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Re=response=応答、感応=物事に触れて心が動くこと。小田和正さんの大好きな曲からいただきました。

最後の最後まで!

2006-12-25 | 功名が辻

高知城天守閣での、粛々たる三方礼。
感激・・・
やっぱり舞台人。
この映像を最後の最後に流すなんて・・!
「功名が辻」スタッフさん、ほんとに素敵だなあ。

エンドロール。これが本当に最後になるテーマ曲。
いっぱい並ぶ名前、役者さんからスタッフさんまで。
いっぱい涙が流れた。
ほんとにほんとに、お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。

これで、ほんとにほんとに、終わりだ・・・


あのきれいな三方礼、次は舞台で!

「功名が辻」 心に残る場面は。

2006-12-20 | 功名が辻

名場面・・と言ったら「全部!」と言いたくなってしまうので、
特に好きな場面、印象的だった場面を、書き残しておこうと思う。
全話あらためて見直してから考えたいところだけれど、
とてもそんな時間はないし、これ以上時を置くのも気が萎える。
それに見たら見たで、どれもこれも落としがたくなっちゃいそうなので、
直感勝負(言葉おかしい?笑)で、いざ。

・・と言いながら、もうすでにものすごい迷っている。
該当の回が何話だったか覚えていないのでごめんなさい。調べるのも億劫・・。
順番をつけるのもなんだけど・・敢えて。

1位 殿の最期
   もっと時間が経ったらどうかわからないけれど、今はなにはさておき1番。
   殿の最期を、あんなに静かで優しくて美しいシーンにしてもらえたことが
   すごく嬉しい。「このひとの人生が、ほんとに終わったんだなあ」と
   悲しいというより、むしろ穏やかな気持ち。心からお疲れさまと
   言ってあげたい気分・・今も。

2位 吉兵衛の最期 
   上川さんが演技を超えたところまで行ってしまったシーン。
   達ての願いで入れたという上川さんのアドリブの台詞に感動!
   上川さん=一豊として、ほんとうにこの時代を生きているんだなと
   思わされた。吉兵衛が息を引き取った瞬間、空を彷徨う殿の目が・・。
   撮影前後のエピソードにも感動。

3位 関が原を前に、家臣を鼓舞
   よくぞ上手の大将になられた!吉兵衛ならずとも涙して称えたい。
   家臣の名をひとりひとり呼び上げるのは、これも上川さんのアイデア。
   台詞そのものもすごくいいのだけど、この台詞に賭ける殿=上川さんの気迫が
   すごい!最後の決めシーンのかっこいいことといったら!!
   家臣だけでなく馬までも惚れさせた殿でした。

4位 拾との別れ
   父である殿を強く感じた。「寺に送られるのは、捨て子だからですか」
   という拾の悲しい問いかけに「そうじゃ」とはっきり言い切った殿、
   言い切らねばならなかった殿。威厳と慈愛に満ちた言葉、表情、しぐさ、
   「真の父親」だった殿に感動。拾役の泉澤くんの名演技もすばらしかった!
   別れのとき、父が拾に巻きつけてやった夫婦の手ぬぐい、家族の証、
   家族の絆・・。
  (追記12/20) ↑ああ、記憶違いでした(恥)拾に「そうだ」と答えたのは
    千代でした。殿はそのあと「父の命である」ときっぱり言ったのでした。

5位 母・法秀さまと
   法秀さまとのシーンは全部!(反則?)息子の顔になれる殿。
   なんというか・・目が違うんだなあ。ほかではああいう目を見ない。
   法秀さまと千代のシーンも、みんなとても好き。
   息子たちの幸せを願ってやまない、けれど武家の女性としての
   厳しさをもって接し続けた偉大なる母・佐久間さん演じる法秀さまが大好き。
   法秀=佐久間さんの母親オーラを感じまくりの一豊=上川さん。
   ここにも真の、強い母子の絆が。

6位 万福丸処刑のあと
   武士としての厳しさを散々に思い知らされたこの時期。悩みモード全開。
   見る方も毎回つらかった~。
  「功名とはなんじゃ」千代に問いかける殿の涙は忘れられない涙のひとつ。
   これを受けた千代の温かいことばも、深く心に残っている。
   若い頃のこういうシーンを思い出すと、殿、ひとつひとつほんっとに
   よく耐えて乗り越えてきたよね、とすっかり身内気分で、泣けてくる。

7位 開運の馬
   まさか手に入れられるとは夢にも思わなかった「龍のような馬」を、
   千代のおかげでとうとう自分のものに。
   その馬に頬ずりする殿の、とろけるように嬉しそうな顔!  
   嬉々として、城下をその馬に跨り疾走する殿!
   あんな笑顔は、ほかのどんなドラマでも見られないのでは。
   あんなに喜んでくれるなら、十両なんて安いもん!?
   へそくりの十両をめぐっての、千代とのやりとりもうまいっ!

8位 殿の「敦盛」
   見られるとは思わなかったので感激。おそらくもうすぐ見られるであろう
   信長の「敦盛」とは絶対違うはずなので貴重(笑)
   心中のつらさから酒に溺れての「敦盛」だけど、節まわしなど
   すごく丁寧に謡われていたし、また渋い声もよろしくて・・。
   さすが上川さん!と思った次第。(信長も期待してます。)


中途半端だけど、敢えて取り上げたかったシーンは、以上のとおり。
(思い切り殿に偏っていることはご容赦。)
というか、いろいろ思い出すうち収拾がつかなくなったのが本音(笑)
思い出のシーン、好きなシーン、ありすぎだもの・・。
つらい涙のシーンが多く上がってしまったけれど、
ほのぼのシーン、笑えるシーンもたくさんあったので、ざっと好きなところだけ。

