ほんひらだより

この世界はすべて感謝です…なぜならば、それをできれば毎月ここで書き綴っていこうと思います。よろしかったらご覧ください。

八つのほこり  こうまん

2015年05月21日 | 日記
先日、東京は北千住に出かけました、西日暮里で千代田線に乗り換え、北千住に行きました、ホームをぐるぐると廻ってやっと改札口に出ました、いろいろな線が後から後から乗り入れているので、ややこしいと伺いました。日曜日とあいまってお天気も良く、家族連れで賑わって、下町の感じがよく出でいましたこと。帰りはJRで品川行きとあったので、それに乗って品川まで行き、乗り換えて、京浜急行で、横浜まで帰ってきました。最近、上野駅終点が東京まで延びたのですね。おのぼりさんもいいところです。
今朝はだいぶ肌寒かったのですが、5月の陽気、いつもこんなだったかしら、今夏はどのような陽気になるのかしら、東日本の被災者の皆さんも気をもまれますよね、いい陽気が続きますようにお祈りいたします。



、八つのほこり

こうまん

こうまんとは、力も無いのに自惚れ、高ぶり、富や地位をかさに着て、人を見下し、踏みつけ、己は偉い、
己は賢いと思うて人を侮り、人の欠点を探す、また、知らぬことを知りた顔して通す、これがこうまんのほこりであります。

こうまんというほこりが、「八つのほこり」の最後に登場します。軽いものから順に、というはなしからすれば、
なぜ、こうまんが最後にくるのかなあ、と考えてみたりするのですが、私が思案しますには、一つは、これは財産がある、
頭が良い、立場がある、というような恵まれた人、立派とされている人が積みやすく、しかも気がつきにくいことからかと思います。また、自己中心的であるだけでなく、他の人を見下す、抑えつけるような心遣いでもあります。
高慢と言えば、まず威張るとか、見下げるといった態度が思い浮かびます。力のない人が威張ってみても、たちまち鼻をへし折られ、笑い者になるのがオチでしょう。やはり、何らかの力の裏付けが無ければできることではありません。しかし、金も地位もない人でも自慢したり、ひけらかしたりという程度のことはあるでしょう。また、家柄や学歴を誇ることや差別する心もこうまんに通じる心遣いと言えましょう。  
人は誰でも、少しでも人の上に立ちたい、出世したいと思うものです。学歴社会、受験戦争はまさにそうした心情の産物です。
人間はみな等しく神のかしものであり、高低はない。それを何か高低があると思うことが、争いの元になると諭されています。大は戦争から小は身辺の争いまで、相手を下に見る、さげすむ気持ちから発していると言っていいと思います。(基本教理を身につけようより一部抜粋)