辺りにほっと匂いが、漂い始めるキンモクセイの香り、
今年も時期が来たのねとの思っているうちに、冷たい雨になり、
今日は11月の初めの陽気、ストーブを付ける始末、年は取りたくないなあ、
此の10月26日は、本部おぢばで、秋季大祭が執り行われます。今年からさかのぼって約180年以前、
天保9年10月26日に、天理教が始まりました立教の日なのです。
「我は元の神、実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降った。
みきを神のやしろに貰い受けたい」とは、
親神天理王命が、教祖中山みきの口を通して仰せになった最初の言葉です。
家人は、この思いがけぬ啓示にうち驚き、再三言葉を尽くして辞退したが、親神は厳として退かれぬにより、
遂に、あらゆる人間思案を断ち、一家の都合を捨てて、仰せのままに順う旨を対えた。
時に、天保9年10月26日、天理教は、ここに始まりました。
親神様が、初めてこの世に現れ「最後(だめ)の教え」として、開かれた元一日の日です。
午前8時より祭典がおこなわれます。世界の国から国中から、 人間を宿し込みのこのおぢばに帰ってきます。
「ぢば」は、親神様が人間をお創り下された場所で、親神天理王命様がお鎮まり下さるところです。
そして人間創造の証拠としてぢばに「かんろだい」が据えられ、礼拝の目標となっています。
かんろだいは、六角の台が大小十三段重ねられた、高さ八尺二寸(約二メートル四十八センチ)のだいです。
このかんろだいを囲んで、親神様が人間を創られた時の十全のお働きを、男五人、女五人の人々(つとめ人じゅう)が
それぞれの役割を手振りに現して「かぐらつとめ」がつとめられます。
それによって、人間を創められた時の働きが再現され、どんなたすけもすると教えられています。
ぢばは、そのおつとめがつとめられる場所です。
ぢばこそ、世界にたった一つの人類の故郷です。ですから、各地からぢばに参拝することを、
「おぢばに帰る」「おぢばがえり」と言います。
そこには、教祖がおられ、親の膝元に帰るという喜びと親しみが込められています。
それで「おかえりなさい」と迎えられるのです。
今年も時期が来たのねとの思っているうちに、冷たい雨になり、
今日は11月の初めの陽気、ストーブを付ける始末、年は取りたくないなあ、
此の10月26日は、本部おぢばで、秋季大祭が執り行われます。今年からさかのぼって約180年以前、
天保9年10月26日に、天理教が始まりました立教の日なのです。
「我は元の神、実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降った。
みきを神のやしろに貰い受けたい」とは、
親神天理王命が、教祖中山みきの口を通して仰せになった最初の言葉です。
家人は、この思いがけぬ啓示にうち驚き、再三言葉を尽くして辞退したが、親神は厳として退かれぬにより、
遂に、あらゆる人間思案を断ち、一家の都合を捨てて、仰せのままに順う旨を対えた。
時に、天保9年10月26日、天理教は、ここに始まりました。
親神様が、初めてこの世に現れ「最後(だめ)の教え」として、開かれた元一日の日です。
午前8時より祭典がおこなわれます。世界の国から国中から、 人間を宿し込みのこのおぢばに帰ってきます。
「ぢば」は、親神様が人間をお創り下された場所で、親神天理王命様がお鎮まり下さるところです。
そして人間創造の証拠としてぢばに「かんろだい」が据えられ、礼拝の目標となっています。
かんろだいは、六角の台が大小十三段重ねられた、高さ八尺二寸(約二メートル四十八センチ)のだいです。
このかんろだいを囲んで、親神様が人間を創られた時の十全のお働きを、男五人、女五人の人々(つとめ人じゅう)が
それぞれの役割を手振りに現して「かぐらつとめ」がつとめられます。
それによって、人間を創められた時の働きが再現され、どんなたすけもすると教えられています。
ぢばは、そのおつとめがつとめられる場所です。
ぢばこそ、世界にたった一つの人類の故郷です。ですから、各地からぢばに参拝することを、
「おぢばに帰る」「おぢばがえり」と言います。
そこには、教祖がおられ、親の膝元に帰るという喜びと親しみが込められています。
それで「おかえりなさい」と迎えられるのです。