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私が生まれて初めてファンになった芸能人が……

2007年03月27日 | えとせとら

 青島幸男さんのお通夜に参列した姿をテレビで見たときから、ある種の「覚悟」はできていたのかもしれないが、植木等さんの訃報に接して、体じゅうからいっぺんに力が抜け落ちたような気分のままである(これから、スカパー!の今季初登板なのだが、まさか「植木さんが亡くなったので今日は休みます」なんて、それこそ「無責任」なことはできない)。

 植木さんは、間違いなく私が物心ついたとき、初めてファンになった芸能人である。生まれて初めて覚えて、人前で歌った流行歌も「スーダラ節」。いまでも「スーダラ」や「ハイ、それまでヨ」など当時のヒット曲は1番までなら間違いなく歌詞を見なくても歌える。
 飲む、打つ、買う三拍子そろって一人前というのが当たり前の芸能界にあって、テレビや曲のイメージとは裏腹に、まじめを絵に描いたような、かつ高潔な人柄でも有名だった。その意味では、クレージーキャッツのリーダーだったハナ肇さんとは対照的なキャラクターだったのだが、逆にそういうふたりだったからこそ、あれだけアクの強いメンバーをまとめることができたのだろう。
 それにしても、石橋エータロー、ハナ肇、安田伸、そして植木等と彼岸に旅だち、クレージーのメンバーは谷啓、犬塚弘、桜井センリの三人になってしまったとは……。
 植木さんの変わらぬ人気を象徴するかのように、この春には精密なフィギュアも発売されるのだが、それを手にして照れ笑いを浮かべたであろう姿を見せることなく、桜が満開になるのを待たずに、植木さんは今日、永遠の旅人となった。

  植木さんが、私にとって初めてファンになった芸能人で本当によかったと、いまはただ心の底から感謝するのみである。心よりご冥福をお祈りいたします。

 

 

 



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1 コメント

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父と同世代 (ADELANTE)
2007-03-27 23:46:33
私の15年前の4月に亡くなった親父も大正14年生まれだから、生きていれば秋の誕生日がきて82歳・・・、「無責任男」とほぼ同年代だったのね。(植木さんは昭和元年、いや戸籍上は私の母と同じ昭和2年生まれということになります)

この世代は戦争に行っているのですね。私も父から北朝鮮抑留についてはきかされました。(だから、私の親父の朝鮮嫌いは仕方のないことだとおもっています)
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