なんといっても、小りんのことをひたすら千代に詫びる殿。
あんな面白いシーンはない(笑)
「やればできるではないか」「・・でおじゃる」
槍をおでこにゴツン、慌てて滑って床にゴツーン、ほかにも多々。
きっとアドリブに違いない。こそっとやってくれる上川さんが好き♪
徳次郎、治平、よね、拾。どの子役ちゃんたちとのシーンも、
殿の表情がとても穏やかで好き。ちびよねちゃんを膝に抱いて、
千代と会話をしながらも、にこにこあやしてあげているところなんて大好き♪

それから、殿がさりげなく千代の髪や手に触れるところも、すごく好き。
武田さんによれば「殿は果敢に触れることに挑戦していた」とのこと(笑)
どのシーンも、ほんとにさりげなく、とてもいいタイミングで、
うっとりするような夫婦の自然なふれあい。いつも上手いなあと感心してたけど、
上川さん、努力してたのね(笑)吉兵衛のアドバイスにも忠実な殿。

殿と六平太のシーンは、いつもただならぬ緊張感があってよかった。
殿対六平太はそのまま、上川さん対香川さんという演巧者同士のぶつかり合いを
見るようで、どきどきした。老婆?に化けた六平太と殿の激しい取っ組み合い、
見ている方もかなり力が入った覚えがある。
六平太、ほんとに存在感大きかったなあ。

あと、本能寺で濃の最期のシーンがすごくよかった。濃の描かれ方があまり
好きではなかったのだけど、本能寺で逆転サヨナラホームラン(笑)
「殿は地獄、私は極楽。これでは死に別れにございます」(だったか・・)
言った~!そして光秀の目の前で、銃弾を浴びて絶命。変な言い方だけど、
和久井さん、死に方がすごく美しかった。

最後に、シーンではないけどどうしても。
殿の年のとりかたが(言い方が変?)、とにかくすばらしかった!
16歳(だっけ)から61歳まで。
鬘とかメイク、着物などの変化もさることながら、
声や話しかた、表情やしぐさ、を重ねていくありさまがとても自然でよかった~。
上川さんの力もあるし、やっぱり大河スタッフの技術ってすごいなと思った。


とうとう、とりとめもなくなってきた・・。
いいシーン、きっとまだまだ落としているなあ、と思いつつ、
きりがないので、ここらでやめよう。
つくづく、1年間素晴らしいものを見せたいただいたものだと、
心からありがた~く思う。

最終話 「永遠の夫婦」

2006-12-12 | 功名が辻

スタパ・土スタと、きゃあきゃあ♪最後の盛り上がりを無邪気に楽しんでいたが、
日曜の朝が明けたとたん、どーーーっと重い気分。
吉兵衛最後の収録の日を迎えた上川さんみたいな気分。ものすごいリアルじゃ。
誰も「僕は死にましぇ~ん」って言ってくれないし。(笑)

「永遠の夫婦」
このふたりの長い物語の最後に、この上なくふさわしい感のサブタイトル。
言葉としてはさりげないのだけれど、
1年間ふたりを見守りつづけて、
その言葉の持つ重さや美しさを、強く実感する。
「永遠の夫婦」というものを真に信じさせてくれる、ほんとうに美しい最後だった。

苦渋の決断で土佐を平定し、新しい城を築き、病に倒れてもなお、
殿には大名として残された仕事があった。
命を懸けて守り抜いた山内家に、未来を繋げることである。
時代は徳川の世となり、豊臣はいずれ消え去ることを読み、
山内家は徳川の一大名として、豊臣とは袂を別つことを、
殿は、遺言のつもりで家臣に宣言した。
涙を湛えた殿の目が、縁(えにし)を振り切るつらさを物語っている。
千代も家臣一同も、殿の心情を深く理解し、
その決断をしかと受け止めている表情だった。
そして再び殿が倒れる。

徳次郎以下の計らいで、殿は最期のときを千代とふたりきりで迎える。
どんな厳しい戦も生き残ってきた幸運の始まりは、
千代との出会いだったという殿。
日のもと一の女房じゃと、
最愛の千代に抱かれ、微かな微笑みと涙を浮かべる殿。
末期の水を、千代の口から受けたか受けぬかのうちの、静かな静かな最期。
千代は声も上げず、ただ殿の最期を抱きしめた。
暗闇のなか蝋燭の火がふっと消えるような最期だった。

殿に添い寝した千代が、朝を迎え、冷たくなった殿の頬に触れて、
殿の死をあらためて実感する。
今度は声を上げ大粒の涙を流して、もう動かぬ殿にすがるように泣いた。
殿の死を受け入れなければならない悲しみ。

こんなに静かで美しくて切ない最期のシーンは、初めて。
殿も千代もほんとうに綺麗で、それでいて限りなく自然だった。
こんなに素晴らしい最期のシーンにしてもらえたこと、
1年間見つづけてきて、ほんとうに良かったと思った。

殿の死後は、駆け足で乱世の終わりを見せた。
人生70年をかけすべてを手に入れつつあった家康が、
ほぼすべてを失いつつある豊臣に、唯一残された秀頼という若く輝かしい存在に、
激しい嫉妬と恐怖を抱いたというのが、ものすごく人間的でリアル。
また、あくまで天下を譲らずと最期まで息巻く淀も、凄まじい。
家康と淀の執念が大阪城とともに焼き尽くされる。
「山内家は残り、豊臣家は滅びた。
 されどこれで戦はなくなる。」
燃え落ちる大阪城を見ながら、寧寧が千代に言った。
徳川による天下平定の基礎は、
豊臣が織田の時代から築き積み上げたものでもあり、
その血塗られた戦の歴史に、豊臣は自らの血をもって終止符を打ち、
しかしその歴史の生き証人として、その一端を担ってきた山内が、
徳川の世に脈々と生き残りつづける運命を与えられたと、そんなふうに思う。

