Re

Re=response=応答、感応=物事に触れて心が動くこと。小田和正さんの大好きな曲からいただきました。

ドラマと映画と舞台と・・・

2007-09-24 | つれづれに

最近よく思うことがあります。
なかなかここに書くことができなかったのですが、
今日はちょっと時間があるので、書いてみようかな~と。
思うように書ききれるかな?

最近のテレビドラマって、人気漫画や小説を原作に採ることが
ほんとに多いですね。
映画もしかり。人気ドラマの延長だったり、作り変えだったり、
人気小説やノン・フィクションの映像化だったりするものが、少なくない。
舞台は、比較的オリジナルが多いけれど、
原作小説があり、ドラマなり映画なりがあって、さらに舞台化するものも
いくつか現れています。
それらの作品を一概に否定するわけではないし、
今に始まったことではないけれど、
それが顕著な最近の傾向ってどうよ、って思います。

テレビドラマ、映画、舞台。
本来それぞれに独特の持ち味というものがあって、
それらを最大限活かせる作品というのがあって然るべきだし、
お互い他のフィールドでは為しえないことがある。
そのフィールドの制作者は、それらを追求すべきだと思うんですよ。
理想を言えば、やはりそのフィールドの魅力・実力を知り尽くした人たちによる
オリジナルな企画・脚本に基づく作品。
原作を小説なり漫画なりに求めるのなら、
なぜ敢えてそのフィールドで勝負するのか、
そのフィールドで何を見せたいのかを明確にするべきです。
わたしは、そういう作品こそ観たいと思うし、見応えもあるだろうと
思います。

たとえばテレビドラマ、特に連続ドラマであれば、
何が魅力で、観る側として何を望むでしょうか。
あくまでわたしの思うところですが・・
少なくとも45分×10回前後の時間をかけられるわけだから、
ひとつのストーリーを深く掘り下げるか、多面的に繰り広げれば、
奥行きや広がりのあるドラマ展開を期待できる。
そして、1話ごとにある程度成立させたうえで、次に繋ぐ必要もあるから、
1話ごとのメリハリ、全体としてのメリハリを同時に楽しめる。
あとは、その時節のトレンド、旬な役者を豊富に採り入れることで、
時代や文化を楽しんだり、新しく創っていく力みたいなものもあると思います。

では映画の場合は。
圧倒的にスケールの大きさと映像美だと思います。
限られた空間と時間のなかで濃密な集中も期待できる。
多くの場合ドラマに比べたら、
時間、お金、労力等において制作に掛けられる度合が高いと思うので、
制作者の理想を追求できる地力はあると言っていい。
スケール感を求められる作品、映像や音楽の美しさを大切にしたい作品、
あるいは強烈な個性や、制作者のメッセージを打ち出したい作品などは、
ぜひ映画で観たいと思います。
原作を小説などに求めるなら、そういった性格の作品を選ばないと、
原作そのものの魅力をも見失いかねないと思います。

舞台の場合。
最近は舞台を観る機会が増えましたが、難しいです。
舞台の醍醐味は、生で感じる役者さんの熱みたいなものとか、
その場で繰り広げられる舞台美術・演出の面白さとか、
限られた台詞や音だけから想像力を駆使して観たり感じたりする楽しみとか。
だからどういう作品が舞台にふさわしいかと言われると、
ドラマや映画のように具体的にうまく示せないのですが、
明らかに、ドラマや映画で扱う作品とは一線を画すものじゃないかなと
思います。
ドラマや映画でできる作品を扱うのであれば、
それこそ、わざわざ舞台に上げる狙いを持たないと
全く面白みのないものになってしまう、
それは間違いないと思います。

原作があるなしに関わらず、
ひとつの作品を次々とドラマ化し、映画化し、舞台化すること。
興行的には手っ取り早く儲かるのかもしれませんけど、
作る側はそればかりに流れてはいけないと思うし、
観る側も時に厳しい目を持って評価しないと、
ドラマも映画も舞台も、その性格を失って面白みのないものに
なってしまうだろうし、
そんなことを繰り返していれば、
それぞれの世界でモノを創る力が育たなくなってしまうと思います。


ずいぶん堅苦しいことを書きました(笑)
でもなんとか書けてすっきりしました。
ドラマでも映画でも舞台でも、
これからもいっぱいいいものを観たいですからね。
その世界で必死に生きているひともいることだし!

「イライラ」にいらいら

2007-09-24 | 大好きな・・・

「スワンの馬鹿!」いよいよ湖面に姿を現し出しましたね♪♪
ブログアップがモタついてるので、微妙に時勢に遅れていますね、わたし(笑)

先日の制作発表、わたしにしては珍しく、
ソツなく映像、新聞記事をタイムリーにゲットしました(笑)
「スワン・・」については早々にスポットCMもゲットできたし、幸先良いかも。
週末発売の、インタビュー掲載3雑誌も、1誌を除いてゲット。
(大きなところ3店探したけど「Muse」ってないぞーー!?)

BSデジタルガイドは、スーツ姿。か、かっこいい・・
なんだか最近、グラビア出るたびに「これぞカンペキ♪」が
めまぐるしく取って替わられている気がするな~♪
インタビューから。
「役者も水面下でもがくもの」
そうでしょうね~。この方、そういう部分をほんとに見せないだけに、
逆にそういう部分の必死さを想像してしまう。しかし、
「僕?僕は怠け者ですから(笑)」
とさらっとおっしゃる。
ほらほら~~、そう言ってしまうこと自体、スワン大輔そのものだって(笑)

次に見つけたのが月間TV fan。(最初の店にはなかった。苦労するゼ)
きゃ・・これまた、すてき♪♪
こちらはスーツ姿ではなく、珍しくかなりラフなスタイル。
ざっくりとした長袖の綿シャツ、
袖を無造作な感じで肘までまくってあって。
髪型もスーツ姿のときとは違ってふわっと流して、
表情もやわらかくていい感じ~~♪
この上川さんのページ、見開きで反対側が仲間由紀恵さん。
なにげに元夫婦(笑)編集者さんのちょっとした洒落?ナイスです。
インタビューは短いなかにも、他誌にはなかった話題も。
「今日の僕の財布の中身」とかね(笑)
あと・・共演の梶原善さん。
楽しみにしてます~。が・・「年が同じで」(上川さん談)
え”---っ?? そうだったのお?
どっちも42歳には見えない・・(笑)

ところで。
今これ書きながら、2誌のすてきな上川さん♪を見比べ気づいたんだけど。
腕時計。
あらん?右手にしてる。どちらのグラビアも。
このひとって、いつも腕時計右手にしてたっけ??と素朴な疑問・・
気にし出すとひどく気になる。
今映像を確認したけど、梅ちゃんも優ちゃんも左。
でも制作発表の映像は、右!
大ちゃんは、左利き設定ですか?(笑)
それとも、上川さんがふだんから右手に時計だっけか??

