上田龍公式サイトRyo's Baseball Cafe Americain  「店主日記」

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別れのとき~Farewell,Mr.Sadao Kondo

2006年01月09日 | Baseball/MLB
夕方から、近藤貞雄さんのお通夜に参列してまいりました。
祭壇に飾られた近藤さんの写真は、パーティーの席でのタキシード姿で、胸には赤いバラが。同じく参列していた元大洋番記者のNさんが「近藤さんらしい写真だね」と思わずつぶやいていました。

式が始まる前、控室で近藤さんの奥様にお目にかかりました。取材の電話などをご自宅にかけた際は、たいてい奥様が最初に出られていたので声は存じ上げていたのですが、お目にかかるのは初めてでした。プライベートを大事にされていた近藤さんは、ほとんどご家族のことを話されることはなく、担当記者でもご家族と面識がある方は限られていたようです。ただ、名古屋で取材のあと、食事をご一緒したときには、ちょっと奥様のお話などもされていたことはあったのですが。そんなことが次々と脳裏に思い浮かんできたせいか、こちらはお悔やみの言葉を伝えるので精一杯。逆に奥様から「急で驚かれたでしょう」と慰められる始末で……。でも、そうした気丈さが、いかにも近藤さんの奥様という印象がいたしました。

お通夜の席には多くの方が参列されていましたが、最前列に、宇野勝・現中日コーチの姿があったのが印象的でした。現役時代、ある試合でエラーを連発した宇野遊撃手を見かねて、ダッグアウトを飛び出してグラウンドで近藤さんがお説教を始めると、それに宇野選手も言い返して、監督と選手が観客の目前で口泡飛ばして口論するという光景は、あるいは「珍プレー」などでご存知の方も多いと思います。しかし、その宇野選手の守備をいつも「絶賛」していたのも近藤さんでした。
「三遊間へのライナーなど難しい打球を処理する能力は抜群。肩も強かったしね。ただ、真正面のゴロをトンネルしたり、凡フライをヘディングなんかするから目立ってしまうんだけどね。でも、僕が見てきたショートの中では守備範囲も肩の強さも屈指の存在だったよ」
実は、私もまったく同意見だったのです。宇野選手は確かにエラーは多かったものの、全盛期の守備機会(プットアウト+アシスト数)は、セ・リーグで毎年トップを争っていたはずです。
そんな気持ちは宇野選手にも通じていたのでしょう。実は99年秋に名古屋で開かれた近藤さんの殿堂入り祝賀パーティーで受付を務めていたのが宇野選手でした。

そして杉下茂さんの姿も。同い年の杉下さんは、1949年にドラゴンズに入団したのですが、実は杉下さんのプロ入り初勝利は、近藤さんをリリーフして挙げたものでした。

思い出は尽きません。ただ、いつまでも悲しみに打ちひしがれているのは、それこそ近藤さんのもっとも嫌うところです。

ありがとう近藤さん。あなたが生涯をささげた日本のベースボールの灯は、必ず守り続けます。



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