乱世の終わりを見届けて、
千代は戦で命を落とした者たちの弔いの旅に出る。
夫が奪ってきた命、夫のために消えた命。
それらを弔い歩き、夫の業を代わって背負おうという妻の気持ち。
よりを戻してからの千代は、
殿の背負ってきたもの、殿の気持ちをより深く理解するようになったのかもしれない。
堀尾吉晴が中村の件で訪ねてきたときも、
寧寧が「女大名」の言葉を使ったときも、
これまで以上に殿を慮ってものを言っていたように聞こえた。
この最終話、仲間さんの千代が通してとても美しく見えた。
殿の心に寄り添うほど、美しさが増すようだった。

「もうよいとお思いになったら、千代を迎えに来てくださいまし」
「千代が死ぬときは、僕が迎えに行きたい」という殿の気持ちを汲んで
とてもすてきな最後のシーンが用意された。
上川さんのその気持ちがとても素敵だし、それをこんなふうに
活かしてくれた大石さん、スタッフも最高~!
サプライズシーンは、思い出の河原での追憶シーンではなかった。
殿が、千代を迎えにきた。
貧しくてもたぶんいちばん楽しくて幸せだったのかもしれない若いころの、
総髪で精悍な殿と、パッチワークの小袖のかわいらしい千代。
千代の縫ったおそろいの手ぬぐいを、手首に巻いて。
幸せいっぱいの笑顔で、殿が千代を背負い歩き始める、
永遠の夫婦の道。

一豊と千代らしく、さわやかでやさしくて温かいものを残していってくれた。
ほんとうに最後の一瞬まで楽しめた、大満足の最終話だった。

・・・終わっちゃった。


1年間を総括して、心からありがとうの気持ちを、
あらためて書こうと思います。そのうち・・(笑)

終わった・・・

2006-12-11 | 功名が辻

とうとう終わった。
なんだかもう・・言葉もないなあ。

本当にしずかで、きれいな最期だった。

「千代が死ぬときは、僕が迎えに行きたい」
上川さん、その言葉にまた泣けました。
ほんとのサプライズは、ここだったのね。

1年間本当にありがとうございました。

第48話 「功名の果て」

2006-12-06 | 功名が辻
このサブタイトルを知ったときから、イヤな響きだなあと思ってきた。
「功名の果て」 果て・・って。虚しい響き。

千代ぉ・・。苦しんでいる殿に次から次へと痛烈な口撃。
このドラマの千代も、そこまで言っちゃったか~って感じ。
「・・すごろくのように、立身出世を楽しんで参りました」
う~~ん、そうだっけ? あなたそうだったの?
「すごろく」発言は原作にあって(シチュエーションが違うけど)
あの千代は確かに「すごろく」のように楽しんできた感があったからいいんだけど、
この千代には、いくらこのシチュエーションでも、
違和感ありありの台詞に聞こえた。
「人生はすごろくではない」という(原作にはない)殿の台詞で、
なんとか、その台詞も浮かばれた感じにはなったけど。

出て行った千代を(一芝居うって)呼び寄せ、
思いのたけを正直に、ゆっくりと切々と語り、
千代の心をもういちど取り戻せたシーンは、
原作にはない、このドラマの夫婦でこその絆の強さに対するご褒美のよう。
よかったなあ、と心からほっとした。ありがとう、大石さん♪

種崎浜の惨劇、そこまでせねばならなかった理由。千代を欺いた理由。
殿や六平太たちが、
土佐一国を鎮めるというだけの目先の目的、狭い視野に立っているのではなく、
それが西の勢力を封じ、徳川の権威のもと乱世にいよいよ終わりを告げられる、
そして山内家が、徳川の一大名として生き残ることができる、
遠大な目的、広い視野を持っていたこと。
しかし、そのために避けられぬ惨状を、
殿も六平太も、千代には絶対見せたくなかったこと。
(殿は、六平太の千代への気持ちを、ちゃんとわかっていたのね・・)
千代は、男たちの大きさを、目の覚める思いで聞いたと思う。

また、殿はすでにきちんと新しき山内家の政の姿を見据えていた。
後世にわたり山内家の汚点となろうこの非情な仕置きに対し、
これから慈悲深い政で、どの国より住みやすい国にしていこうと、
殿がひとりで考えぬいた。
どうして土佐一国を治めるほどの器でないといえよう。
殿が、立派に土佐の主たろうとしていることを、千代は思い知らされたと思う。

これほどの男が、
掌を返したように、まるで子どもが母にすがるような目で、
「千代がいなければ、何も感じぬのじゃ」などと言う。
これで落ちない女はいない!
そんな言葉を、そんな声で、そんな涙をためた目で言われたら・・きゃいん♪
失礼しました・・(笑)
ようやく千代も、いちばん大切なものに気づけたよう。
千代の涙もきれいだったけれど、
そんな千代を抱き、心から慈しむような、とろけるような微笑みのあと、
すーーっと流れる殿の涙が・・・美しすぎ、絶品。
夫婦最大最悪の危機を、見事に乗り越えたふたりと、
共に涙を流して見守りつづけたファンへの(爆)ご褒美シーンだと思います!

再び床を一緒にできた夜、静かに絡められたふたりの手。
互いにふれあうことすらできなかった新婚初夜のふたりの手が、
お互いに吸い込まれそうなほど、しっくりと馴染むようになっていた。
長い年月どんなときも、こうして手を携えて乗り越えてきたことが
静かに伝わってくる、なんてきれいなシーンだこと・・!