右手といえば。(強引なフリだけど)
昨日実家で、制作発表記事の掲載された地元・中日スポーツを
もらってきました。
写真は白黒ですが、出演者揃ってガッツポーズの写真は、
上川さんの笑顔がとってもいいです♪(この写真では右手の時計は見えない)
記事の扱いも、そこそこ(中スポにしては)大きくて嬉しい。
しかしっ。
小見出し、気に入らないなあ。
「指輪なじまずイライラ」ってさあ・・
会見でのこと。
 「(指輪を)しつけてないんでイラッとしています」と
 右手で(左手薬指の指輪を)いじり回す姿が目立った。
・・・と記事には書いてあるんですよね。
う~~ん。
妻子もちの役で指輪をはめるなんて、これまでいっぱいあったのにねえ。
よほど今回の指輪があっていないんか?(笑)
それとも・・
初主演での制作発表で、なんとも落ち着かず指輪ぐりぐりしているところを
記者さんに突っ込まれて苦肉の回答とか?(笑)
それにしても「イラッとしています」は、珍しく「らしくない」お言葉ね。
イラッとした対象は、実は突っ込み記者さんとか?(笑)
それにしてもそれにしても、それっぽっちの軽い発言を
「指輪なじまずイライラ」ってさ・・
文字にするとなんか怖いね。
だいたい、イライラじゃないのよ、イラッとしただけなのよ(爆)
そこんとこヨロシク!
妙に神経質っぽい印象与えるじゃんね~。やだわ、それ。
彼が語りたくなくなる気持ちがわからんでもない。
せっかくのありがたい記事掲載ですが、イライラいたしました。

さて、明日か連休明けには「Muse」出てくるかなあ。
んなこと言っているより、ネット注文したほうがいいかな。
10月に出る雑誌も、なんか聞いたことないのばっかり。
やっぱこのあたりの書店じゃ(まあまあ大きいんだけどな)だめか。
それにしても、連ドラ主演ってつくづくすごいことなのね。

そうそう、話はスワンとは違いますが。
「グレンラガン」今回はいーーーっぱいご出演でした。ヘンなお姿で(爆)
(なんだかんだいって、いちおうチェックはしている・・)
今回ばかりは、なるしーに負けていない(笑)
しっかし、その気で見ていないせいもあって、
アナタのおっしゃる意味がさっぱりわかりません(爆)
子どもたちも付き合わされて一緒に見ていましたけど、
家中に?マークが無数に飛び交っているようでした~。
来週は、やられちゃうのか、な??

ひさびさに上川さんネタで語った気がする(笑)しあわせだ♪

<24日朝追記>
今朝のめざましでも、制作発表の様子流してくれましたね。
6時台の芸能コーナーだけですけど。
土曜日流れたものとは、ちょっと違うバージョンでした♪
節約の具体的な方法について。
「シャワーをできるだけ使わずに、お湯をためて使うとか・・」
ぱちぱちぱち。さすが正解です(笑)
成宮くんの答え。
「電化製品は・・なるべく人にもらう(笑)」
には、上川さん破顔一笑、笑い声が聞こえてきそうな爆笑の様子でした♪
終始にこやかな表情で、嬉しいですね。
なんといっても主役ですから、基本的にカメラは上川さんを追ってる。
いつもこういう映像では「カメラさん、も少し右映してっ!」と
イラついたりするんですがね・・今回こそはバッチリです♪

朝からとってもいい気分だったのに。
「さあ、会見の部分だけに編集しよう」とその前後をカットするつもりが!
なんと、大事な大事な会見部分を消してしまいました・・・・・
あ!!!!と思ったときには消えてしまったあと。
今日のは6時台の1回しか流れなかったのに。
あ~~~~、大失敗(泣)
でも消しちゃう前に何度か見たし、あの笑顔もはっきり覚えてるし。
ま、いっか(笑)
意外に立ち直りの早い自分。
なんてったって、大ちゃんは主役、これからもまだまだ~~っていう
期待がいっぱいだから・・かな♪
(でもやっぱりもったいなかったなあ)

「蝉しぐれ」 観劇 (2)

2007-09-22 | 観る、聴く

引き続き、舞台「蝉しぐれ」の印象的なシーンについて。
(ネタばれ・・いっぱい。)

嵐の夜のエピソードから始まったのには、ちょっと驚きました。
でもこれ、なかなかいい掴みでした。
いきなり緊張感を持って、舞台に食いつきましたからね(笑)
このシーンと次のシーンだけで、
文四郎の父・助左衛門のひととなりや、文四郎の父に対する気持ちが、
無理なく理解できます。簡潔でありながら深い印象を与えられるので、
助左衛門亡きあとも、その存在を常に感じていられました。

少女時代のふく。思春期にさしかかって文四郎を意識するようになり、
無口になってしまう初々しさ、相田翔子ちゃん、絶品です(笑)
愛之助さんの文四郎、ふくを噛んだヤマカガシを石で叩き殺し、
ふくの指の毒を吸ってやったあと、もういちどヤマカガシがどうなったか
ちらっと見にいくんですよね。細かいお芝居をする方だなあ、と思いました。
愛之助さんの細かいお芝居は(要するにアドリブかな?)
その後いくつかのシーンでも観られて、いちいち感心しました♪

夏祭り。ここが舞台版では、重要な伏線を含む大切なシーンであることが、
最後まで観るとよくわかります。
与之助を助けに行くとき、文四郎がふくに残していった言葉。
「そこで待っていろ、必ず戻るから。」
文四郎の、この何気ないひとことに注目しているのが、
この舞台版「蝉しぐれ」の、最もオリジナルなポイントだと思います。
ふくにとって「待つ」ことの意味の大きさ・・なるほどな~~。
脚本、演出のとても繊細なセンスに脱帽です。
そして、祭りも終わったころになってようやく傷だらけになりながらも、
ちゃんとふくのもとへ戻ってきた文四郎。
懐から出したものは、ふくのために夜店で買っておいたと思われる
かわいらしい紙人形。
けんかで潰れてしまったのを、一生懸命直そうとしている文四郎が
とても微笑ましく見えました。これも細かい芝居ですね。
この紙人形も、このお芝居では大切な役割を果たすことになります。
蛇にかまれた傷よりむしろ、この夏祭りに文四郎とふくの大切な思い出を
求めたこの舞台のセンス、すばらしいと思いました。

