上田龍公式サイトRyo's Baseball Cafe Americain  「店主日記」

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スワローズがやらなければならないこと

2005年10月19日 | Baseball/MLB
「古田プレイングマネージャー」か……。
まあ、これまでの「兼任」のほうがもっとキツかったとは言えるだろうけど。
ただ、古田が球団フロントにいろいろな注文を突きつけたというのはよくわかる。
とにかくヤクルト・スワローズというチームは、地域との結びつきという点では、おそらくセ・リーグ6球団ではもっとも希薄。おそらくオリックスと「根無し草チーム」の座を争うほどだろう。
大昔、それこそ金田正一が現役の頃、「国鉄スワローズ」と名乗っていた当時は、東京のアンチ巨人ファンの支援を受けていた。たとえば1958年の開幕戦で金田が長嶋を4打席4三振に打ち取ったあの有名なシーンでは、金田のユニフォームの胸には「Tokyo」の文字があった。スワローズは国鉄時代、アウェイのユニフォームにはずっと「Tokyo」をつけていたのである。
そもそも「ヤクルト」という球団名が登場したとき、相当ショックだったのを憶えている。前年からオリオンズが「ロッテ」を名乗っており、これもけっこう違和感があったが、それでもまあ企業名だった。
しかし、ヤクルトは「商品名」そのものである。もちろん親会社としてはそれを望んでいるのだろうが、球団名を聞いて連想するのは、あのプラスチック製の小さな容器である。別にスワローズ球団だけの責任ではないが、それ以降、プロ野球の「公共性」は(それまでもはなはだ不十分だったとは言え)ドンドン失われていったような気がする。
本拠地も三鷹のグリーンパークを使ったり、後楽園を読売ジャイアンツや大毎オリオンズと共同使用したあと、60年代半ばから神宮を本拠地とするようになったが、ここはやはり学生野球のメッカというイメージが強く、実際、78年に初優勝した時には、デーゲームが六大学の日程と重なるため、後楽園球場を間借りせざるを得なかった。
いまでも六大学の開催日には、試合前の練習を神宮の草野球場で行なっている。
過去に千葉や札幌に新天地を求めるチャンスはあった。しかし、中途半端な「中央志向」にこだわってそのチャンスを逃した。
タイガースやホークス、今年のマリーンズに見られるように、これからのプロ野球は地域との強い結びつきなしでは成り立たない。どうしても「東京」にこだわるのであれば、最低でも球団名に都市名を付け加え、アウェイのユニフォームにも国鉄時代のように「Tokyo」を復活させるべきだろう。読売がユニフォームからTOKYOをかなぐり捨てている現在、唯一の江戸っ子チームであるとアピールする絶好のチャンスだと思うのだが。
とりあえず、古田の監督としての力量とともに、スワローズのチームとしての来季以降の企業努力にも大いに注目していきたいと思う。スワローズには関心が薄くても、「古田のファン」はおおぜいいる。もちろん、私もそのひとりである。


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