千代と再び心を通わせ、殿の表情はいっそう穏やかに。
家康の期待通り土佐を平定し、高知城の普請、城下の整備を着々と進め、
千代との絆もあらためて固く、
殿の心にようやく、自信と誇りが満ちてきたのかもしれない。
あいかわらず千代の賢さを褒めちぎる家康にも、
もはや堂々とした笑顔である。優しい目がきらきらしていたのが印象的。
そして、とうとう完成した高知城の天守に立ち、
しみじみと語りあう千代に見せた微笑みのやわらかさ。
やっとやっと辿りついた安らぎ。

「功名の果て」
不思議と「果て」の響きは、明るく清々しく感じられるようになっていた。
なのに・・。

とうとう来週、最後の辻。
このふたりらしい、爽やかでやさしくて美しい最後を期待している。

第47話 「種崎浜の悲劇」

2006-11-28 | 功名が辻

ゆうべの気持ちを引きずるような重~い空の今日。
胸の中もど~んより、何をどう書いたらいいのやら・・。
なので、最初はまず気分向上のために、あのシーン♪から。

  人生五十年 化天のうちにくらぶれば 夢幻のごとくなり
  ひとたび生を享け 滅せぬもののあるべきか

うほっ、ここで見られるとは! 思わずにやけてしまった(笑) 
関が原から大坂屋敷に帰還したとき、千代の前で舞って倒れこんだのは、
原作では、この謡曲「敦盛」 (一豊がこれを希望した)
これは楽しみだ~♪と思っていたら・・あらん?(笑)
いや、あれはあれでよかったし、
なにより、次は本家信長(笑)で見られるんだから許す、と素直に引き下がった。
なるほど、ここでこういうふうに使いたかったのね!

ひとはみな死ぬ。
無残な死に方をした一両具足も一生、
無残に殺した自分もまた一生。
短い人生、何を為すべきか。
おれは、今やらねばならぬ。

どろどろに酔って、「敦盛」を舞い、無理やり自分を鼓舞させようとする殿。
信長のような強烈な美意識はない。
ただただ、迷い弱気になる自分を打ち消し、奮い立たせんと。
その無理やりな感じが、たまらなく切ない。
これまで、たくさんの信長がこの「敦盛」を舞うのを見てきたけれど、
信長以外でこれを見たのは初めてだし、
こんなに切なくて泣ける「敦盛」も初めて。
上川さん、謡いの声すてきすぎ!
微妙なフシも見事にこなされてる。耳がいい証拠かしら?
(これは、信長の「敦盛」がさらに見ものだ)

さて、話を主筋へ。
何度見ても何度考えても、虚しい回である。
「山内家が生き延びるには、これしか方法がなかった」
ほんとうにほんとうに、こうするしかなかったのだろうか、六平太?
戦国を生き抜いてきた男たちの、悲痛な論理。
主家が滅べば、一族郎党無残な運命をたどるも必定。
倒さねば、即ちわが身が滅びる。
主たるもの、わが身であってわが身にあらず。私心を滅せよ。
千代の気持ち、一両具足への温情策は、現時点ではあまりに理想的に過ぎる。
男たちが、千代を容れず彼らの論理で考え抜いた末の策が、
最良でないにしろ、この窮地を切り抜けるにはいたしかたないのだと、
同じように言い聞かせて見てきたけれど。
おびただしい数の一両具足の無残な死体。
新一郎の死、六平太の死。
千代の、殿を見る目。殿の悲しい目。
それらを見ると、どんどんわからなくなる。ほんとうにこうするほかなかったか。

それでも、すでに事は終わった。
多くの尊い犠牲を礎に、この瞬間から山内家は、
これからを真摯に考えなければならない。
子々孫々にまで恨みを残し、再び乱を起こすようなことがあってはならない。
新しい山内家の政は、今このときからだというのに。
今いちばん苦しいはずである殿に対して、
妻である千代に、ああ言ってほしくはなかった。

多くの領民の命を主が、それも卑怯なだまし討ちによって、むごたらしく奪った。
従わないものは、殺されてもしかたがない。
六平太の策といえど、それを呑み決行の断を下した殿を、
千代は許せないのだろう。
思えば、こうした殿の武士としての修羅場に、千代がまさに立ち会うことは
これまでなかった。
戦とは、戦国を生き残るとはこういうことだ、ということを、
殿が感じたようには、やはり千代にはできていなかったのかもしれない。
しかし、土佐に来て以来どろどろになるまで酒に溺れる殿の苦しさを、
察せられぬ千代でもないだろう。
法秀尼に言われたように「夫の業を一緒に背負い」
寧寧に言われたように「どんなことがあっても、夫を見捨てない」
今こそ、戦国を生きる武士の妻でありつづけてほしかった。
新一郎の死よりも、六平太の死よりも、
今、殿を支えてあげられない千代が、いちばん悲しかった。
殿ではなく、六平太の亡骸に、すがるように泣く千代が悲しかった。

新一郎、こんなところで死んでしまうとは、夢にも思わなかった。
種崎浜の一件を、山内家のためだとわが身に強く言い聞かせ、
山内家の重臣として、逃げることなくその場に立ち会うことを決心した。
無残な死を遂げた一両具足らに詫びる姿。
「殿のお顔が、殿のお声が、聞きたい・・」悲痛な最期の言葉。
最古参であり、最期の最期まで殿と山内家を愛しつづけた、新一郎らしい最期。
「ようやった、ようやった」と涙ながらに、亡き息子を褒める老父、
新右衛門の姿に、武士の哀しさを見るようでたまらなかった。

そして六平太。
国のため、徳川のため、山内の殿さまとお方さまのため、
苦肉の策の泥を一切かぶって、忍びで生きた者として陰で死ぬ。
「最期は千代の腕のなかで」「そのために土佐に来た」
哀しいくらい美しい死に方だけれど、ほんとうにそれでよかったのか。
千代が納得いくまで、諭してほしかった。
千代を守るなら、生きて生きて、この後の山内家を支えてほしかった。
千代に悲しみと憎悪の念だけを残し、
殿だけにこの後を丸投げにして、
六平太は、死ぬべきではなかった。