注目の「秘剣村雨」
こういうのは、演出家泣かせでしょうね。(いや、こういうのこそ面白いのか?)
映画版はとにかく「はあ??」って感じ。ドラマ版はなんとか「敢闘賞」
舞台版が、創る側としては、いちばん難しいんじゃないかな。
結果は・・。う~~ん、やっぱそこまでだよね(笑)がんばったで賞。
「秘剣村雨」では勝負できないので(?)
文四郎がこれを伝授される前の儀式でちょっと洒落てみました♪って感じ?
原作では、沐浴をして身を清め、白装束に着替えます。
舞台では、舞台上で胴着への、歌舞伎風?早替えパフォーマンス。
おおっ、何が始まるんだっ!?と思ったら、お着替えでした(笑)
でも、たかがお着替え、されどお着替え。
さすが歌舞伎役者、実にスマートに美しくこなされていましたね♪

そして、欅御殿襲撃の殺陣のシーンです。
興奮しましたね~~~。
なんといっても、かぶりつきのお席ですから。
思わず構えちゃいました(笑)
この殺陣シーンは、映画もドラマも舞台も、
それぞれかなり自由に、見応えのあるものを創っています。
先にも書きましたが、欅御殿からお福さまと御子たちを逃したのち、
その行く先を阻むように、文四郎が舞台に向かって花道に立ち、
非常に落ち着いた様子でしかし実に手際よく、襷と鉢巻をかけます。
襷でたくし上げられた袖からむき出しになった腕、思いのほか逞しかったです♪
くーーーっ、めっちゃかっこいい!!
いちばん気に入ったシーンです♪
(襷がけする姿って、なんであんなにかっこいいんだあ?笑)
ここから一気に、舞台狭しとばかりに男たちが剣を交えて闘います。
回り舞台と御殿?の2階部を使って、
文四郎、逸平、鶴之助それぞれの、迫力ある殺陣を見せてくれました。
やっぱり殺陣をナマで観るとスゴイですね・・・(ためいき)
これは舞台版ピカ1決定!

欅御殿への襲撃を治め、文四郎たちは藤次郎の家へ。
文四郎はお福さまと御子を連れて、加治織部正の屋敷へ逃げ込むつもり。
そのとき文四郎は、このあと追っ手が藤次郎の家に乗り込んでくることを
危ぶみ、そのときには「関係がない、無理強いされただけだ」(大意)
とはっきり申し述べるよう、藤次郎に言い含めます。
藤次郎は、その心遣いに涙を流します。
文四郎に父・助左衛門の姿が重なるようでした。
とてもいいシーンだと思いました。

そのあとが、有名な船のシーン。
お福さまと御子を隠した小船を文四郎自身が漕いで、
なんと花道から出てきました~。
「へ~!」と驚き、「コレどうやって動かしているんだ?」と不思議に思い、
挙句に「ウィ~~ン」という機械音と共に動き出した船に、
目の前のお芝居はぶっ飛びました(爆)
お隣には、感涙メーターが振り切って大変なことになっている方もいた
というのに(笑)違うトコで船にやられてしまったわたしです・・

言い訳ではありませんが・・
わたしはこの船のシーンより、
船を降りて加治屋敷までの短い道中のエピソードが大好きなんです。
はじめてふたりきりになれた文四郎とふく。
積年の思いが一気にこみ上げるところです。
緊迫した状況のなかで、ただ無言のうちにも、お互いの思いが
あふれんばかりに迫る熱い熱いシーン。
ただ、舞台版では最後の刺客が出てこなかったうえ、
筵を取ったりかけたりとムダに動き、肝心の心が通い合うシーンが
あまりに短くあっさりと過ぎてしまって、残念でした。
(個人的には、最後のシーンをあれだけ長く取るのなら、
 ここをもっと丁寧に描いてほしかったなあと思います。)

振り返って考えてみると、どうもこの場あたりから
お芝居が駆け足になってしまったような感じがあります。
お福さまと御子を無事加治織部正に預けたのち、
里村左内のもとへ乗り込んでいき、あの名言を吐くシーンですが・・
ここもあっさりし過ぎに思いました。
沸き上がる憤怒を抑えつつ、じりじりと里村に迫る文四郎、
ふてぶてしい態度を決め込む里村。
このふたりの距離、もっとぐっと接近させて睨み合わせてほしかったなあ。
そして、鉄槌を食らわされた里村の放心と、
すべてを為し終えた文四郎の、ほろ苦い達成感。
場の終わりに、もうあとわずかの余韻を持たせて欲しかったです。

最後が10年後の再会です。
(どうでもいいのだけど、原作では20年後の設定。
 逸平の子どもの数も原作の8人から6人(7人目妊娠中)、
 文四郎の子はふたりのところがひとり。この微妙な操作がふしぎだ~笑)
この再会のシーンの流れは、おおむね原作、ドラマ版に倣っています。
ただ・・
原作で20年後設定のところを、10年後に縮めて??
ふたりがまだ比較的若い年齢(30代)に留めた所以はここにあるのか、
お福さまも、文四郎でさえも、
ふたりのどうにもならなかった運命のせつなさに、
無念の感情が溢れすぎで・・わたしはちょっと冷めちゃいました(ごめ~ん!)
まだまだ30代、運命に悟りは至らないというところでしょうか・・
最後だけは、ふたりの思いを熱く交流させてやりたいという
脚本・演出・キャストさんの「愛情」なのかもしれませんね。
思えば、映画のあの美しいラストシーンも、
監督の格別な思い入れがあって、あのひとことが生まれたわけですから、
この舞台の、最後のふたりのあり方も「アリ」でしょうね。

先にちょっと書きましたが、
ここで、舞台オリジナルの伏線に感動しました♪

「殿の命に背いても、文四郎さんを待っていればよかった。」
このお福さまの言葉は、悲しいですね。
一度だけ文四郎を「待つ」ことをしなかったことが、
(そのときは文四郎が追ってくることなど知るよしもなかったのだけれど)
ふたりの運命をこうも変えてしまったのだと、
お福さまには思えてならないのでしょうね・・

