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さらば、いとしの「エリー」……

2006年01月05日 | Baseball/MLB
年末から年始にかけて、球界関係者、特に自分自身と面識やゆかりのある方々の訃報が相次いでいるのだが、メジャーリーグでも昨年末、忘れられない人物が旅立たれた。
ボルティモア・オリオールズのブルペンコーチだったエルロッド・ヘンドリックス氏である。昨年12月21日に心臓発作のため急逝した。65歳の誕生日を翌日に控えていたという。
ヘンドリックスさんは1971年の秋に来日したオリオールズの正捕手だった。このときのオリオールズは単独チームとしては55年のヤンキースとともに来日チーム中最強と呼ばれている。何しろ監督のアール・ウィーヴァーをはじめ、ブルックス・ロビンソン(三塁手)、フランク・ロビンソン(外野手)、ジム・パーマー(投手)とのちに殿堂入りを果たすメンバーが4人いただけでなく、一塁手で本塁打王のブーク・パウエル、デービー・ジョンソンとマーク・ベランジャーのゴールドグラブ二遊間コンビなどタイトルホルダーがレギュラーにずらりと揃っており、しかも投手陣はパーマーのほか、デーブ・マクナリー、マーク・クエイアー、パット・ドブソンと4人の20勝投手が揃っていた。この年、パイレーツとのシリーズでは3勝4敗で惜敗していたものの、ア・リーグでは3連覇中で、「世界一軍団」というキャッチコピーは決して大げさではなかった。
ヘンドリックスさんはそんなスター軍団のなかでは地味な存在だったが、この日米野球では4本塁打の大活躍を見せた。

そのヘンドリックスさんにお目にかかったのは、1999年にボルティモアを訪れた際のことで、試合前の練習が終わってクラブハウスに引き上げてきた彼を呼び止め、短い時間だったが71年のことなどを話題に談笑した。
ヘンドリックスさんは、「あんなスター軍団ばかりのチームの中で、私のような選手のことを日本のファンが記憶してくれているのは大変ありがたいことだ」と満面の笑顔で私に接してくれた。
78年にヤンキースからオリオールズに戻ると、2年間現役を務めたものの、ずっとブルペンコーチとしてパーマー、マイク・フラナガン、デニス・マルティネス、マイク・ボディッカー、マイク・ムシーナら歴代のエースたちの球を受け続けた。69年以降にオリオールズが果たしたリーグ優勝と世界一のすべてに立ち会っている。
いつもその球場に行けば、必ず彼に会える、そんな人がメジャーのボールパークには必ずいるものだが、もうカムデンヤーズでヘンドリックスさんの姿を見ることはできない。本当にさびしいものだ。

(追記)
ヘンドリックスさんについては、報知新聞のMLBデスクでスカパー!MLBライブコメンテーターの蛭間豊章さんも今週のWeb報知コラム「ベースボール・インサイド」で取り上げています。毎週火曜日更新で、バックナンバーも閲覧できますので、ぜひアクセスしてみてください。
http://www.yomiuri.co.jp/hochi/major/index.htm
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スポーツニュース
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