結局・・殿がかわいそうすぎる。
(すみません、大いに偏っていて・・)
次回の殿なんて、もっと見ていられない気がする~。

第46話 「土佐二十万石」

2006-11-20 | 功名が辻

今話は・・かな~り複雑な気分で見た。
今回の千代と殿のやりとりは、数日前のうちの夫婦そのまんま!
頭のなかは、ドラマ半分、私事半分・・。
気がつくと「は?今なんて?」てな感じで調子狂った(笑)
(のちに、録画分を再度冷静に復習しました~)

私事でウザイかも、ですが。
さる南国にて1年になるわが殿、辻の殿(笑)に歩を合わせるかのように、
先月から名実ともに一国一城の主(もちろん雇われ城主)。
で、一両具足ほど強烈ではないけど、まったくもって異文化の輩を、
望む方向に早く向かせねばと、えらい苦労している真っ最中。
家康のようなプレッシャーが、本社および納入先からは矢のごとく。
「土佐を抑らえれなければ、山内はさっさと放り出せばよい」なんてことが
先回ささやかれていたが、これマジわが身のこと。
メールでしょっちゅう、現状報告と多少の愚痴をよこしてくる夫に、
「相手を苦手だとか嫌だとか下手に見れば、相手もそのように見る」だとか
「日本人と同じやりかたではいかん」とか
「厳しくすればいいってもんじゃない」とか・・偉そうにプチ千代(笑)
対する返事はたいてい、
「わかっているつもり」「どうにもならん」「しかたがない」・・プチ一豊(爆)
プチ千代は、どうしていいかわからない。

「戦をせぬ方法はないのでございますか」と、
いわゆる理想(空論?)を押し付けようとする千代、ああ・・。
(そんなこといってやるなよ~)と千代を真っ向批判できない自分(汗)
辻の殿を見ていると、そのつら~~い立場、心の葛藤が痛いほどわかる。
当初は多少浮かれすぎちゃったかもしれないけれど、
殿の心根は全然変わってはいない。
「悲しい戦はしたくない」 しかし・・
「家康殿の恩情と期待に報いなければならない」
そのために為そうとしていることが、
いちばん大切にしたい千代の気持ちに大いに反する、悲しませるということも、
殿はよくわかっている。
酒を煽り、倒れこんで、
千代に、殿自身に言い聞かせるように「いたしかたないのじゃ」と呟く。
千代の膝の上で、たまらない表情。胸が締め付けられる思い。
賢い千代のこと、殿の苦しい気持ちを、
浦戸の海を見ながら殿が「この美しい国で戦はしたくないのう」と言葉にするまで、
まさか気づかぬわけもなかろうが・・。
「清濁併せのめるまでには成長した」殿(上川さんインタより)に対して、
千代はやはり、女ゆえ?現場を知らないゆえ?その域に行けていないんだろうか。
殿の気持ちを汲むこともできず、力添えになる言葉ももたず。
本家の千代でさえ、こうか・・。
(プチ千代ではどうにもならぬわけだ。開き直り、笑)

寧寧さまは千代に
「(夫婦でありつづけるなら)何があっても最期まで(夫を)見届けてやりなされ」
と言った。
これなんだろうなあ・・・。
晩年の秀吉が常軌を逸したような行動に走ったときも、
寧寧は寧寧の思うところがあっただろうが、結局秀吉の為すがままにさせた。
結果としてそれが、後世そしりを受けることとなろうとも、
夫が何かを為そうというとき、夫婦として妻が夫にできることはひとつ。
ただただ傍にいて、話を聞き、求められればそれに応じ、
何がどうなろうと自分だけは夫を見捨てないという覚悟。
なんやかや、手出し口出し無用。
それがいい女、いい妻の器量、かな。
千代も、寧寧さまにはかなわないな。

千代が頼りにするは、いつも六平太(?)
一豊のもとで不安がる千代のために、とうとう家臣として山内家に入る。
山内家への忠義を、千代の父を撃ち抜いた銃弾に誓う六平太の涙。
六平太の思いをしっかり受け止めた殿。
無言のなかでの熱い思いの交流が、ふたりの目と目から静かに伝わってきた。

このあと六平太は、土佐を治めるための厳しい方策を殿に進言する。
「この国は山内一豊の国であることを知らしめるには、はじめが肝心。
 そのためには、長宗我部の政を一新せねばなりますまい。」
六平太、巧いな~。「山内一豊の国」にピクッときちゃったかなあ、殿。
大名として、国主として、やりたくないことも、
逃げず毅然と立ち向かわなければならないのだという覚悟を、
おかげで決められたよう。
六平太の策、康豊以下家臣団は気乗りせぬ様子だが、
もはや六平太に篤い信頼を寄せる殿は、これを呑んでいよいよ動く。
家康殿の信に応えるため。
山内一豊の治める土佐をつくるため。

六平太がすべてを動かし、結局すべてを被るのか・・。
当初の予想以上に大きかった六平太の存在とその意義。
良くも悪くもウルトラC的だなあ。
見事といえば見事、やりすぎといえばやりすぎ(苦笑)
次回は、千代のため、山内家のため、礎とならんとする
六平太の最後の奮闘に、涙しそう。

第45話 「三成死すとも」

2006-11-13 | 功名が辻

三成死すとも、義は死なず。
そして、義にもいろいろある、ということである。

「義にもいろいろある」は単なる淀の嫌味に終わらない、ひとつの真実だと思う。
家康はともかく、
豊臣恩顧の諸将の多くは、三成憎しの感情がつい表立つけれど、
家康を頼んだは、豊臣家の将来を思うがゆえのこと。
彼らは彼らそれぞれ考えるところの「義」を貫いた。
三成が「義は我に(のみ)ある」と固執したところに、三成の不幸はあると思う。
ただ、諸将にも同じことは言えるから、
お互いの義を、冷静に理解しあえなかったことが、関が原の悲劇である。
そうできぬよう人心を操った家康が、やっぱり諸悪の根源!?