もうひとつは、夏祭りで文四郎がふくに買ってやった紙人形。
ふくは、ずっとずっと大切に持っていたのですね。
それを、文四郎のもとへそっと残して去っていきました。
お福さまが文四郎と話をし始める際、
懐から何かを出して膝元に置いたのには気づきました。
それが数珠だということにその後気づき、
亡き藩主へのせめてへの心遣いかな、と思いました。
実はその下に、あの紙人形があったのですね!
ドラマ版では、紙人形ではなく櫛でした。
でも、その櫛は文四郎があげたものではなかったと思いますが・・
少なくとも、夏祭りでは文四郎は水あめしか買ってあげていないです(笑)

このふたつの伏線には、あっぱれです。


もたもたしているうちに、観劇の日からあっという間に
時間が過ぎてしまいました。
まっさらな気持ちで、舞台の『蝉しぐれ』を観ることができなかったのが
残念といえば残念ですが、
この『蝉しぐれ』という小説が、長くたくさんの人に愛され、
それぞれの熱い思い入れや愛情をたっぷり挿入して、
かたちあるものに表現され続けていることに、
あらためて感動します。

文四郎とふく。しあわせですよね。

「蝉しぐれ」 観劇

2007-09-20 | 観る、聴く

藤沢周平さんの原作がほんとうに大好きで、
市川染五郎主演の映画版、続いて内野聖陽主演のNHKドラマ版を観、
今回満を持して、片岡愛之助主演の舞台版観劇とあいなりました。
いよいよ「蝉しぐれ」完全制覇だ~♪とお調子に乗っていましたら、
ドラマよりも映画よりもずっと前に、
宝塚の公演で『若き日の唄は忘れじ』という舞台になっていたそうです。
甘かったわね(笑)

『蝉しぐれ』
9月17日(月・祝)昼の部 大阪松竹座 1階2列6番
原作:藤沢周平  脚本:池田政之  演出:河毛俊作 
キャスト:片岡愛之助 相田翔子 松村雄基 野田晋市 
     近藤洋介 長谷川哲夫 高橋長英 星由里子ほか

今年2月にこの松竹座で『朧の森に棲む鬼』観劇をご一緒させていただいた、
ムンパリさんとかずりんさん、半年ぶりにまたご一緒させていただきました。
今回もムンパリさんのすばらしい強運のおかげさまで、
2列目、花道をすぐ左手に観るという良席に座らせていただき感激!
この位置、正面舞台に近いだけでなく、
役者さんが花道で芝居をするときにちょうど立ち止まるポイント。
これ以上ないだろうと思われる近さで迫真の芝居を観られるという贅沢さ。
愛之助さんの美しい立ち姿にホレボレしながら、
これがかのお方だったら・・こんな日が来るだろか・・と想像するだけで
心拍数激増。すんません・・つい雑念が・・不埒なヤツです(殴ってっ)

原作・映画・ドラマ。
自分のなかにあるイメージを一切取っ払って、舞台を観ようと
思っていましたが、やっぱり無理でしたね・・。
わたしは、なんといっても原作が好きなんです、大好き。
(文四郎とお福さまのラストシーンのあり方をのぞいて!)
比較するつもりはさらさらなかったのですが、
思っていた以上に、自分のなかにあるイメージとかこだわりが
強くなっていたことに気づきました。
原作をもとにいろいろ観てきたうえで、
自分の『蝉しぐれ』を創り上げてしまったという感じかな。

舞台版『蝉しぐれ』も、とてもとても良かったです。
舞台ならではの感動や興奮もじゅうぶん得られましたし、
愛之助さんというすてきな役者さんに新たに出会えたし、
大阪まで大枚はたいて観に来た甲斐がありました。
でも、こだわりが強すぎるのが災いしているんだろうなあ、
お芝居をすごく引いて観ていたんだと思います。
自分でもとまどうほど、感情がついてゆかなかったのが正直なところです。
あのお芝居、あの席(愛之助さんの後援会?席)で泣けない自分は、
もうほんとに穴に入りたい気分・・
愛しすぎるのも罪です(爆)
愛之助さんやこの舞台を愛してやまない方たちのために、
誤解のなきよう繰り返しておきますけれど、
舞台版『蝉しぐれ』は、これはこれでほんとうに素晴らしかったですよ!!
もう1度観てみたいと思いますもん、正直に。
あと1、2回観たら感想も違ってくるかも。

観劇のあとから気持ちのどこかで澱んでいたものを吐き出して、
ちょっとすっきりしました(笑)
以下、こんなわたしの忌憚なき感想です。

3幕4時間ですが、原作の名場面をことごとく盛り込んで、
ここまでよくまとめきったなあ!というのが第一の感想です。
映画版は2時間という枠のため、おおむね文四郎とふくの恋だけに
焦点を絞っているので、原作ファンには物足りないという評価も多かった
と思います。それなりの丁寧なつくりは評価できますが。
またドラマ版は45分枠×7回ですから、原作を忠実になぞりつつ、
オリジナルな展開をしています。(それも良し悪し・・)
舞台では、場転換を頻繁に繰り返しての4時間に収めていて、
それでいて、各シーンに対する物足りなさはさほど感じなかったですから、
たいした手腕だと思います。

第二は、キャスティングのよさです。
片岡愛之助さんを座長に据えた今回のキャスト、わたしは好きです。
そのバランスのよさが、映画やドラマよりはるかにいいと思いました。

文四郎とその良き親友、小和田逸平と島崎与之助。
この3人の爽やかさと固い友情は、『蝉しぐれ』の魅力のひとつです。
小和田逸平に松村雄基さん。
とうとう来たーーー、理想の逸平が!(笑)
身体も声も大きくて威勢がよく、男気があって茶目っ気もあって。
そこそこ育ちのいい坊ちゃんだけど、ガキ大将タイプ。
これだけ逸平像は明らかだというのに、
なぜか映画もドラマもキャスティングは大失敗。
逸平役に松村さんの名を見たときには、思わずガッツポーズ出ました(笑)
今回の舞台、お目当てはコレといってもいいくらい、
楽しみにしてきました。
思ったとおりでした!
逸平像はすべてクリア、愛之助さんの文四郎や
野田晋市さんの与之助とのバランスもいい感じ♪殺陣もおみごとでした。
積年の(大げさ)願望叶い、感無量です。
島崎与之助には、野田晋市さん。
初めて観る方でしたが、とてもよかったです。
与之助、決して笑いを取るような人物じゃないのですけど、
学問以外でのヘタレっぷりがなんともコミカルで、
彼が登場すると場がすっかり和みます。
かと思えば、学者肌の冷静さと思慮深さもしっかり見せてくれました。
舞台ならではの与之助です。

