ほんひらだより

この世界はすべて感謝です…なぜならば、それをできれば毎月ここで書き綴っていこうと思います。よろしかったらご覧ください。

ぶどう

2018年08月10日 | 日記
7月の西日本の豪雨、被害甚大考えられないような被災地に、大変なことが起こっている、その上に猛暑が続くなか、被災地の皆さん、救援の皆さん、ボランティアの姿、感謝の気持ちで一杯です。

気持ちはあっても後期高齢の身、皆さんの頑張りに、熱中症に十分気をつけて下さいますことをお祈りもうしあげます。13号の台風がゆっくりと被害を残しながら北にと14号が又発生している。

世界中でいろいろな異常現象が起こっています、これは何なのでしょうか、親神様の思し召しはどこにあるのでしょうか。

世間でも、勝手勝手なことが起こっている、膿を出す時が来ているのでしょうか、悲しい事です。

70年前の戦後に宇都宮で出会った水害を思い出しました、戦後すぐ今から70年前の台風が襲った時、小学一年生で、断片的なことしか思い出せませんが、

川の近くで暮らしていましたので、堤防が決壊し、川が氾濫して前の染物屋さんの大きな家がそっくり道路まで流されていました。

私たち親子4人は川のそばのコンクリート建ての消防署の3階で縮こまっていました。暗闇の中、周りはごうごうと濁った泥水が勢いよく流れ怖かったのをおぼえています。

父は家を守っていましたが、夜になっても水かさは増えるばかりで近所の方と、天井裏に逃げ込んで一夜をしのいだと、

床上浸水で、母の嫁入り道具のタンスの開きの真ん中まで水が来ていた跡が筋になって残っていました。雛人形や、5月人形は、水につかり駄目で使えなくなっていた。

水は2週間ほど大人の膝まで引かずに残っていたのを覚えています。小学校には、米軍から、おもちゃやぬいぐるみの動物、人形や石けんがお見舞いとして届けられていました、

ジャンケンで分配です、残念ながら負けて石けんをいただきました。


終戦で父がつとめていた会社が解散をし宇都宮で送るつもりでいた両親は、父が東京の人だったので、焼け野原の東京へ引っ越しそんなことを思いだしました。


調べて見ると戦後間もない関東地方を中心に甚大な被害をもたらし、羅災者は40万人を超え猛威を振るったといわれるカスリーン台風であったと。



生きる言葉 天理教教祖の教え (道友社編)より

世界は、この葡萄のようになあ、皆、丸い心で、つながり合って行くのやで。

ブドウのもう一つの意味について真柱は、「一つひとつ(の実)が軸を通して直接養分を元から送ってもらって育っている。ちょうど私たちも、一人ひとりが直接に親神様・教祖のお恵みを頂戴しながら成人するありさまと同じこと」

(昭和60年春季大祭)と。