それはさておき、
三成の旧領古橋村で三成を匿った与次郎の気持ちも義であり、
その義に対し、自らの命を投げ出すことで与次郎の命を救おうとする
三成の気持ちも、義である。
主君への義あり、ひととしての義あり。
そこで三成がさらに太閤への義に固執したなら、再起を賭け生き延びるために
逃げる道を選んだかもしれない。しかし三成は、与次郎の無償の義の行為に、
ひととしての義を見たのだと思う。
三成は義を義で返すことで、己を貫く道を得た。
(司馬さんの『関が原』では、与次郎を犠牲にして己が逃げることは不義、
 三成は不義の人と評され、かの一戦までが不義の戦いとみられ、意義を
 失う、と三成がいう。ひととしての義を示すことで、三成はあくまで
 太閤・豊臣への義を貫こうとしている、と思う。)

殿にも、殿の義がある。
豊臣の将来を頼むに相応しい将として家康を選んだこと。
家康を選んだからには、城も領地も一切合切投げ出す覚悟を示したこと。
そして、敗れた三成や死んでいった者たちへの敬意を忘れず、
また三成の淀への遺言を、千代をして伝えさせたこと。

家康に、義はあるだろうか。
関が原の論功行賞で、殿に破格の処遇土佐20万石を与える。
小山評定での働きを、いかなる戦功以上に評価するものとして、
殿の義に大いに報いた格好になっている。
涙を湛えて熱く手を取り合う家康と殿だが、
関が原を勝ち、すべてを新しく動かし始めた家康の腹は、すでにわからない。

しかし、今家康の最も欲するものは、まさに義だろう。
豊臣の将来のために家康を選んだ諸将たちを、
この後も固く繋ぎとめなければならない。
豊臣への義を、徳川への義にさせなければ意味がない。
三成を前に、その頑ななまでの忠誠心に敬意を払いそれを惜しむは、
家康の本心である。
家康が幕府を開いたのち、諸大名に徹底した忠義を求め、そのため諸策を講じ、
以後250年以上にわたり幕府の安泰が守られたのは、
三成が示した義の心が、家康(徳川)のなかに生き続けた証といえる。
三成死すとも、義は死なず。

さて、殿。
関が原での虚脱感、寂寥感は大きく。
大阪屋敷に戻った殿の表情、千代は戦のたび何度かこういう殿の顔を見てきている。
かの戦がいかに厳しくつらいものだったか、
それを抱えて戻ってきた殿の気持ちが、千代には瞬時察しがついたことだろう。
「よう生きておったなあ」とだけ搾り出すように言う殿。
喜びと悲しみのごちゃまぜで、泣き出しそうな表情にたまらなくなる。
そんな殿は、やっぱり千代のもとで、
ぼやいて泣いて泣いて、立ち直るしかないのね・・、いくつになっても。

というわけで、
千代のもとに戻れば、数日で元気になる!(笑)
そして、とうとう土佐20万石、一国一城を賜ることに!
老いた新右衛門の涙から、もうじわっときた。
「千代にもろうた国じゃ」というあたりが、実に殿らしいご器量。
そして、空の上の吉兵衛に「見えるか!」
吉兵衛のくしゃくしゃの笑顔が見えるようだった。
山内家全員で戦いぬき、たどりついた一国一城なんだなあと、
山内家の一員になったように、感慨深いものがあった。
祝いの宴で、大きな杯を一気に呑み干した殿の表情、すっごい素敵!

宴の席を外した千代を見て、はたと気づいた。
そういえば、今日はまだ六平太が登場してなかったわ・・
と思ったとたん、どこでも六平太の登場(笑)さっそく酔いも吹っ飛ぶご忠言。
「一豊があまり浮かれすぎぬよう、手綱をしっかり締めておけ!」
すかさず「ち~よ~~♪」と、殿の無邪気なお声。
浮かれてはいけないんですってよ、殿っ(笑)
ああ、これからが大変だ~。

追記
三成斬首の瞬間、手毬がころん!
予告でもどきっとしたが、わかっていながら本編でも思いきりどきっとした・・。
椰川さんの演出らしいわ(笑)

第44話 「関が原」

2006-11-06 | 功名が辻

いよいよ決戦、関が原。
最大の戦場を前に、戦をせず、頭や心だけを動かしている武将。
一豊だけではない。
実際のところ、そちらの数の方が多いくらい
それぞれの思惑で見下ろされる「関が原」

実に一豊目線。
世紀の合戦、生涯最後の戦と奮い立ち参陣していながら、
戦の場は彼方、激しい怒号も遠く、戦況は物見の報告によりわかる程度。
置かれた立場・役割を理解しようとも、焦れる。
自分が下した決断への信念がぐらつく。
半生かけて築きあげたものが崩れ去る恐怖。
千代と今生の別れをする覚悟。
律儀すぎるか、この場に及んで我はどうする、に頭がまわらないご様子。
「浮世の主」になりなされっ!
母上がきっと泣いておられますぞ。
しかし、ここ(大河版)の殿はもはや自力でどうにもならぬらしい。
どこでも助っ人、六平太登場。(母上が差し向けた?笑)
「生きるも死ぬも、戦ってこそか」
そうそう! それでこそ槍ひとつで生きてきた殿。
それにしてもこの男たち、相も変わらずいつでもどこでも、ちよちよちよ・・・。
それと、六平太って小早川にも堂々出入りしていたなんて!

