(メッツ移籍直後参加した74年の日米野球で。松井秀喜が生まれたのはこの年のことだった)
○ミラー・ハギンズ(1918~29)
1921年にヤンキースをリーグ初優勝に導き、23年には初のワールドシリーズ制覇。ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグらの「殺人打線」とハーブ・ぺノック、ウェイト・ホイトらの強力投手陣を擁して、26年にリーグ優勝。27・28年には連続世界一に輝く。しかし1929年9月19日の試合を最後に緊急入院し、25日に丹毒(皮膚細菌感染症の一種)のため急死。
○ジョー・マッカーシー(1931~46)
シカゴ・カブスで1929年にリーグ優勝を果たしたあと、31年にヤンキースに迎えられ、32年にリーグ優勝し、両リーグでペナントを制覇した初の監督に。ワールドシリーズでも前年解任された(この年も86勝64敗で勝ち越し、2位だったにもかかわらずである)古巣のカブスを、ルースの有名な「予告ホームラン」の活躍などで4タテで下し、以後46年までの16シーズンすべて勝ち越し、うち12回は勝率6割以上。リーグ優勝8回、世界一7回。ジョー・ディマジオが加わった36年からは空前のワールドシリーズ4連覇を達成する。しかし、46年途中、当時のGMラリー・マクフェイルと対立し辞任。
○ケイシー・ステンゲル(1949~60)
第二次大戦前、ドジャース、ブレーブスで9シーズン指揮を執るが勝ち越しわずか1回で「監督失格」の烙印を押され、その後はマイナーの監督を務めていたが、そこでの采配ぶりをヤンキースで長くファーム組織を担当していたGMジョージ・ワイスに見込まれ、49年からヤンキースの監督に迎えられる。主砲ディマジオをはじめ故障者続出のチームを、現役時代にプレーしたジャイアンツの名監督ジョン・マグロウ直伝の選手掌握術と、ツープラトンシステムを駆使した選手起用の妙でレッドソックス(マッカーシーが指揮を執り、テッド・ウィリアムズらを擁していた)とのデッドヒートを制し、シリーズでもフィリーズを撃破。以後、フィル・リズート、ヨギ・ベラ、ミッキー・マントル、ホワイティー・フォードらを擁し、この年から空前絶後のワールドシリーズ5連覇を果たすなど、60年までの12シーズンで10回のリーグ優勝、マッカーシーと並ぶ7度の世界一を成し遂げたが、60年にパイレーツとのシリーズに3勝4敗で敗れると、70歳の高齢を理由に詰め腹を切らされた。その際の捨てゼリフ「二度と70歳になるなんて過ちは犯さない」は有名。
そして……
○ジョー・トーリ(1996~2007)
ステンゲルと同じ12シーズンの在任期間中に、地区優勝10回、ワイルドカード2回ですべてポストシーズン進出を果たし、リーグ優勝6回、世界一4回。98年からはメジャー史上マッカーシーとステンゲルしか成し遂げていなかった3年連続ワールドシリーズ制覇を達成している。FA制の導入後選手の移動が激しくなり(それはたとえ「買い手」に回ることの多いヤンキースでさえ、必ずしも有利に働くわけではない)、ポストシーズンのシステムも複雑になって、リーグ優勝、シリーズ制覇のプロセスが険しくなった現代のメジャーリーグにおいて、トーリの業績はハギンズ、マッカーシー、ステンゲルに優るとも劣らない。
少なくとも、メッツ、ブレーブス、カージナルスで采配をふるい、82年のブレーブス地区優勝以外はほとんど結果を残せなかったトーリがこれほどの偉業を残すとは想像もできなかったし、それ以上にあのジョージ・スタインブレナーのもとで12シーズン監督職を全うしたことじたい、驚くべきことであったが、その彼にもついにヤンキースでの「最終章」は訪れた。おそらくヤンキース史上の「4大監督」に数えられるであろう彼も、その最後は三人の先達と同様、球団との決別は、決して幸福な結末とは言い難かった。