文四郎の父・助左衛門に高橋長英さん、母・登世に星由里子さん。
逸平の叔父というのは舞台オリジナルだけど、文四郎の烏帽子親となり、
その後も文四郎を支えてくれる藤井宗蔵に松山政路さん、
重要人物にもかかわらず、なぜか映画、ドラマともに登場しない
藩主の叔父にあたる加治織部正に長谷川哲夫さん、
助左衛門の恩を以って文四郎に報いようと大きな力添えをしてくれる
庄屋の藤次郎に田畑猛雄さん・・。
文四郎を支えてくれる良き大人の人物たちが、それぞれとても良かったです。
舞台で時代劇をきっちりこなせるベテランばかり。
突然、理不尽で不幸な境遇に追いやられる若き文四郎ですが、
両親や親友たちをはじめ、人には大変恵まれた青年だと、
文四郎の人となりも、こういう人たちとの縁に育まれたものだと、
この舞台を観ながら、ちょっと胸が熱くなりました。

矢田の未亡人・淑江とその弟・布施鶴之助についても、
原作どおりに丁寧に取り入れられており(映画版はごっそり削除)、
松岡由美さんと佐野圭亮さんのお芝居にはかなり惹き付けられました。
嫡子をめぐるお家騒動が、文四郎をはじめ多くの人たちの人生を狂わせ、
やり場のない悲しみ、苦しみを与え続けていることを、
この姉弟を通して描かれます。
文四郎にとっても決して小さな存在ではないふたりなので、
丁寧に描かれ演じられて、とても嬉しかったです。

文四郎の幼なじみで、文四郎に恋心を抱きながらも、
やがて藩主の寵愛を受けその子を産んだふく(お福さま)に相田翔子さん。
あのWinkの翔子ちゃんが、今や舞台でこんな大きな役を演じることに、
少なからず驚きました。
少女時代のふく、翔子ちゃんの持つ雰囲気にぴったりでした。
お福さまとなった彼女も、印象は悪くなかったのですが、
如何せん台詞が速い、軽い。これはとても残念でした。
藩主に愛され、それなりの世界で生きてきた相応の女性として、
もう少しゆったりと落ち着いた話し方をして欲しかったです。
ラストシーン。花道でもう一度文四郎を振り返りその姿を惜しんだのち、
涙をこらえながら花道を去ってゆく姿は、ほんとうに悲しくも美しい。
お福さまのラストシーンは、
映画版(木村佳乃さん)ドラマ版(水野真紀さん)そしてこの舞台版、
それぞれにお福さまの美しさが際立っていて、甲乙全くつけがたいです。

最後に、主役・牧文四郎の片岡愛之助さん。
お噂はかねがね(笑)この舞台での初見を楽しみにしておりました。
パンフレットにもありましたが、
「端正」という言葉、この人のためにあるようなものですね(大げさでなく!)
生粋の歌舞伎役者さんたちの顔立ちとも違い、
世に言う「イケメン」顔でもなく・・
もちろんお顔立ちだけでなく、立ち姿、居ずまい、所作などは、
歌舞伎役者だけあって、観ていて安心感のある美しさですね。
文四郎という人物、その年齢とは思えないほど、
武士の本分をわきまえた、古武士の風格と精神をもつ青年です。
一本筋が通っていて、内には熱いものを秘めつつ、
常に凛々しく、清清しいイメージです。
この文四郎役を、映画版の市川染五郎さんに続き歌舞伎界に求め、
なかでも愛之助さんという、染五郎さん以上に文四郎の雰囲気に
ぴったりな役者さんがいらしたことは、とても幸運なめぐり合わせでしょう。
とにかく、文四郎のイメージにはぴったりです。

少年期から子役を入れずに愛之助さんが演じますが、
これにも意外と無理がなく、声のトーンも高く明るく工夫されていました。
逸平や与之助と一緒のときには、実にくったくがなく、
歳相応の文四郎をご本人も楽しんで演じていらっしゃるようです。
それでも、逸平や与之助にはあまり感じられない堅固な部分
(武士としての基本精神)が常に身体の芯にしっかり流れているような
印象を受けました。
一転して武士として立つときには、それを一気に表面化させるという感じ。
その精神で動いている様が、原作の文四郎そのものに見えました。
欅御殿の門前で「郡奉行、牧文四郎!」と名乗りを上げる姿。
お福さまと御子を逃したのち、花道にすっくと立ち、
手際よく落ち着いたさまで襷をかけ、さらに鉢巻を締める姿。
惚れ惚れする凛々しさでした。

残念なのは、(これを書くのは憚られるなあ・・)
時に感情をあらわにしすぎると思われた点です。
わたしは、基本的に文四郎には涙を見せて欲しくないのです。
涙を見せるのは、切腹する父に伝えるべきことを伝えられなかったことを
心から悔やむ、あのシーンだけであってほしい。
仏門に入るお福さまと20余年ぶりに再会して、
思い出を語りながら、お互いの思いを確かめ合うシーンでも、
文四郎には、熱い思いがあろうとも努めて落ち着いていて欲しかったのです。
これは、映画のラストシーンの影響では決してなくて、
そもそもわたしの文四郎像なのです・・。
彼も彼なりに、逆らえぬ運命を是として受け入れ生きてきた、
文四郎にはやはり、武士としての悟りがあるはずだから。
この舞台は、愛之助さんの文四郎として観るべきなのでしょうが、
如何せん、わたしの中にはわたしの文四郎(笑)が根強く存在しているので、
どうしても受け入れがたいものがありました。

ですが、愛之助さんの文四郎は(比較することに意味はないけど)
私的に総合評価で、染ちゃん、内野さんを抜き、トップに立ちました(笑)
別の機会に、別の人物についても、私的観点から総合評価を
してみちゃおうかな~と思っています♪

長くなりすぎたので、
印象的なシーンについての感想は、別途とします。

「エレンディラ」 名古屋公演 (3)