いざ意を決すれば、家康の前でも肝が据わって威勢のいい殿(笑)
自陣でぐじぐじしていた男と同じには見えないわ~。
家康から信深き目で見られ「出でよ」と言われたとき、
やはり表情は嬉しそう。 老いても根っからの武士。
しかし、もはや攻め入る隙はなく、
そうこうするうち、よもやの小早川の寝返りにより形勢逆転。
「この流れに乗れ!」四郎が父益田甚兵衛さんのお声が聞こえたか(爆)
「この機を逃すなー!」と、一豊軍もようやく便乗加勢。
殿、馬上にて、これが最後の勇姿、かな。

両軍あわせ17万超を巻き込み、3万という戦死者を出した大戦が終わった。
勝敗を決したのが、(殿に知れるところで)吉川の内応、小早川の寝返りという、
殿の武士としての正義感から大きく外れたところにあることが、
殿をまたひどい虚脱感に陥れたようだ。
「勝つこともまた寂しいことだ」
戦のたびにこの殿は、戦の最中も戦のあとも「涙が出るほどつらい思い」を重ね、
とうとう生涯最後の戦でも、それは変わらなかった。
そしてそう思うことさえ、かつての吉兵衛のように、新一郎にたしなめられる。
<武士であるがゆえに、生きるために戦わねばならない>
ゆるぎない真実が、このひとのなかでは、一生真実にはなりえないのだろうなあ。
人間として決して不幸ではないと思うけど、
武士としては、やっぱり不幸だったのか・・な。
そういう武士がいてもいいし、実際もっといただろうし、
そういう武士がいたからこそ、やがて武士の世が終わるのだけど。
当時の、家臣を束ねる立場にあっては、不幸は言い過ぎでもやはり気の毒ではある。
新一郎にたしなめられたときの表情が・・(泣)
「屍を踏まぬように参れ」と退陣の家臣に下知する殿。
人間としても武士としても、たまらなく苦しい心境だろう。

ところで。
お互い信頼を深めたかのように見えた家康と殿だが、これからどうなるだろう。
今回気になったこと。
家康は、寝返った小早川にさらに三成の佐和山城攻めを命じ、
「人の心につけ込むのは、疲れるものでござる」と殿に言う。
家康が、殿にわざわざ?そう言ったのには、何かわけがあるのだろうか?
その家康を見て、殿の表情が変わった。
裏切りにより得た勝利の虚しさを、家康はまったく共有する様子もない。
家康を選んだことにさえ、殿は虚しさを覚えてしまったのかもしれない。
あるいは、家康を怖いと感じたか。
自分もまんまとつけ込まれたのかとまで感じたか。
家康は、間違いなく殿の、これまでとは違う視線を感じ取ったと思う。
関が原ですべてが終わり、家康にとってはすべてが始まった。
殿と家康の関係にも、
何か(信頼関係?)が終わって何か(支配関係?)が始まろうとしている。


最後に・・ひとことふたこと、どうしても言いたい。
ドラマをブツ切りにした、三宅アナ(それも下手な扮装つき!)の現場解説!!
『そのとき歴史は動いた』じゃないんだから・・。絶対おかしい!!
のめりこみつつある気分を、みごとぶった切られた。
主たる武将にはちゃんと役者を充てているんだから、ドラマの流れのなかで、
あの解説程度のことをわからせることはできたと思う。
『功名が辻』最大のヤマ場で、大ポカと笑われそうだ・・。
おまけに、
「なにゆえ三成がかくも素直に捕まったか。その謎は次週解き明かされる」って。
そんなこと別にわざわざ断わらなくたって~。
何がどうしてどうなって、こんなことになっちゃったんだか(笑)

それから。今届いた今週の「ステラ」
なぜか先週に引続き、チャングムの綴じ込みポスターが。
来週は表紙がと~~ても嬉しいんだけど(殿を脱いだ上川さんです♪)
殿か上川さんのポスターは・・ないですかねえ(笑)

第43話 「決戦へ」

2006-10-31 | 功名が辻

大石さん、あっぱれーー!! 
この一豊にして、その描かれ方がひじょ~~に気になっていた場面、
みごと納得のいくものにしていただけた。
すでにわが手を離れた掛川の城の外で、家臣団を鼓舞する場面も、
一豊らしく、とても感動的だったし。なによりかっこいいーー!!
決戦を前に、すでに興奮状態はピーク。

「徳川さまにお味方すると決めた以上、とことん尽くすがよい」
その覚悟を、まず千代が身を以って示した。
三成からの書状を開封せずそのまま差し出し、さらに大阪屋敷を攻められし折は、
徳川に二心なきを示すため、千代は自害して果てる覚悟、との千代直筆の書状。
「千代は自害して果てる」の言葉に、殿、思い切り動揺・・。
聞いてはおらんぞっ・・殿の胸の高鳴りが聞こえるかのよう。
しかし、この千代の機転とあまりに潔い忠節が家康の心を動かし、
とうとう三成を討つことに、意を決しさせる。
用意周到、狡猾に事を運んでいるかのような家康とて、
此度こそは、待って待っての武将人生すべてを懸ける最大の戦、
情勢の不透明さに惑い、焦り、諸侯を猜疑し不安にかられるのはまったく当然、
それゆえに、ひとことの重みに感涙するほどの喜びも感じる。
人間くさい家康が、演巧者西田さんによって、さらに面白く魅力的に。

そして、「諸侯の心は薄野のように西へ東へと揺れておる」なかでの小山評定。
前夜意を決しかね大暴れの福島正則が口火を切って、
家康方につくことを堂々表明。続いて細川忠興。
殿もそれに続き、居並ぶ諸侯がみな徳川方として戦うことを誓う。
軍議に移り、福島が先鋒を務め諸侯が清洲に向かい軍を進めることに決まる。