トーリの続投については、ドン・ジマー、メル・ストットルマイヤーの両参謀を失ったあとの采配に疑問を抱き続けてきただけに、私自身は懐疑的であったし、ヤンキースは新しい指揮官を迎えるときが来たとシーズン中から考えてはいた。しかし、64年のリーグ優勝を最後に、音を立てて崩れ落ちたヤンキー帝国が70年代後半にスタインブレナーの「金」とビリー・マーティンの「激しさ」で一時的に蘇ったあと、再び長い混迷の時期を迎え、1920年代以降では初めて、80年代を「世界一に縁のないディケード」で終え(その犠牲になったのが、後任監督の最有力候補といわれるドン・マッティングリーなのだが)、90年には1920年にルースが移籍したあと、2回目の最下位にも転落したヤンキースに、ちょうど同じ年にレギュラーの座をつかんだデレク・ジーターとともに栄光の日々を取り戻したのがトーリであったことを考えれば、もっといいフィナーレの形はなかったのかという思いに強く駆られるのは当然だろう。
間違いなく、実際の試合もテレビ観戦も含めて、ヤンキースを率いたトーリ監督の試合は、私がもっとも多く見たメジャーリーグの試合だったし、そこには数多くの歴史的瞬間が含まれていた。私自身がもっとも強く印象に残っているのは、レッドソックス戦で、リードを許していた場面にもかかわらず、守護神のマリアーノ・リベラを8回から敢然と投入したシーンに二度もお目にかかったことである。そこにはフロントも、現場も、メディアも、ファンも、エゴの塊になる光景が珍しくないメジャーリーグにあって、監督と選手の信頼のみに立脚した本当の「勝負」があった。トーリが率いて、ジーター、バーニー・ウィリアムズ、ポール・オニール、ティノ・マルティネス、ホーヘイ・ポサーダ、スコット・ブローシャスらがチャンピオンリングを勝ち取った時代のヤンキースこそ、私にとって(実際に目の当たりにした)最高のチームだったと、現時点において(もちろん、将来もっと素晴らしいチームや選手にめぐり合う可能性はあるが)私は断言する。
さらば、ジョー。そして、あなたが私たちに贈ってくれた最高のプレゼントに心からの感謝を贈ります。
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やっぱり私は今回の実質的な解任劇には納得いきません。
チームやファンが望む結果が出ていないのだから、ヤンキースは情け容赦なくバッサリとトーレをクビにすれば良いと思います。
わざわざメディアを通じ「負けたらクビ」宣告すら出していながら、いざその段になると断ると判っている条件を敢えて提示し、自分から辞めるよう誘導するのは如何なものでしょう。
ヤンキースは単に、冷酷にトーレを解任すれば良いと思います。
それが常勝を義務付けられた監督に対する敬意というものでは無いでしょうか。
予断ですが、ここのGMさんはなかなかの世渡り上手ですね。
トーリの記者会見で記者からも質問があったようですが、かつてヤンキース監督を解任された際のスタインブレナーのやり方に怒り、10年間もヤンキースと絶縁し、ヤンキースタジアムに足を運ばなかったヨギ・ベラのケースと同じことが、今回のトーリとヤンキースとの間に再現されるのではないかという危惧を、メディアやファンは抱いているようです(トーリは「その質問には答えたくない」と語っていたようですが)。
トーリ自身も、あまりにビジネスライクに過ぎ、自身のプライドをないがしろにされた今回のやり方に関しては、相当わだかまりを持ってユニフォームを脱いだはずです。結局、ディビジョンシリーズで王手をかけられた段階でスタインブレナーが解任を示唆したり、減俸や1年契約など受け入れ難い条件提示をして「さらし者」にする前に、敗退した段階ですっぱり解任すればよかったのだと思います。
トーリ自身がプレーヤー側に立つことで有名な監督だっただけに、これは主力選手の契約、さらにはモティベーションにも影響を及ぼすでしょうね。実際、松井秀喜は今日の報知のインタビューでトレードも覚悟しているような言葉を口にしていましたし。
それにトーリの責任が問われるなら、チーム編成の最高責任者たるキャッシュマンGMも連帯責任を負うべきだと私は考えています。96年から2000年まで4回世界一になったチームについて、私はワトソン前GMやジーン・マイケル元GMの手柄だと思っています。