ほんひらだより

この世界はすべて感謝です…なぜならば、それをできれば毎月ここで書き綴っていこうと思います。よろしかったらご覧ください。

あの日

2018年03月12日 | 日記
2月の本部月次祭に、教祖殿前の梅の花が膨らみ始めていました。春はそこまで来ていますが、寒暖の差が激しい事についていけません。


この11日で、あの東日本大震災も7年になります、被災者の皆様ばかりではなく、いろいろな時を過ごされていますね、

まだ仮設にお住まいの方もいらっしゃるし、まだまだ復興はこれからですね。


あの日、地下鉄の中で、電車が大きく揺れしばらく止まり動きましたが、又大きく揺れ、止まってしまいました、

アナウンスもなく次の駅の人形町でおろされてしまい、何が何だかわからず改札の外へ、1時間ほどそこにいた方とおしゃべりして待ってみましたが、

全線不通とのことで埒が明きません、歩いて帰ると一人二人と去っていく、横浜から先まで帰る者が残り、タクシーで帰りましょうと、地上へ出る。

真っ青な澄んだ空に、人は急ぎ足で、タクシーは捕まらず、多摩川大橋は渋滞で通れないと回送車ばかりが会社に帰ろうと急いでいる。

主人会長とも連絡が取れず、喫茶店も人人どうしょうもない、横浜へ帰る方が訪問した会社に戻るからと一緒させてもらいました。

だんだんと暗くなってくる、立派な応接室に、女子社員も帰れずに戻ってくる、社長さんは、新幹線が熱海まで通っているので帰っていった。

明日巡教があるのに連絡が取れない、どうしょうもない、夜のテレビに、異様な景色が表れた、暗闇の中、大きな波が次々と押し寄せ家々は流されている、津波でした。

こんな恐ろしい光景は始めてです、どんなことになるのか、まんじりともせずただただ見入っていました。


早朝に、東京駅まで歩き、始発に乗る、待っている人がズラッと、2人でデッキのところに乗りこみ、電車は超満員で走り出したが、

気分が悪くなるとスイッチを押すので、「押さないでください押される度に止るようになりますから、川崎まで走り救急車の用意がしてありますから」とアナウンス、

その度に止り3時間かけて横浜駅へ、えきごった返しでした。

教会まで歩いて、本棚などが倒れて大変だったと、急いで会長を巡教に送り出しました。東日本大震災、大変な日々が始まりました。

海辺には、跡形もない、茫然とする人、いろいろ、世界からの応援も、ボランティアの活躍、7年目にして高台に住居引っ越す人、まだ仮設にいる人、

復興もまだまだこれからだ、もう少し若かったら何かさせていただきたいと思うばかりです。

早く復興が進み、平和な穏やかな日々が戻ること祈るばかりの日々です。

皆様が、ご苦労していろいろ学び思案して新しく強く生きるための力を出している姿、忘れません、感謝一杯です。これからも見守り続けていきます。
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