そのあと。
父吉晴による秘策を携えた堀尾家嫡男忠氏、迷いから臆して言葉を発せない。
見兼ねた殿が、すっくと立つ!
そのただならぬ景色、かねてより殿と山内家の誠実さを認めている家康が、
殿を嘲笑うかのような家臣らを抑え、その言葉に身を乗り出す。
家康の、殿に対して募る信頼感を演出したシーン、みごと!
「徳川さまに、わが城差し上げまする。城も領地も、お渡しいたしまする。
 存分にお使いくだされ」(言ったーーー!)
「お味方すると決めた以上、城も所領も捨てまする」(かっこいいーー♪)
妻千代とともに捨て身の覚悟を示した殿の言葉に、家康はこのうえなく感激し、
それを見た忠氏ほかの諸侯も同様に、城、所領を投げ出すことになる。
殿のこの言葉で、家康は万力を得た。
がっしりと殿の手を握った家康と、その家康の表情を見つめる殿の表情がすてき。
大石さんいわく、
「戦場でしか功を挙げられなかった一豊が、
 初めて<言葉>で家康の心を動かした」瞬間。
あとで、ほっと肩を撫で下ろす殿が・・いつもの殿に戻ってた(笑)
そういや、増田氏に啖呵をきったあとの千代も同じだった。

結果として、忠氏=吉晴の秘策を、殿が我がものとしてしまったわけだが、
このドラマでこれまで描かれてきた通りの殿の誠実さが、
殿にそうさせた、させざるを得なかったように描かれたことに脱帽!
(原作のようなシチュエーションのままでは、この殿には違和感ありすぎ。
 この殿なら絶対しない、と思っていたので。)
「城を明渡す」ことでこれ以上ない忠誠心を示すという、
古くからの朋友茂介(吉晴)の妙案に、殿は舌を巻く。
味方する以上、とことん尽くせという千代の覚悟にも通ずる。
ただ、まだ若い忠氏にはそこまでの覚悟がつかない。
評定の場において、殿に促されても、どうしても口を開けない。
忠氏のその姿を見兼ねて、殿が意を決する。
徳川に真っ先に味方することを決めたにもかかわらず、太閤への恩義も捨てきれず、
隠居を決めた茂介の苦渋の決断を、誰よりも知る殿。
今、忠氏をして徳川への忠義と覚悟を示させんとしている茂介の気持ち、
誰より理解するのは、息子忠氏ではなく、朋友一豊だろう。
茂介の思いを決して無駄にしたくない気持ちが、殿を突き動かしたのだと思う。
長き男の友情、ややいびつなれど(笑)ここにまた。
・・という解釈は、美しすぎだろか。

評定のあと、忠氏に謝る殿。しかし、忠氏の言葉がよかった。
己のふがいなさを恥じ
「かような評定の場でも、すでにひとりひとりの戦は始まっていること、
 しかと学び申した」 
さすが吉晴の息子!(感涙)賢く謙虚で心が広い。
殿は依然複雑な表情だったが、
その息子が言うとおり、殿の成したこと、朋友茂介も喜んでくれると思う。

さて、いよいよ西進。
雨の降りしきるなか、すでに家康のものとなった掛川城には入ることはできず、
山内軍は濡れねずみ。疲労も重なり、不満や不安を口にする家臣が出てきた。
そこで、殿。
家臣を前に馬上より、家康に見せたのに負けないくらいの、一世一代の名演説!(?)

「われらが徳川さまを勝たせるのじゃ」
「わしは運が強い!みなもその運を信じろ。」
そして家臣ひとりひとりの名を呼び、ひとりひとりの顔を見ながら・・
「そなたらが討ち死にしときには、必ずや子を立ててやる。
 子がなくば兄弟を、兄弟がなくば親類縁者を探し訪ねてやる。
 必ずや、必ずやその功に報いる」
「此度わしは死力を尽くして戦う。
 みなの者、死に物狂いでともに戦おうぞ!」

やればできるではないか~~!
すばらしく上手の大将になられた(感涙)
雲上で吉兵衛が顔をくしゃくしゃにして笑っていよう。
穏やかに、ひとりひとりに語りかけるように説き、
家臣の名を呼び始めたところから、涙が出て止まらなかった。
かつての吉兵衛の言葉が、完全に殿自身の言葉になり、
比類ないほどの熱と力を帯びていた。
殿の迫力のお顔・・最高♪
殿、いつのまにか、言葉で家康の心を動かし、
言葉で、家臣の心を奮い立たせ、ひとつにまとめ上げられるほどに。
屈指の名シーンがまたひとつ。

東軍は清洲城、西軍は大垣城にて、木曽川を挟んで睨み合いが続く。
清洲にて、さまざまに立派な甲冑姿の武将たちが、
依然江戸を動かぬ家康に焦れ、ひと悶着。
えらくしょぼい軍議の様子に、あのご立派な兜・・
なんだか「世界のクワガタ・カブト展」みたいだったわ(笑)
(兜の前立は、それぞれの武将の主義・願いを象徴するものだとか。
 殿のそれは、神主さんが振るアレ(名前知らない~)みたい。
 それって「神頼み」ってことーー?有り得そうで笑える)

西軍についた小早川秀秋は、高台院に東軍に寝返ることを示唆される。
家康は、依然豊臣恩顧の諸侯の本心を怪しみ、様々に試して窺っている。
三成は、己の正義に心酔し、西軍諸侯の心を掴み損ねている。足元から
崩れつつあるのに、まったく気づかない。
「ほかの者が(三成の)正しさを見て、己の欲深さ、小ずるさを
 焙り出されるようで、嫌になる」
宇喜多秀家の言葉は、まさに当を得ている。(これって、結構人間の本質的な
心理のひとつじゃないかと思う。)

東軍家康は、諸将に異心なきをしかと確認のうえ、とうとう江戸を発った。
西軍三成は、分裂の危機をはらみながらそれに気づかず、
関ヶ原にて、東軍を迎え討つために進軍。
いよいよ、決戦!
「功名が辻」視点が、いまや楽しみに!