原後徳川江戸幕府が興り、その幕府が儒教を導入し、
武士のあいだに仁義を重んじる風潮を定着させたのは、
不義の集団の加勢によって天下を得た徳川が、
将来第2の関ヶ原を恐れたからかもしれない。
三成は死んで「仁義をもって国を治める」ことの重さを知らしめた。
三成は悪名を残したかのようだが、
その果敢な企ては、決してただの暴挙でなく、大きな意義をもったと思う。

青臭い「へいくわいもの」だろうが、
この徹底した「義の男」 わたしはけっこう好きである。


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