岩波文庫は1927年(昭和2年)7月に夏目漱石の「こゝろ」などを23点を出版し、創刊している。
文庫本の奥付の後に掲載されている「読者子に奇す〜岩波文庫発刊に際して」と題する岩波茂雄の文が初心を明確に記している。
書き出しはこうだ!
「真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。」
さらに、結びの前には、
「携帯に便にして価格の低きを最主とするがゆえに、外観を顧みざるも内容に至っては厳選最も力を尽くし、従来の岩波出版物の特色をますます発揮せしめようとする。この計画たるや世間の一時の投機的なるものと異なり、永遠の事業として吾人は微力を傾倒し、あらゆる犠牲を忍んで今後永久に継続発展せしめ、もって文庫の使命を遺憾なく果たさしめることを期する」と。
そして、こう結ぶ。
「芸術を愛し知識を求むる士の自ら進んでこの挙に参加し、希望と忠言とを寄せられることは吾人の熱望するところである。その性質上経済的には最も困難多きこの事業にあえて当たらんとする吾人の志を諒として、その達成のため世の読書子とのうるわしき共同を期待する。」
書物を安価に流通させて、より広範な人々が手軽に学術的な著作を読めるようになる事を目的として創刊されたわけだ。
そのように創刊の目的を定めたものは当時の時代背景であった。
岩波文庫が創刊されたのは、昭和の初め。
発刊の二週間後に、芥川龍之介が自殺する。
翌年6月29日には、緊急勅令で治安維持法が改悪され死刑と無期刑が追加される。
時代は重く、戦争準備が本格化して、自由の制約が始まる時。
その時代を背負って立つ岩波茂雄氏の言葉に、そういう時代だからこそ、読者を広げ、かがり火としたいとの希望を見出すことができよう。
この「読者子に奇す」は、岩波文庫のすべての文庫本に今持って掲げ続けられているのである。
岩波文庫の初心、是非とも、読者の皆さんには、共有していただきたい。
文庫本の奥付の後に掲載されている「読者子に奇す〜岩波文庫発刊に際して」と題する岩波茂雄の文が初心を明確に記している。
書き出しはこうだ!
「真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。」
さらに、結びの前には、
「携帯に便にして価格の低きを最主とするがゆえに、外観を顧みざるも内容に至っては厳選最も力を尽くし、従来の岩波出版物の特色をますます発揮せしめようとする。この計画たるや世間の一時の投機的なるものと異なり、永遠の事業として吾人は微力を傾倒し、あらゆる犠牲を忍んで今後永久に継続発展せしめ、もって文庫の使命を遺憾なく果たさしめることを期する」と。
そして、こう結ぶ。
「芸術を愛し知識を求むる士の自ら進んでこの挙に参加し、希望と忠言とを寄せられることは吾人の熱望するところである。その性質上経済的には最も困難多きこの事業にあえて当たらんとする吾人の志を諒として、その達成のため世の読書子とのうるわしき共同を期待する。」
書物を安価に流通させて、より広範な人々が手軽に学術的な著作を読めるようになる事を目的として創刊されたわけだ。
そのように創刊の目的を定めたものは当時の時代背景であった。
岩波文庫が創刊されたのは、昭和の初め。
発刊の二週間後に、芥川龍之介が自殺する。
翌年6月29日には、緊急勅令で治安維持法が改悪され死刑と無期刑が追加される。
時代は重く、戦争準備が本格化して、自由の制約が始まる時。
その時代を背負って立つ岩波茂雄氏の言葉に、そういう時代だからこそ、読者を広げ、かがり火としたいとの希望を見出すことができよう。
この「読者子に奇す」は、岩波文庫のすべての文庫本に今持って掲げ続けられているのである。
岩波文庫の初心、是非とも、読者の皆さんには、共有していただきたい。
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