年末から年始にかけて、球界関係者、特に自分自身と面識やゆかりのある方々の訃報が相次いでいるのだが、メジャーリーグでも昨年末、忘れられない人物が旅立たれた。ボルティモア・オリオールズのブルペンコーチだったエルロッド・ヘンドリックス氏である。昨年12月21日に心臓発作のため急逝した。65歳の誕生日を翌日に控えていたという。ヘンドリックスさんは1971年の秋に来日したオリオールズの正捕手だった。このとき . . . 本文を読む
昨年、渡米した際に取材でお世話になった、NYヤンキース傘下マイナー1A「スタッテンアイランド・ヤンキース」が、今年度の「ジョブ(仕事)争奪杯」に参加するインターン(研修生)を募集している。以下、SIヤンキースの日本語公式サイトから、募集要項を引用する。 スタッテンアイランド ヤンキースは2月1日(水)より8人のインターン(研修生) による、ジョブ(仕事)争奪杯を開始することをお知らせ致します。 ス . . . 本文を読む
実のところ、今日も近藤貞雄さんご逝去のショックから立ち直ることができずにいる。夕べは2000年に近藤さんのインタビューをまとめた共著「近藤貞雄の退場がこわくて野球ができるか」を何度も読み返しながら、目黒雅叙園のティールームで時間が経つのも忘れて野球談義に花を咲かせた、いや熱中したことを昨日のことのように思い出していた。その本のなかから、近藤さんの「遺言」とでも言うべき一節を抜粋してご紹介したい。近 . . . 本文を読む
最後にお目にかかったのは、5年前だったろうか。ベースボール・マガジン社から依頼された仕事で、1982年にセ・リーグで優勝した中日ドラゴンズについての記事を書くため、目黒雅叙園のコーヒーショップで2時間ほど、当時の監督だった近藤貞雄さんにお話を伺った。1998年の晩秋、当時の「週刊ベースボール」編集長Tさんから、新年号用のノンフィクションを依頼された私は、すぐに近藤さんをテーマにしたいと提案した。そ . . . 本文を読む
あけましておめでとうございます。昨年に引き続き、いやそれ以上に、執筆業、スカパー!MLBライブなどを通じてベースボールの魅力を一人でも多くの皆さんに知っていただけるよう、努力していくつもりでおります。そのために、今年から従来のベースボール・ライターの仕事をさらに拡大する意味で、「ベースボール・コントリビューター(Baseball Contributor)」の肩書きで活動していきたいと思っております . . . 本文を読む