2007-09-12 | 観る、聴く

あと少し、『エレンディラ』の魅力について。
(以下、ネタばれ全開です)

(3)オリジナル部分の面白さ
『エレンディラ』は3幕もの。
1幕冒頭。砂漠にほんものの翼が生えた老人が倒れている。
この老人にまつわると思われる昔々の話を、語り部(品川徹)が語り始める。
1・2幕で、そのエレンディラとウリセスと祖母の物語が展開する。
3幕は、原作(エレンディラがウリセスを残して去るまで)から、
その核心=謎部分を脚本家が独自の解釈で解き明かした、
この舞台のオリジナルになっている、というなかなか面白い試み。
それについて賛否両論あるようだが、
わたしはこの3幕こそが面白かったし、とても心が動いた。大好きだ。
ドラマチックで美しくて、悲劇が悲しすぎるまま終わらない、
舞台化されるにふさわしい作品に生まれ変わったと思う。

わたしは、原作を会場で公演パンフといっしょに購入し、
帰宅後すぐに読んでみた。
原作になっている小説は、この短編集のなかのひとつ、
「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」
というめちゃ長い題名だけど、80ページほどなのであっという間に読めた。

舞台を観ていて、ひとつだけ腑に落ちなかったことがある。
おばあちゃんなりの愛情を知って、
(「女」を武器にすることは、近い将来エレンディラが、この砂漠で
 ひとり身を立てていくための術となることを教えてくれた)
「ひとりになりたくない!」と言ったエレンディラが、
初めて海を見たとたん、そのおばあちゃんを殺して自由になろうと、
突然掌を返したように決意し、ウリセスに対してもひどく冷たい態度をとる
ようになったこと。

一方原作を読むと、海を見る前にすでにエレンディラの心に
変化があることがわかる。
わたしの読み違いでなければ・・
おばあちゃんなりの愛情を、エレンディラは舞台で演じられたように
愛情として受け止めていないように感じた。
彼女は、おばあちゃんの言葉から「ひとりでも生きていける」という
確信を持ったのだと思う。ゆえに、おばあちゃん殺しに思い至った。
彼女にとってウリセスは、その手段として格好の素材。
彼女は、確かにウリセスをかつて心から愛しただろうが、
永遠の自由を手にするために、ウリセスの愛はもはや彼女の餌食。
そういう流れで考えれば、
幾度も殺し損ねるウリセスを軽蔑したり、
とうとう仕事を為し終えたウリセスを、躊躇なく捨てて走り去る
エレンディラの行動に、納得がいく。
エレンディラは、永遠の自由を手にするために、
かつての無垢で健気で美しい少女から、
したたかでたくましく生きる女に生まれ変わった。
(原作小説は、ここで終わる。)

3幕で登場する作家は、原作に登場しない。
ここからが、原作をもとに脚本家が独自の解釈により創作した、
舞台オリジナルとなる。
作家は、自分が30年前、エレンディラの伝承をもとに書いた小説のなかの謎、
つまり、なぜ彼女はウリセスを捨てたのかを追求するため、
エレンディラ本人を訪ねる。
そして彼は、彼女自身の口から衝撃の真実を知る。

おばあちゃんを殺したのは、彼女自身であると。
ウリセスは、そこにいなかったのだと。

この脚本家による謎ときのどんでん返しは、非常に面白いと思った。
(このへんにおそらく賛否が分かれるのだろうが・・)
エレンディラを愛した人々が、ウリセスひとりに罪をなすりつけ、
美しいエレンディラの伝説を守ったのだと、
作家は解釈する。
公演パンフのなかで、脚本を書いた坂手洋二さんは
「実は彼(ウリセス)こそがこの物語の『動機』のような存在です」
と書いている。
これを観劇直前に読んでいたので、作家の解釈を理解したとき、
目の前の霧がぱあっと晴れたような感動を覚えた。

死の床で作家に真実を語るエレンディラは、
まるで司祭に最後の懺悔をしているかのようだ。
ウリセスが被った汚名も、捨てられた悲しみや苦しみも、
エレンディラが抱き続けた重い罪も、罪悪感も、
一切が解けて消えていくように思われた。
ちょうどそのとき、舞台上には、
老いてかつてのおばあちゃんのような容貌になっていたエレンディラと、
ここに連れてこられた、翼の生えたみすぼらしい老人から、
若いころの美しいエレンディラとウリセスが現れる!
このシーン、ほんとうに彼らの魂が抜け出てきたような、
神秘的、幻想的な美しさだった。
ずっと離れ離れだったエレンディラとウリセスが、
真実の言葉を交し合う。
「そばにいてあげなくてはいけないときに、そばにいてあげられなかった」
そんなウリセスの言葉が、たまらなく切なくて涙がこみ上げた。

ふたりが心を通い合わせたとき、
ウリセスの背中の翼が強く羽ばたき始め、真っ赤な夕陽の空へ舞い上がる。
天空に羽ばたくウリセスに、エレンディラがすっと手を伸ばす。
宗教画を見るような美しいラストシーンだった。

舞台オリジナルは、
原作が描く、エレンディラという女性の無垢でたくましいイメージを
決して違えていないと思う。
そのうえで、エレンディラとウリセスに救いを与えているところが、
わたしは、みごとだったなと思う。


3幕、2回の休憩をはさんで4時間強。
まったく飽きることも疲れることもなく、
すばらしい「見世物祝祭劇」を堪能できた。
全然わからないかもしれないけれど、
もしかしたら、けっこうハマる作品かも~という直感が的中。
(あまりアテにならない)直感を信じて、今回はほんとに良かった(笑)
1回限りの観劇で終わったけれど、
あの舞台演出の美しさ、面白さは、もっと引いた位置から見たら、
また格別の感動があると思った。

「エレンディラ」 名古屋千秋楽 (2)

2007-09-12 | 観る、聴く

引き続き、わたしの感じた舞台『エレンディラ』の魅力、3つの要素を。

(2)キャスティングの成功
あっきーのウリセスと、美波ちゃんのエレンディラ。
このカップルのバランスのよさが抜群だった。
ふたりとも、ちっちゃくて華奢でかわいらしくて、それでいて芯が強くて。
原作のふたりのイメージにもぴったりだったと思う。
(原作は、公演パンフと一緒に購入して、帰宅後さっそく読んだ。)
大人になりかけの未熟なふたりの、
精いっぱいの愛と逃避行、そして殺人・・
そんなストーリーでも決してドロドロと重い感じがしないのは、
青い果実の甘酸っぱい芳香のせいかも。
ふたり裸で抱き合い、濃厚なキスを重ねても、
まったくいやらしい感じのしない、不思議な清らかさ。
このキャスティングは、大成功だと思う。

