聴覚障害者制度改革推進中央本部ブログ

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■10/25 衆議院厚生労働委員会記録(その2)

2005年10月25日 | 【速報】10/25衆議院厚生労働委員会
【委員長】次に浅輪参考人。
浅輪(参考人)/私には2人の子どもがおり、上の娘が障害者。娘が生まれたのは昭和34年。知的障害者福祉法が制定される前の年であり、知的障害者をめぐる法律はまったくなかった。私は、学校を卒業後、出版社に勤務していたが、娘が障害を持ったことが分かった時点で、会社勤めは出来なくなった。娘の就学時には、特殊学級がある学校を求め、あちこち歩き回った。その結果、埼玉県与野市に住み、親の会との関わりが出来てきた。娘が養護学校の中学部の頃、街で養護学校の卒業生を見かけるようになり、親の会でも作業所作りの話が出てきた。私は作業所の施設長になったが、その頃はまだ仕事をしていたので、週に1回程度顔を出せば良いのではないかと考えていた。しかし現実は毎日顔を出さなければならなかったため、結果、仕事を辞めて、施設長に専念し、19年間施設長を務めた。無認可の作業所だったが、定員を超えたので、新しい作業所を作ることになったが、それも大変なことだった。市に2つの作業所を建てる場合、2つ目の作業所は助成金の対象にならなかったので、2つめの作業所は100%自己資金運営で始めた。私の娘は昭和54年に養護学校を卒業し、運良く一般企業に就労できた。しかし、障害が重くなったことを理由に退職を勧められ、今は法人格の授産施設に働き、そして生活ホームに住んでいる。経歴でお分かりのように、私は単なる親の立場であり、親として、家族や障害者本人を見ているが、障害があるということでの、何らかのマイナスの要素を本人も家族も持ってはいけないと思う。そういう感覚を取り除いていきたいと思ってきた。法人を作るために苦労した人は分かると思うが、当時でも1億近くのお金がなければ法人格は取れなかった。ある日、養護学校の同期会に出たが、ある親御さんから「浅輪さんが来るとお金を取られるから、もう帰ろう」と言われた。大変悲しく、悔しかった。なぜこんなことをしなければならないのかと思った。施設を次から次へと作っていかねばならないとき、県から、半径300メートルの住民の全員の同意が必要だ、ということを言われた。これは大変な作業だった。その頃は特に、住民の恐怖感もあったと思う。私たちはなぜこんなことをしているのか。私は「親亡き後」と言う言葉は好きではない。しかし、現実に親は先に死んでいく。そのとき、自分のもう一人の子どもや親族に大きな負担はかけたくないと思っていた。気にかけては欲しいが、この子を丸抱えで見て欲しいとは言いたくない。そのためにも、障害者は自立のためのスキルを身につけ、国の補助があれば何とか自立できると思っていた。そのような中で、支援費制度は画期的な便をもたらした。例えば、私はジェットコースターが大嫌いで乗ったことはなかったが、しかし娘は若いヘルパーさんとジェットコースターに乗りました。私は、娘がジェットコースターを好きだということは、この時初めて知った。こうやって世界が広がることは素晴らしいと思う。支援費制度が始まって、やっと障害に対して理解が広まったかな、と思ったときにグランドデザインが出され、私たちはうろたえた。何回話を聞いても分からない。何となく改善されているように見えるが、よく分からないことがいっぱいある。私たちは知的障害しか知らないが、他の障害の方はどう思っているのか、知りたいと思い集会に参加した。そこでは、これでは生活出来ないと訴えていた。やっと掴んだ幸せが逃げていくように感じている。私たちは、負担金を払いたくないというのではない。しかし、そのためにはそれ相応の収入が必要のはず。更に、働く以前に生きていくためにお金がかかる人もいる。そういう人の社会活動を狭めてはいけないと思う。私たちの子どもたちは、障害が重い場合、施設でしか生きる場が与えられないという時代が長く続いた。そういう人たちが、自立支援法で日中活動が出来るようになるかもしれない。しかし、自立支援法での小規模作業所の位置づけを考えると、明るい未来が見えない。日中活動の場の地域活動センターは、支援費の対象でもなく、運営に関しても地方自治体に任されているということだが、場違いのような気がする。しかし、障害者の過半数が通っているのは、小規模作業所である。地域で生きていくことを奨励されているが、働けない人たちの生きがいをどうやって結びつければ良いのか?法案では親や兄弟への扶養義務も課せられており、本人の所得の保障もない。国と障害者の関係を見ていると、国は確かに大きな視野で法案を考えようとしているが、果たして色々な意見が確実に反映されているのだろうか?育成会が主催していく育成会の大会で本人部会というものがある。自分たちの要望をここから上げている。自分たちに関することを自分たちヌキで決めないで、という要望が何年も前から出されていた。その思いがどこまで活かされているのか?聞くだけ聞くけど何も活かされていない、ということを感じる。5月に緊急東京集会があった。そこでも緊急決議文があった。「私たちのことを私たちのことを決めないで、グランドデザインの内容を私たちに分かるように説明して欲しい、利用している私たちに良く分かるように説明して下さい」。こういった声を大事にして欲しい。

【委員長】次に、相澤参考人。
相澤(参考人)/今日の立場は件の家族会連合会会長と言うより、NPO法人の理事長という実践的な立場から述べたい。私は現在72歳、教員をまだ続けており、収入はそこから得ている。NPOは無給で活動している。私たちは、すべての住民に開かれた家族会運営を続けており、福島駅の側に地域生活センターを開くことが出来た。私たちはあくまでも超党派で、すべての市民・住民に理解を求めるとともに、絶対的に不足している福祉の拡充を求めている。地方における精神障害者とその家族の近況について述べたい。精神保健の基盤整備が決定的に立ち遅れている。病床数は多いのだが、入院条件は良くない。精神科の救急体制が整っていない。県で考えても、病床数が多すぎる。また、南会津では県立病院を含め、精神科の医師が1人もいないし、グループホームもないし、小規模作業所さえない。県の各地の保健所は広域統合をされ、現場に出ることができない。当事者集団が無理をして事業を行おうとしても、新規の設置が認められない。精神病院に入院している7万2千人の患者を地域に戻すという話があるが、そのための生活に必要な基盤は作られていない。精神障害者の福祉は他の障害と比べ物にならないくらい、低い。また、病理さえも定かでない。社会的偏見がひどく、2重の苦しみがある。本人だけでなく、親兄弟も苦しんでいる。子どもの発病と確定が遅く、その多くが低所得という状況。私たちは「親が安心して死ねる環境を」と励ましあってきた。障害者自立支援法に期待するものと心配するものを述べたいと思う。すべての障害者が安心して医療と福祉を利用できるようにしよう、というのは大賛成。現在は、それぞれの障害の法律が分断されている。全障害の一元化は大賛成である。また、この法案では就労支援を強調している。精神障害者でも、就労によって社会参加を熱望している人が多い。精神障害というだけで、会社からの門前払いを防ぐため、法整備をするのは大賛成。しかし、それを覆すくらいの不安がある。それが応益負担の原則。しかも家族ぐるみの応益負担となっている。障害者自立支援法は「自立支援」というなら、障害者が親兄弟に気兼ねなく自立出来なければならない。それなのに、親たちの世帯収入を含めて応益負担となっている。今でさえ親兄弟に大いに気兼ねして生活しているのに、ますます大きな気兼ねを課すことになる。

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