1986年12月21日 午前10時16分 3424g 分娩時間3時間43分 聖マリアンナ医科大学にて。
分娩時間だけを見ると意外と軽いお産の様に思われますが、何のその「逆子」での出産でした。
長男、二男共同じ病院、担当医が同じ先生と言う事もあり、3000gの子を産んで居ましたので絶対大丈夫と、分娩台の周りには、麻酔医、手術医、お腹の上に乗ってグイグイ押していた先生、それに担当医、助産婦さん、看護婦さんと、事態が急変した時に子供を無事取り上げる為にと隣で手術の準備も並行して進めて居たようです。
無事逆子を普通分娩で取り上げた時は、全員でバンザイ‼︎バンザイ‼︎と。私の手をずっと握っていた先生と、こんなにも男の方の手を握り締めたことがない程、嬉しくて先生と握り締めあって居ましたね^^;
それだけ大変なお産でしたので、ミルクを飲むと吐き出してしまい、授乳後は立たせたように寝かせないと危険な時期がありました。その後は大病もせず兄2人の中で育ち負けず嫌いで、二男の後について行っては遊んでいました。女の子ともあり、兄2人はお風呂や、オムツの交換、わがまま言ってはベランダに出されたり、道端に置いて来ると長男がそっと隣の部屋から入れてあげたり、おんぶして来たりとか、兄妹3人今も良く連絡を取り合っています。娘も結婚をして一児の母になりました。孫のあこちゃんです(*^o^*ひょうきんでいて、女の子らしい所が良く似て居ます。今年は、椎間板ヘルニアを患い大変な思いをした娘です。
頑張り屋の娘なのでつい無理をしてしまう様です。
新しい家庭で揺るぎ無い家族の絆を作って欲しいと思っております。
話が少しずれてしまいますが、夕御飯に主人の好きなモツの煮込みを作っているとふと、思い出しました。娘は私の亡くなった父が作るモツの煮込みが大好きで、田舎に帰ると、「じいちゃんにモツの煮込み作って置いて」と頼んでいました。その事を思い出し、父がダビのふされる時の事が思い出し、つい涙しててしまいました。私にとっての「モツ煮こみ」は、父と娘が繋がってしまう食べ物です。
分娩時間だけを見ると意外と軽いお産の様に思われますが、何のその「逆子」での出産でした。
長男、二男共同じ病院、担当医が同じ先生と言う事もあり、3000gの子を産んで居ましたので絶対大丈夫と、分娩台の周りには、麻酔医、手術医、お腹の上に乗ってグイグイ押していた先生、それに担当医、助産婦さん、看護婦さんと、事態が急変した時に子供を無事取り上げる為にと隣で手術の準備も並行して進めて居たようです。
無事逆子を普通分娩で取り上げた時は、全員でバンザイ‼︎バンザイ‼︎と。私の手をずっと握っていた先生と、こんなにも男の方の手を握り締めたことがない程、嬉しくて先生と握り締めあって居ましたね^^;
それだけ大変なお産でしたので、ミルクを飲むと吐き出してしまい、授乳後は立たせたように寝かせないと危険な時期がありました。その後は大病もせず兄2人の中で育ち負けず嫌いで、二男の後について行っては遊んでいました。女の子ともあり、兄2人はお風呂や、オムツの交換、わがまま言ってはベランダに出されたり、道端に置いて来ると長男がそっと隣の部屋から入れてあげたり、おんぶして来たりとか、兄妹3人今も良く連絡を取り合っています。娘も結婚をして一児の母になりました。孫のあこちゃんです(*^o^*ひょうきんでいて、女の子らしい所が良く似て居ます。今年は、椎間板ヘルニアを患い大変な思いをした娘です。
頑張り屋の娘なのでつい無理をしてしまう様です。
新しい家庭で揺るぎ無い家族の絆を作って欲しいと思っております。
話が少しずれてしまいますが、夕御飯に主人の好きなモツの煮込みを作っているとふと、思い出しました。娘は私の亡くなった父が作るモツの煮込みが大好きで、田舎に帰ると、「じいちゃんにモツの煮込み作って置いて」と頼んでいました。その事を思い出し、父がダビのふされる時の事が思い出し、つい涙しててしまいました。私にとっての「モツ煮こみ」は、父と娘が繋がってしまう食べ物です。