ここからいったんファン目線で。(笑)
あっきー、今回はいつものゆるいウェーブの髪をやわらかい茶に染め、
真っ白なシャツにジーンズという、いたってシンプルなスタイル。
スタイルからすれば、ごくごく普通のお兄ちゃん(笑)
だけど、彼は舞台に立つと、
どうしてこうも自然に<ピュア>なオーラに包まれてしまうんだろう!?
魂として暗闇で宙に浮いていても、
翼をつけて羽ばたいていても、あっきーって全然違和感がなかった。
そんなあっきーだけど、
彼なりに大人になってきたなあ~と感じたことも。
ふとした表情がちゃんと男の顔になってるし、
ラブシーンもヴォルフの頃に比べたら無理がなくてきれいだし、
上半身はけっこう、見た目よりりっぱだった(笑)藤原クンよりイケル(爆)
役柄的なものももちろんあるけれど、
シローやヴォルフに比べて、よりピュアでより大人になった印象。
うん、あっきーも男として役者として、着実に成長してるってことね(涙)

そして、あっきーの歌。
ほんっとに上手いよなあ・・と感動した。
1幕ラストは、ふたりベッドで抱き合ったまま、
ウリセスがエレンディラとの愛を歌う。
途中からエレンディラとのデュエットになって、これがまたいい感じ♪
とてもしっとりときれいなシーンだった。
一方、2幕のラストは、ウリセスがエレンディラを失った絶望を歌う。
「ウリセス・ソング」
以前「題名のない音楽界21」で、
これを作曲したマイケル・ナイマン氏とあっきーが共演するのを、
聴いていたが、難しい曲だな~くらいの印象しかなかった。
しかし、舞台の上、ストーリーの流れの中で、しかも公演回数も
相当数こなした今聴く「ウリセス・ソング」は、すばらしかった!

この舞台『エレンディラ』であっきーは、
歌わなくても、かなり自由に感情を表現できていたと思う。
3幕、ウリセスがエレンディラの祖母を刺し殺すシーンから、
エレンディラがウリセスを残し去ってしまうところまで、
あっきー、迫真の演技だった・・
エレンディラが去ったあとの慟哭、今も耳の奥から離れない。
でもやっぱり、彼が歌にその感情を乗せたとき、
歌はものすごい力を持って、観客の心を揺り動かすんだな。
あっきーは、やっぱり根っからのシンガーだと、思い知る。

エレンディラを演じた美波ちゃん。
NODA-MAPの「贋作・罪と罰」で、松たか子ちゃん演じる三条英の妹役だった。
目がくりっと大きくて、独特な声をしていた印象がある。
その彼女が蜷川舞台に大抜擢、びっくりだった。
でも先に書いたとおり、あっきーとの相性が良かったのもあるけど、
なにせ彼女の度胸というか、役者魂には恐れ入る。
エレンディラの持つ、清らかな美しさと芯の強さは、
彼女自身のなかにも見える。

以下、主要なキャストだけ、ちょこっと感想。
3幕だけの出演だったけど、國村隼さん。
今回、あっきーの次のお目当てがこの方。
WOWOWドラマ「震度0」で、すっかり惚れこんでしまったので(笑)
早々に舞台で拝見できて、とても嬉しい♪
原作にはない、この舞台のオリジナル部分で、
エレンディラの悲劇の伝承の真実を追究する作家の役。
ほかのキャストとの絡みはあまりなかったのが残念ではあるが、
かなり長い時間、ちょうどわたしの真正面あたりで芝居してくれたので、
あの渋さをじゅうぶんに堪能♪♪
位置のせいか、ほかの誰よりもいちばん台詞が聴きやすかった。
いい声だ・・・
今度はぜひ上川さんと舞台で共演願いたい。また睨み合い?(笑)

エレンディラの祖母=瑳川哲朗さん。
もう・・「怪演」のひとことに尽きる。すごい、すごすぎる・・
こんな超べテラン俳優さんに、あんなことさせられるのは、
蜷川さんしかいないでしょ~
「卒塔婆小町」の老婆=壌晴彦さんもすごかったけど、さらに数倍上だ。
このおばあちゃん、エレンディラに無情なようで、
彼女はやっぱり血の繋がった孫娘、不器用に愛情が見え隠れする。
そんなところをうまく見せてくれる「怪演」なれど「名演」

語り部=品川徹さん。
この方も、今回楽しみにしてきたけれど、
如何せん、非常に聞き取りづらかった。
「タンゴ~冬の終わりに」の黒マントのおじさんがそのまま登場だ・・
このおじさんがいて、(白)孔雀の話題。
もしや・・と危惧したが、今回は孔雀は登場しなかった。よかった(笑)


「エレンディラ」  名古屋千秋楽 (1)

2007-09-12 | 観る、聴く

結局、観に行っちゃいました♪
(かな~り強引な手段をとったけど・・子どもたち、ごめんちゃい)

良かったーー!!
ラストがこんなに美しくて感動できるとは思わなかった(涙)
続くカーテンコール、
熱演の役者さんたちが、次々に笑顔であいさつに出てくる(涙・涙)
カテコにすこぶる弱い・・
で、最後にあっきー♪
やだ~、あっきー泣いてるじゃん・・お鼻がピンク色。
たまらん・・・涙・涙・涙。
あっきー、がんばったよ、とってもよかった、嬉しかった!!
ほらね~、やっぱり名古屋サイコーでしょ?
あっきー、いつも言ってくれるもんね♪
観にきて、ほんとに良かった。

『エレンディラ』
演出:蜷川幸雄 原作:ガルシア・マルケス 脚本:坂手洋二
音楽:マイケル・ナイマン
出演:中川晃教、美波、國村隼、瑳川哲朗、品川徹ほか
9月9日(日)12:30 名古屋千秋楽
愛知厚生年金会館 1階K列40番

ぎりぎりになってオークションで、ちょいとお得にゲット。
センターブロックやや上手寄りだけど、とても観やすい良席だった。感謝!

唐沢さんの『コリオレイナス』でも満席にならなかった名古屋、
この公演ははっきり言って「入らんだろー」と心配した。
案の定、主催のテレビ局は間近になって無料招待券を相当数出したらしい。
その奮闘?あってか、この日(2階席は見えなかったが)ほぼ満席。
嬉しかった。(勝手にあっきーの身内気分)

さてこの舞台、わたしがこれだけ気に入った理由は3つ挙げられる。
(1)蜷川さんの舞台演出のすばらしさ
(2)あっきーと美波ちゃん、キャスティングの成功
(3)3幕=脚本家のオリジナル部分の面白さ

まず(1)蜷川さんの舞台演出のすばらしさ。
蜷川さんの舞台では、演巧者の役者さんたちの芝居以上に、
舞台演出そのものを楽しみにしている。
客席に足を踏み入れたとたん、今から始まる劇空間にワープする。
しかし、今回舞台上には、
薄汚れてところどころ破れたカーテンが引かれているだけ。
カーテンの向こうに透ける舞台上には、何ひとつなかった。
舞台上に何もない、これには少なからず驚いた。
この舞台は、果てしなく続く砂漠なのである。
この砂漠を、エレンディラと祖母の一行がゆるゆると歩き回り、
移動テントや教会、戦闘地域、オレンジ畑などが次々登場することで、
時と場所の推移を知る。
そうして観客も、エレンディラたちと共に、旅をしている気分になってくる。

蜷川さんは、今回の公演パンフレットのなかで、こう語っている。
「戯曲の言語と役者の肉体を第一芸術とし、
 演出を第二芸術とするぼくは、さてどう闘えばいいか」
蜷川さんの演出はいつも、役者の芝居を補填したり、効果的に見せる
だけの役割にとどまらない。それ自体が意味を持っている。
戯曲のエッセンス=本質的なものを、表現していると思う。
これはわたしの勝手な解釈だけど、
台詞と役者の芝居はストーリーで、演出は戯曲のエッセンスで、
観客の心にアプローチを仕掛けよういうのではないか。
『エレンディラ』という戯曲のエッセンスは、
たぶん「南米文学」の魅力、おもしろさ、だと思う。
神秘的、幻想的、驚異的なモノや現象が溢れていて、
しかしそれらは決して幻想でも驚異でもなく、
ストーリーの現実のなかにあたりまえのように存在している。
背中に翼の生えた老人、白鯨のような祖母、蜘蛛女、
ダイヤモンドが入ったオレンジ、祖母から噴出す緑の血・・
『エレンディラ』の世界はまさに、
こういう不思議なリアルさのなかに存在する。
そして、『エレンディラ』で蜷川さんは、
そういうものを、観客の想像力に任せず、敢えてカタチとして見せつける。
「見世物祝祭劇」と銘打たれている所以は、
案外、そんなところにあるのかもしれない。
今回の演出も、第一芸術に対し、みごとな闘いぶりだ。

長くなったので、いったん締めます。

取れた~~~♪♪♪

2007-09-11 | つれづれに

『カリギュラ』大阪公演、取れましたっ!!!
自力だよ、自力!(笑)・・・って、抽選だけどさ。
今年最後(??)の運は、ココに行くことになってたのか。

(M!のがよかったな・・・)
なんて言いませんっ。
・・いや、正直ちょっと思ったけど。
(だって、『エレンディラ』のあっきー、すごく良かったんだもん)
         ↑観劇レポ、早く上げなきゃ。
   
すんません、バチ当たりなヤツです、ごめんなさい。
ほんとは嬉しいの♪♪♪

「さ~の~」でなく、今最も旬なしゅんしゅん、
そして、ホントのお目当ては勝地涼くん&長谷川博己くん。
ああ・・嬉しい。

やればできるではないか、自分。

めげずにチケ獲り戦の腕を磨こう(?)
とりあえず「M!」 もすこし足掻いてみよう。
おっとその前に、次は「トリツカレ男」
(これは楽勝・・か!?)

心洗われたできごと

2007-09-11 | つれづれに

今朝、いつものごみ収集場所へごみを捨てに行ったときのこと。

80すぎだろうと思われる、白髪で背の曲がった小さなおばあちゃんが、
古くてぼろぼろになった靴を大事そうに押し頂き、
「ごくろうさんでした」と言って、
その靴をごみ袋のなかにていねいに入れているのを見ました。

はっとしました。
わたしの持っているごみ袋のなかにも、実は靴があったの。
夏休みの間に、小さくなって履けなくなってしまった子どもたちの靴。
出かけに玄関に転がっているのを見つけ、
「ごみの日に思い出してよかった~」と、
何の躊躇もなくごみ袋へ入れてきちゃったのでした・・

ごめんなさい。
短い間だったけど、毎日子どもたちと学校と家を往復し、
暑いなか、子どもたちのくっちゃい足に蒸れ(笑)
雨の日は、容赦なく水溜りに突っ込まれズクズクになり、
それでも毎日がんぱってくれたんだよねえ。

おばあちゃんに教わりました。
ものを大切に使うことはもちろんのこと、
そのものが役割を終えたときにも、心から感謝すること。
ものを大切にするってことは、そういうこと。

・・だよなあ・・・
とっても反省しました。

それにしても、あのおばあちゃん、
どこのおばあちゃんだっけかな?
あいさつしてちょこっとお天気の話とかしてきたけど、
このへんで見たことないような気がする・・

玉砕・・・

2007-09-08 | つれづれに

やっぱ、『M!』先行ダメだったーー(泣)

それでも、ケータイのほうは3回繋がったのよ。
時間かかりながらも、手続きの段階を進んでいくんだけど、
最後の砦なのか? 支払い手続きの確認のところで全く進まない!!
予約仮押さえから10分以内に手続き完了しないと、
キャンセルになっちゃうらしい。
K列、G列、E列(!!)のけっこういいところが来たのにーー!
3回とも、最後でまったく繋がらなくてアウト。
こんなのアリかよ・・・

PCのほうは、ログインすらできず・・なんで?

東宝ナビザ、初めてトライしたんだけど、
わたしおかしい?もしかして何か根本的に間違ってたのかしらん??

一般発売の日は、息子の体育祭だからどうにもならないや。
嬉し♪楽し♪のクリスマス・イヴ・イヴが、ぶっ飛びました。
はああ・・甘い期待だった・・・

『カリギュラ』もあぶないな・・(苦笑)

貯運はないらしい・・
こんなんで来年戦えるのか、自分!?

・・・強運でやさし~いおともだちを増やすしかない(爆)